西拉木倫河と西遼河が塩水だった
2時30分、大興に到着し、まずは空腹を満たした。4時に出発し少し行くと、
西拉木倫河と老哈河が合流する地点があり、ここからは西遼河となる。2つの川が出会う場所は浅いものの水は見えた。
踏査チームは、西遼河の南側の川岸に沿ってアルカリ土壌を引き続き探して行った。しかしここでは、昔川底だったところを
堤防でふさいだ後、田んぼにしていた。
午後6時、ついに西拉木倫河と西遼河が塩気が多い川であるという決定的な証拠を見つけた。
明仁郷の新立屯に着くと、青い稲穂の間に草も生えないアルカリ性土壌が数千坪現れたのだ。白い塩が地表面に拡がっていて、
ところどころが黒く変わっていた。
"ここは塩気があり、穀物が育たず、草も生えない。"
"灰汁がたくさん含まれていて真っ黒だ。これは水で洗ってもダメだ。"
集まって来た村人のうち、チャイ・ポントンという若者が進んで一生懸命説明してくれた。
"この西遼河南側畔がずっとそうなっている。東側は東来まで、西側は平安地までだ。川岸から遠く離れると存在しない。
西拉木倫河にもこんなところがあると親戚達から聞いた。"
"塩が地表に出ているところを外塩地、地中に潜っているところを内塩地という。
外見上は何ともないように見える内塩地も、草を植えれば枯れてしまう。"
まるで専門家のように説明してくれるチャイ氏の説明を聞いて、心の中に言い表せない喜びが溢れて来た。砂漠を、山を、
草原をさまよい、ついに広開土王の軍隊が契丹軍を撃退するために越えた塩水を見つけたのである。
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(上) 西拉木倫河の塩地
(下) 塩水を見つけた喜びで 記念撮影
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