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韓日歴史座談会に出席させて頂いて

土岐良文


今年7月の第20回の案内を、ふと手に入れました。両国の間に横たわる歴史観の齟齬に些かの不安を感じていた私には、どんな集いで? そして話の内容は?・・と少しばかりの不安を抱えながら出席させていただきました。
しかしその会場で私が見聞きしたのは、余りにも穏やかな歴史観と表現でした。
不勉強な私では存じ上げない事ばかりでしたが、数年前訪れた「武寧王陵」とそこからの出土遺物を展示する「公州博物館」を思い出させてくれました。 横穴式磚築墳という6世紀初頭の様式で、武寧王という被葬者の判明する珍しい古墳であったこと等の説明を受け、 石室内に案内していただいたこと、古墳群の立地等に感銘を受けました。

そしてたまたま訪れた時、博物館前に植えられている「高野槇」の種子を数粒拾って帰国し蒔きました。残念ながら発芽はしましたが成長 するには至りませんでした。
そんなことを思い出したりしていましたが、その昔「斯麻王」の62年の生涯の内、倭の国内で過ごされた数十年の生活に思慮を巡らせる 話を構成したビデオの画面に引き擦り込まれていました。そして平成の明仁天皇が(実は私も同年)「桓武天皇を通じての日韓のゆかり」を 発言されたことは、晴天の霹靂でもありましたが、私は嬉しく思いました。
このようなことから隣国同士がわだかまりを氷解することが出来れば誠に喜ばしいことであり、またその話が<御案内>の文中にあったことは 大変嬉しく思いました。
日本の歴史の上で彼我の間では確かに不幸な時期があったことは否めません。それを乗り越えて、未来志向的に 物事を考え、友好を深めたいと思います。

今、私は遅蒔きながら「日本書紀」「古事記」「続日本紀」の講義を受けていますが、それらの中にも日韓の関わりを示す文言が出ています。 口述伝承のものも国の体裁のために纏めた記事もあり、評価はなかなか難しいのですが、行間からもいろいろ学びたいと思っています。 百済・新羅・高句麗とプラスαの時代に興味を覚えています。
そして自分の生家に、亡父が何時の頃か韓国で求めて持ち帰った「壬辰倭乱」時の「鳴梁大捷碑」の拓本(萬暦25年)も、その表装が漸く最近 出来上がり、内容も名護屋城博物館のご指導で判明しました。何か因縁を覚えます。
これからも色々と教えて下さい。どんな事でも私には耳新しい事で、大いに期待しています。よく彼我お互いのことを勉強された人たちも多く、 感心致しております。勉強させて頂くのに事欠かないともいますのでもっともっと教えて下さい。
お願いを兼ねて拙文を寄せさせて頂きます。

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