第19回 韓日歴史座談会

「朝鮮水軍、対馬の倭寇討伐」

要約紹介

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。平素は、当館に格別のお引き立てを賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、第19回歴史座談会のご案内を申し上げます。
14世紀、日本は南北朝の動乱のため、政府の権威が落ち、日本国内が大混乱に包まれたと伝えられています。 日本の混乱により、同時代である高麗末から朝鮮初期までのほぼ70年間、韓半島は倭寇という日本人海賊による略奪の被害を受け、 国全体が疲弊してしまいました。これは隣の中国(明)の場合も同じでした。明は建国初期、倭と明の建国に反対する地方豪族同士が結託することを 心配し、海禁政策を実行して倭寇の接近を防ごうとしました。また、明は倭寇掃蕩を名分に、朝鮮の支援を受け、大々的に日本を侵略しようと していました。当時、朝鮮政府は明のこのような計画を看破し、150年前の中国(元)の日本征伐("蒙古の襲来")時受けた犠牲を想起、 朝鮮初期(1419年)に独自的に倭寇の本拠地、対馬討伐を実行しました。日本の歴史書には「応永の外寇」として記録されています。 李従茂将軍が率いる大軍が10日間対馬を占領し、島主を降伏させ、朝鮮の臣下になる約束を取りつけ撤収します。その後倭寇の略奪は終わり、 対馬人には朝鮮政府の官職が与えられ、平和な貿易活動が再開されました。後に彼らは朝鮮の三大貿易港(三浦:斉浦、釜山浦、塩浦)で 居住しながら、貿易に従事しました。当館座談会の第2回に取り上げました「朝鮮時代のジャパンタウン」(2001.11.19)の時代が開いたわけです。
昔、対馬は韓国語で「トゥソム(二島)」と呼ばれており、この「トゥ」が日本語で「つ」、「ソム」が「しま」と発音され、 「トゥソム」が「つしま」と変化し、現在の「対馬」の漢字を当てたのではないかという説があります。
一時、朝鮮の島として韓・日それぞれの古地図に表記されたこともある対馬は、釜山から50キロしか離れていないため、 韓日間の様々な役割を果たしたと思いますが、21世紀の今、対馬を通じて韓日関係がより近く、両国にとって豊かさを導くきっかけにすることが重要では ないでしょうか。
つきましては、第19回歴史座談会は、韓国KBS放送が放映した「朝鮮水軍、対馬の倭寇討伐」 を御覧いただきながら、韓日間の歴史を振り返ってみる時間を設けたいと思います。 ご多忙な折恐縮ですが、ぜひともご拝観いただきますようご招待申し上げます。 なお、出欠のご予定を別紙様式にて、6月20日(金)までにFAXにて送信していただければ幸いに存じます。

敬具

駐名古屋大韓民国総領事 柳洲烈

◆とき 2003.6.24(火)17:30-19:30
ビデオ上映  17:45-18:45

◆ところ 駐名古屋大韓民国総領事館 会議室2F
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南1-19-12

◆内容 1) ビデオ「朝鮮水軍、対馬の倭寇討伐」
上映(60分)(要約紹介 別添)
2) 討論会(30分〜45分)
  ※司会進行 当館職員 金河永(キム ハヨン)

以上