天才詩人 崔致遠

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1100年前、中国の唐では新羅から来た一人の留学生が注目を浴びていた。韓国歴史上最も成功した留学生として知られている 彼の名は崔致遠、彼は12歳という幼い歳に、中国唐に留学に行った早期留学生であった。 今から1100年前、彼は中国でどう留学生活を送り、何故中国は今日まで彼を覚えているのだろうか。 中国の古い伝説と共に当時天才詩人と呼ばれていた崔致遠の姿を探ってみたいと思う。

伝説双女墳奇談
双女墳奇談は強制結婚から逃げるために自ら命を絶った弐人姉妹の話から始まる。弐人の運命を聞いた 崔致遠は、その哀痛する気持ちをしに表わし、彼女らに捧げた。これに感動した姉妹は崔致遠を訪ね、 一夜を共にする。夜明けになり姉妹は崔致遠との別れを悲しみながら、お墓に戻ったというが、この話は古くから伝わる 中国の不思議な伝説であり、1100年前現世と来世を通った愛の伝説であった。 しかしこの双女墳伝説は崔致遠が中国で活動していたとき書いた小説と、その内容がほぼ一緒である。 これは彼が書いた小説が長年中国の人々の口から口へと伝わる間、中国の伝説として定着したのではないかと考えられる。 また双女墳奇談によると、崔致遠は20代にもうすでに中国の管理職の座に登っていたという。このように平凡ではなかった彼の 留学生活はどういうものであったのだろう。

留学生活
12歳の幼い崔致遠が今でいう早期留学生として中国唐に渡るに至ったのは、新羅の厳しかった身分制度の限界克服を 切望していた父の想い、また、息子崔致遠に対して自信があったからとされている。このような父の想いを胸に中国に渡った 崔致遠は、一生かけてもなかなか難しい言われた科挙(中国で実施されていた高等官資格試験制度)に、わずか6年次 で及第するなど、一般留学生とは飛び抜けた能力を発揮していた。若き崔致遠は当代有名な詩人たちと肩を並べるほど、 留学当時詩人としてもその名が知られていたという。

桂苑筆耕
中国歴史書である「新唐書」(中国正史として中国歴史を研究するにあたって、最も重要な価値を持つ書物)には崔致遠 に関する記録が次のようにある。

崔致遠 四六文一券 又桂苑筆耕十弐券 高麗人 賓貢及第

これは崔致遠は高麗人で賓貢科に及第し、「四六」集と「桂苑筆耕」集があるという意味である。この「新唐書」にも紹介されている 「桂苑筆耕」は、崔致遠の作品の中で最高に評価されたものだけを集めた名著であり、韓国初の文章集でもある。 中国歴史専門家・黨銀平教授(中国南京師範大学副教授)は「桂苑筆耕」について、当代の人が書いた当代歴史書 として文献的価値を持つだけでなく、現在中国正史である「新・旧唐書」、「自治通鑑」にまで抜けている内容が記されていると、 その価値を高く評価する。教授は又中国正史に間違いがあるとすると、「桂苑筆耕」を根拠に研究修正していると付け加える。
中国でこれだけ評価されているということは、そこに収録されている詩60篇、文章310篇全てが、ただの文献ではなく、一句一句 が歴史を文学的に描いたものであったということがわかる。

時務10余条
崔致遠は中国で十分栄華を極めていた人物であった。しかし彼は中国で得た身の回りのすべてを整理し、新羅の改革を夢見ながら 帰国、混沌とした新羅を立て直そうと時務10余条という社会改革案を出した。この時務10余条は新羅に帰国した 崔致遠が衷情を込めて出した現状改革案でもあった。残念ながら、現在時務10余条の細かい内容は残っていないが、 当時彼が他に残した記録を通じ、能官人つまり、新羅が生き残るためには、人材の選抜に重点を置かなければならない という彼の改革思想が覗かれる。しかしながら、崔致遠のこのような改革案は当時の新羅に受け入れられず、丹念した 崔致遠は海印寺(韓国南部に位置)で隠遁生活を始めた。隠居後彼は熱情著述に没頭したという。
またその時の著書は現在まで貴重な資料として評価されている。崔致遠は海印寺で隠居しながらも、こういった著述活動を通じて、 生涯最後の瞬間まで現実改革の意志を諦めなかった。

昔も今も留学に行って成功するということは容易なことではない。しかし12歳の崔致遠が中国で成功できたのは、 彼の天才的才能よりも人の倍以上頑張っていた努力が大きく働いたからであろう。そういう彼が経綸と学識を 拡げるに当時の新羅はあまりにも衰えていた。しかし当代達成できなかった崔致遠の夢見る世界は、 高麗王朝になって実現される。これは高麗王朝が新しい国家の精神的支柱として、崔致遠の思想を継承していたと いうことを意味する。こういった意味からも、崔致遠は暗澹たる現実を回避した消極的な知識人ではなく、 積極的に社会を変化させようとした行動する知識人であったと言える。
それが1100年も過ぎた今、我々が彼を 記憶する理由でもある。