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早春の韓国の旅

池田修平


今年の3月、私は「韓日歴史座談会 ’03早春 韓国歴史訪問」という2泊3日のツアーに参加した。貫井先生を団長に総勢19名 という小さなグループである。私にとっては2回目の韓国訪問であった。今回は「歴史探訪」という表題に魅力を感じて参加したのであるが、 結論から言うと期待通りの充実した楽しい旅であった。
何より印象に残ったのは、2日目の密陽と3日目の西生浦城である。密陽はあまり日本人が行かないところと聞いていたので、 余計魅力を感じたのかも知れない。
釜山から2時間程走って、表忠寺に着く。途中峠越えをしたが、周りの山にはまだ雪があちこち残っていた。まさに早春の風景である。 表忠寺は韓国の名刹。境内に入るところに小川が流れ、背後には山が迫り静かなたたずまいである。

松雲大師ゆかりの寺であると伝えられた。1時間ほど滞在して密陽に向かう。嶺南楼は工事中のため見学できなかった。 密陽を流れる南川江のほとりは、公園になっていた。山と川のある町という表現がぴったりの密陽を、時間さえあればゆっくり散策 できたのにと後ろ髪ひかれる思いで慶州へと向かった。
3日目のハイライトは西生浦城の見学であった。 慶州から国道を南下する。初めての町や村を駆け抜けていくのであるが、私には地名がなかなか特定できない。温山であろうか、 石油コンビナートが広がっていた。四日市のような公害はないのだろうかと心配になった。 西生浦には10時前に到着。バスを降りて小高い丘を登る。振り返れば日本海が、広々と横たわっている。なかなかの景色だ。 西生浦城は加藤清正や浅野幸長の指揮のもとで、1593年(文禄2年)に関係したとの事。今は石垣がだけ残っているまさに 兵(つわもの)どもの夢の跡である。当時の朝鮮の人々にとっては、日本軍は侵略者である。起ち上がって応戦するのは当然であったろう。 そして見事、日本軍を退散させたのである。


松雲大師 惟政 像

それから400年余の歳月が流れている。西生浦城は、今の韓国の人々にどのように映っているのであろうか。私たちが見学している時、 数人の韓国人に会った。桜には早かったが、彼らは早春の城跡をピクニック気分で楽しんでいたのではあるまいか。西生浦城が 貴重な歴史遺産として、これからも保存されることを願うばかりだ。
小高き城址を、指呼の間の海辺から吹き来る春風は、か細くではあったが、永久に穏やかなれ、扶して助け合え、慈して愛せよ、と聞こえた ような気がした。
私たちは西生浦の荒城を後にして釜山へと向かった。

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