■唐人踊りの親戚たち 鈴鹿市の唐人踊り 起源についての確かな裏付けはなく、『新編 鈴鹿市の歴史』のなかでは、唐人踊りの楽曲を中国式の音楽として、 「この踊りは江戸時代中期はじめに長崎に行われ、その後江戸、浪速の地で盛行していたものを、祭りの行事として 輸入したものではなかろうか」と推理して、「その源流を韓国か中国にみつけねばならない」と記しています。それに対して、朝鮮通信使については、ラッパなどの楽器、衣装や帽子の形が津市の唐人踊りと似ている点と、 民族音楽学者の草野妙子武蔵野音楽大学教授が指摘しているように、音階的に朝鮮音楽の影響が見られることから、 影響の大きさが推察されます。平成9年には、三重県無形民俗文化財に指定されました。 岡山県牛窓町の唐子踊りは、朝鮮通信使が立ち寄った港の中で、唯一、名残を残しているものとして有名です。 小学校の教科書でも写真つきで紹介されています。戦前は、津市の唐人踊りが「豊臣秀吉の朝鮮出兵に由来する」と 説明していたように、「神功皇后の朝鮮出兵に由来する」と起源を解説していましたが、今では、町の教育委員会も援助しながら、 朝鮮通信使ゆかりの民俗芸能として保存しています。 岡山県の唐子踊り この唐子踊りは、鮮やかな色彩の衣装を着た二人の男児が、肩車に乗って地区の神社に参詣し、小太鼓や横笛と意味不明の歌に合わせ て踊るものになっています。10月の祭礼で披露される唐子踊りは、中国起源説をとる研究家もいますが、朝鮮通信使一行の 童子対舞がもとであるとの説が有力になっています。そして、牛窓町では、「海遊館」という名前で朝鮮通信使と地元のだんじり祭りを 紹介する資料館を常設しており、いつでも見学できます。以上、今も保存している朝鮮通信使由来の伝統芸能を紹介しました。また、江戸、金沢、名古屋、川越、土浦、和歌山、鳥取、二宮など で唐人踊という名称の芸能があったということが分かってきています。 最後にひいきのひきたおしでもなく、言いたいのは、当時の行列の模様をもっとも再現しているのは、津市分部町の唐人踊りだという ことです。行列の正使である大将がいて、「清道」などの旗をかかげ、大勢で練り歩くというスタイルは、唐人踊りだけのもので、 朝鮮通信使の絵図と比べてよく似ています。最近、毎年11月には朝鮮通信使ゆかりの自治体などで集まる「朝鮮通信使縁地連絡協議会」 では、いつも当時の行列を再現するように要請を受けています。 もっとも、朝鮮通信使が通過さえもしていないのに、なぜ津で このような形で残っているのかは、よく分かりません。確かな文献史料も少ないのではっきりせず、今後の課題です。 |