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壬辰・丁酉倭乱と朝鮮漢医の倉越 14世紀宣祖王御殿医
   扈聖功臣 揚平君 正一品輔崇禄大夫 許浚について

星原幸次郎


韓国KBSの大がドラマで未曾有の視聴率を獲得した「許浚」は「歴史スペシャル」でも取り上げられました。(本会では未試聴) 朝鮮王朝時代、賤民階層から抜け出す唯一の方法は訳官か医員になるしかなく「許浚」もその一人で、遂には正一品まで上り詰めました。
彼は東洋では最初に人体の腑分けをしたと言われ、それは下図のとおりだが儒教厳然たる時節柄、師匠の屍身を解剖したとは信じ難く、 時恰も壬辰倭乱の最中、御殿医の任に有りながらも王命を受け戦場戦傷者の治療にも当たっており、戦場には敵味方なく夥しい数の 、そして大傷を負った傷兵をして腑分けをせずとも格好の試験体として横たわっていた筈だ。

許浚」が編纂した「東醫寶鑑」は文字通り東アジアの医書の宝に等しい鑑と称され、当時中国の使臣をして金銀積んでも 求めることが叶わず、と言わしめる程に版刷りが追いつかぬ態。巷の町医者にも好評を得たのには身近な漢方薬草を指し示し、また読解容易な 著作であったからだ。
東醫寶鑑」の素晴らしさは18世紀に徳川幕府に於いても再々の板刊をなし、また清国でも発刊されました。
斯くして朝鮮漢医の倉越(扁倉・扁鵲と倉公、中国戦国期の名医)と言われる所以です。
東醫寶鑑」の編纂は倭乱の最中も王命で進められ、医学書初の現代臨床医学の分類方法と似通った(一)内景篇(内科) (二)外形篇(外科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科)(三)雑病篇(病理学、診断学、救急方、伝染病科、婦人小児科) (四)湯液篇(臨床薬物学)(五)鍼灸篇(経穴部位、針灸療法)に区別して患者がもっとも多い疾病を見やすく中心におき、病論と診断と処方 を簡便にした。


許浚の手による身形 臓腑図

特筆すべきは、倭乱の余廃は略奪と殺傷のみに非ず各地から寄せ集まった日本軍が持ち込んだ病菌が、疲弊した朝鮮全土に撒き散らされ、 伝染病が蔓延したことだ。逃避を続ける宣祖王は、昼夜を分かたぬ御医許浚の護全と慰労を間近にし、宣祖王の容器を喚起する源泉となり、 心痛を和らげ心憂を癒す話友達・心医にもなっていました。
倭乱の蛮行はまだ有った。「東醫寶鑑」の基礎資料たる高句麗、高麗期と連綿継承された国法的文化財と一緒に帰朝なる書籍類が 略奪、焼失、消滅し当座にしようする医書までも毀損されていたことだ。倭軍侵攻を、愚かな党派争いに現を抜かし宗廟社稷を蹂躙され 民百姓を塗炭の淵に追いやった教訓はこれで終わらず、数百年も続く事となる。
次に御医許浚の編纂した「東醫寶鑑」の一ページを星原流に訳してみます。

【雑病篇巻十 婦人】寡婦師尼之病異乎妻妾婦

中国・宋の桾燈が寡婦と師尼(女僧)を治療する処方を夫々異なった施術をしたが大いに理治(治療理由)がある。 両者独り身ゆえ、独陰(女性器)に陽がないので情(性)欲を催せど思いが遂げられず、陰と陽が互いに争い寒と熱が 瘧症(間歇熱・わらわ病、マラリア)が温病に極似で長引くと虚労(性欲ボケ)に囚われる。
史記に倉公の医書に或る娘が腰痛で、背中に寒と熱の疾勢(病状)故、多くの医師が寒熱病と診立てて治療するも効果なかったが、 倉公が言うに「これは男が欲しくても叶わぬ事に起因の症勢」、「肝脈が張った寸口(手首)を診れば分かる」、と。 大凡男性は精気(視覚意識)で為主(行動発起)、婦人は血(肉体・思考)にて為主する。男性は精威(力)盛んなら 女性を求め、婦人は血威盛んなら胎(子)を孕もうとする(本能の性的欲望)が如し。若し厥穏脈が強く張り寸口に出たりまた、 魚際【星原訳不能】に上がれば容易に盛ん(性欲)なるが分かるので倉公の言葉は理治がある。

<寶鑑>寡婦と師尼は性の鬱抑が病の元になる証しなり。これは悪しき風礼(風説)なので後家さんや尼さんは注意されたし。【星原】

【雑病篇巻十 婦人】陰陽交合(性交)を忌避する日

大凡男女の交合(セックス)は実に丙・丁(陰暦の二月と八月)と月初・月中・月末及び大風雨、大霧、大暑、大寒、大霹靂(雷と稲光) 、天地晦冥・日月食・虹霓(虹)・地動(震)等の日は忌避しなさい。違えたら神(心躯)に損(災い)で不吉で男は百倍も損傷を被り、 女は病がちで子を孕むも、愚鈍か癲痴、聾唖、跛俣、盲眇(差別用語・原書のまま・バカ・アホ・オシ・ツンボ・チンバ・メクラ)等の 疾病持ち多く長生き不可で不孝者にして不仁(冷徹者)が生まれる。また日月・星・辰(午前八時頃)と夏光の下か、神廟・仏寺境内 と井竃(戸)・厠場の近傍及び塚墓と尸柩(棺桶)の際で交合すれば害になる。交合の決まりに従って行えば福徳と知恵が備わり 胎教(胎児への好い感化)を及ぼし、胎中から性行(品性と性質)が順調で、家道(運)日増しに隆盛となり、万一方法を違えば福が薄く、 愚痴(愚かな痴れ事)で胎中から性行が凶険(暴)で所作が悪くなり日毎に腐敗するので禍福応える事は影絵と声響に似たようなものだ。
急迫する戦乱の混乱時にも「東醫寶鑑」編纂に心血を注ぎ和訳紹介した「陰陽交合を忌避する日」 「寡婦師尼之病異乎妻妾婦」だけを覗いても実に念入りで多岐に亘る医書であることが分かる。御殿医、宮廷医、 宣祖王付きの御医にして、王命を拝してはいますが許浚の研鑽の根元たるは、民百姓、庶民のための廉価身近な薬草と町医員にも読解 出来る簡便な医学書の創術であった。壬辰倭乱、と言えばすかさず戦いの推移のみに囚われがちですが一人の医者を通してもっとも難儀 しただろう弱者たる民百姓をも、心を向けたい。
倭乱無かりせば「東醫寶鑑」により如何ほどの民百姓の福音になったか、悔やまれる。

拙い訳は浅学故のこと、ご理解賜りたい。星原幸次郎

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