プヨ幻想
| 初めて見る今は公園となっている扶蘇山城を1400年遡る歴史のプリズムの中でみる私の心に何とも言いようのない感慨と共に
懐かしく映るのだ。 ここからAD663年あの百済最後の将軍、階白将軍は精鋭5000の軍兵を率い、数万の唐、羅連合軍が陣をしく黄山方面に向け、 決死の戦いを挑んでいったのであった。 我が扶余族は吉林省、松花江中流域に源を発し、漢の時代に部族として第一次隆盛期を迎える。 今でも吉林から長春を過ぎ、 ハルピンに向かう鉄道の途中に「扶余」という地名を残す。ここが現地の地図上での扶余族本貫の地である。 |
北扶蘇山城 落花巌の上に建つ百花亭 |
白馬江より落花巌を望む 三千宮女の血涙が流れて |
7世紀新羅が半島統一を果たす頃には、東アジア極東地域において我が扶余族は、その輝かしい歴史の任務をほぼ終え、周囲の民族の中に同化し、
歴史の舞台から消え、時代の流れの波の中にのみ込まれていく。そして倭国に於いてこの扶余の血が再び歴史の上に登場して来る時、
彼らは源氏、平氏という地方の大豪族として、さらに力を得て中央政権を左右する一大勢力として生まれ変わってくるのである。 「武家」という新興階級としてその後の日本史に登場してくるのである。 7世紀の初めに百済のプヨより日本に渡った我が先祖が誰であったか?私は知らない。 |