朝鮮国と藤堂藩
![]() 藤堂高虎の肖像 |
![]() 津城公園内にある藤堂高虎の銅像 |
![]() ソウル世宗路の李舜臣像 |
実現寸前だった秀吉の野望を打ち砕く上で重要な役割を果たしたのが
李舜臣将軍の率いる水軍が駆使した亀甲船でした。
文禄の役では大活躍した李舜臣でしたが、彼の功績を妬んでいた同僚の元均に陥れられて爵位を剥奪され、
慶長の役の当初は白衣従軍(一兵卒で従軍すること)でした。
この元均という男、それまで李舜臣と組んで活躍していたのですが、
数多くの勝利を自分の実力と勘違いしていたようです。その証拠に、
李舜臣の抜けた慶長の役最初の海戦である巨済島の海戦で大敗、戦死しています。 元均の戦死後、朝鮮軍上層部は李舜臣をもとの地位に戻すことを決意。 明軍の協力を得た李舜臣は亀甲船を建造し、またも藤堂高虎率いる九鬼嘉隆の水軍 をはじめ、日本軍を次々と撃破して行きます。 つまり藤堂高虎率いる日本水軍精鋭の進撃を食い止めたのは李舜臣だけであったということです。 彼さえいなければ勝ち続けていたかも知れない高虎は、この朝鮮国の英雄により 散々煮え湯を飲まされたわけです。 |

釜山・龍頭山公園の李舜臣像<(C)cookmart.com>

津偕楽公園内の龍灯篭

頭上に火袋と獣口のついた笠石を載せ、龍が身をよじっています。
![]() 正面図 |
![]() 横から見た図 |