第23回 韓日歴史座談会

「朝鮮特使閔泳煥とロシア皇帝ニコライ2世」

要約紹介

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 平素は、当館に格別のお引き立てを賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、第23回歴史座談会のご案内を申し上げます。
19世紀末、ソウルは風雲の季節でした。1895年8月、朝鮮王朝の王妃が殺害され、当時の国王高宗は自分にも危険が及ぶことを感じ、 朝鮮王宮の警備に不安を持ち始めました。ちょうどその頃、地方各地で起こっていた反日民衆混乱鎮圧のため、ソウルの日本軍が 地方に移動していた時に、高宗は側近何人かと共に景福宮から2キロ南にあるロシア公使館に避難しました。 歴史ではこれを俄館播遷と言うが、一国の国王が他国の公使館に身を隠さねばならなかったほど、不安と機器に怯えていた 時期でした。
当時朝鮮王朝は、日本を制御できる唯一の国はロシアだと思っていました。1896年5月、ロシアの最後の皇帝なる ニコライ2世の戴冠式がモスクワで挙行されました。朝鮮特使閔泳煥は戴冠式参席後、ニコライ2世と数回面談を行い、 朝鮮への支援を要請するのに成功しました。その結果1896年から1904年の間は、朝鮮はロシアと日本の間で独立が保障されました。 朝鮮は王国から独自的な帝国になり、国名も大韓帝国に変え、1897年8月、高宗は皇帝として即位しました。
しかし朝鮮を巡る日本とロシアの葛藤は、結局日露戦争に発展、日本の勝利に終わったため、1905年11月、 朝鮮は外交権を剥奪されに本の保護国に転落しました(乙巳保護条約)。 朝鮮の独立のため日本を制御すべくロシアとの外交を展開した閔泳煥は憤激し、自分の力不足に耐え切れず自決しました。 そして閔泳煥と共に朝鮮王朝も5年後、日本との完全合併により、国としての存在すらも消えてしまいました。
100年が過ぎた今も、日本は韓半島周辺の強大国に変わりありません。韓半島の人々は、 歴史の中から何を学ぶべきなのでしょうか。愛知万博が開催される2005年は、韓日国交正常化40周年の年でもあるが、 乙巳保護条約の100周年の年でもあります。100年前、韓半島を保護領とした日本と、21世紀に未来志向的な韓日関係を築くためには、 韓日両国民はどんな答えを出すべきでしょうか。
つきましては、第23回歴史座談会は、韓国KBS放送が放映した 「朝鮮特使閔泳煥とロシア皇帝ニコライ2世」を御覧いただきながら、 韓日間の歴史を振り返ってみる時間を設けたいと思います。ご多忙な折恐縮ですが、 ぜひともご拝観いただきますようご招待申し上げます。なお、出欠のご予定を別紙様式にて、 11月19日(水)までにFAXにて送信していただければ幸いに存じます。

敬具

駐名古屋大韓民国総領事 柳洲烈

◆とき 2003.11.26(水)17:30-19:30
ビデオ上映  17:45-18:45

◆ところ 駐名古屋大韓民国総領事館 会議室2F
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南1-19-12

◆内容 1) ビデオ「朝鮮特使閔泳煥とロシア皇帝ニコライ2世」
上映(60分)(要約紹介 別添)
2) 討論会(30分〜45分)
  ※司会進行 当館職員 金河永(キム ハヨン)

以上