ミュージカルつばめ三重公演

平成15年7月8日(火) 於:三重県文化会館


案内ページ

朝鮮通信使をテーマにした、今話題のミュージカル「つばめ」。 江戸時代のはじめ、二つの国家の狭間で翻弄され苦悩した人々の生き方を描く感動的なドラマです。 人間とは何か?国家とは何か?戦争とは何か?友好とは何か?深く考えさせられる名作でした。 両国の伝統音楽が全く違和感なく融合し、芸術的価値も非常に高く感じました。 このような素晴らしいミュージカルを今後一人でも多くの方々に見ていただければと思います。

18:30の開演直前。既に大変な数の人々がお待ちかねです。

公演会場は大入り超満員。駐名古屋韓国総領事館から
柳洲烈総領事も来られました。(左から3人目)

通信使・李慶植を演じた近藤進さん。

朝鮮通信使ゆかりの人々! (左から民団三重の韓局長、
鈴鹿市唐人踊り保存会代表の和田さん、小菅館長)


「つばめ」と津のかかわりに思う

ミュージカル「つばめ」実行委員 岡 光洋

日本と朝鮮は、室町幕府3代将軍足利義満以来修好関係にあったが、豊臣秀吉は2度にわたり大義名分なき 朝鮮出兵を行い、朝鮮の人々に対して殺戮と拉致を行った。
江戸時代、徳川幕府は李朝朝鮮国王に、国交回復のための試射の派遣を要請した。これに対し朝鮮は 「先代の非を改める誠意に使臣を送る」とした回答と、戦争中に捕虜として日本に連れ去られた7万人近い 人たちを国に戻すことを前提に、第1回「回答兼刷還使」を1607年(慶長12年)に派遣してきた。 その後、両国の修好を進める通信使として計12回にわたり1811年(文化2年)まで続いた。

今回のミュージカル「つばめ」は、その第1回の来日の際の彦根を舞台にしているが、何か大変今を感じる とともに、津に住む私にとって、津との関わりを改めて感じさせてくれた。
一つは津まつりで市民から親しまれている「唐人踊り」が、朝鮮通信使の一行の姿を模したもので、全国で 岡山県牛窓と鈴鹿市の3ヶ所だけに伝承されているということである。
1635年(寛文12年)、2代目藩主藤堂高次が津城下の反映を促すため、銀10貫目を町方に貸し、 その利子で八幡神社の祭礼を華やかに行うよう奨励した。その時の出し物として、分部町では「唐人の真似」 と題し、通信使の仮装行列を作った。これは江戸日本橋大伝馬町に木綿問屋の店舗を構え、伊勢商人として 活躍していた分部町の人達が、通信使の音楽や踊り、学問や文化に触れ感動し、その様子を郷里の人達に 伝えたことに始まる。唐人踊りの衣装はオランダ風、踊りは韓風を感じさせるのは、通信使が津を通っていない ため、外国人のイメージが混同したのだろう。しかし新しい文化の息吹を十分吸収し、戦災時の一時中止を 除いて300余年ずっと日朝修好を庶民の手で受け継いで来たことに誇りを感ずる。唐人踊りの仮面は 、喜怒哀楽に満ちたものである。このミュージカルからその理由を知らされたように思う。また、今年度中に ニューヨークの博物館から、津の祭礼絵巻がお里帰りすると聞くが、どんな唐人行列が描かれているか楽しみでもある。
もう一つ、ミュージカルの中で藤堂高虎の名が出て来ることである。高虎と朝鮮出兵にかかわる伝承も沢山ある。

「近くて遠い国」であったり「遠くて近い国」であったり、時の政権によって変化している。しかし、人と人が 共に生き、つながる「近くて近い隣人」の関係を過去を省みながら築いていくことの大切さを今更ながら感じる。

【考察】朝鮮国と藤堂藩


唐人さんの家