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「韓日歴史座談会」記念誌発刊に寄せて

澤田幹夫


駐名古屋大韓民国総領事館と私の出会いは、2001年の8月、現大韓民国スイス大使館参事官の洪領事との出会いが始まりでした。 当時、日本のマスコミは、翌年に迫ったワールドカップ共同開催に向け、大いに盛り上がっていました。
私も、韓国と日本の精神構造の違いと、精神病の治療の違いを検証し、相互の国民性を精神科医の立場で切り取り、 両者の相互理解を深める全国ネット番組の制作に入っていました。
そうした中、韓国ロケ出発の一週間前、韓国側との交渉が暗礁に乗り上げ、最悪は放送できない事態なり、途方にくれている時、 制作スタッフの一人が名古屋駅前に韓国領事館があるから相談に行ってきますと、飛び出していきました。
ときまさに、教科書問題で日韓関係は最悪であり、また、領事館は在日同胞の保護が目的であり、いっても無駄であると 止めたのですが、飛び出していきました。そのとき、敗れたジーパンに汚いTシャツどう見てもまともに見えない社員を、 暖かく迎えてくれたのが朴商務担当官だったのです。
そして、洪領事の部屋に通されると、洪領事は開講一番、何でも言ってください、私に出来ることでしたらお力になりますといわれたそうです。 喜んで連絡が入り、私が、お礼と突然の社員の訪問した非礼を、お詫びに出向くと、洪領事は何も気にしなくてもいいです、韓国領事館はいつでも、 歓迎しますよと、暖かくむかえてくれました。
その折、今の冷え切った韓日関係を、少しでも相互理解できるよう、韓国のKBS制作の歴史スペシャルを見ながら、お互いの歴史を語る会を 、総領事が考えているので参加されますかとお誘いを受けました。それが、韓日歴史座談会との出会いでした。
そして毎回、日本と韓国の歴史的つながりに驚き、認識を新たにし、また番組で紹介されてた場所を訪問し、その場所に立つことにより、 時代を超えて分ち合える事を見つけることが出来ました事に感謝いたしております。
最後になりましたが、毎回、おそらく夜を徹して翻訳をされている金河永さん、そして資料制作、会場設営と毎回遅くまで、ご苦労をなさっている 館員の皆さんにこの場をお借りして、御礼申し上げます。
そして、日本と韓国の相互理解の軌跡として発刊される記念誌に、寄稿できることに感謝し、この座談会のさらなる発展を、お祈り申し上げます。

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