百済の最後
白江口戦争 現在韓国の南部に当たる全羅北道の扶安郡と、金堤郡の間を流れる東津江(当時白江と推定)は、 近隣地域の漁師の生活に欠かせない場所となっている。しかし今では平和とも言えるこの場所で、 西紀663年8月、東アジア4ヶ国間の戦争が行われていた。 そもそもこの戦争は、660年に滅亡した百済の復興軍内の内乱によるもので、その隙を狙い 羅唐連合軍が百済を奇襲攻撃したのが発端である。攻撃された百済には、日本から支援軍が2万7千人 も送られ、羅唐連合軍を退けるがその15日後、再び羅唐連合軍の攻撃によって大敗してしまったと日本書紀 と三国史記(新羅、高句麗、百済の最古歴史書)に当時の様子が記録されている。 |
白江(白村江) |