第15回 韓日歴史座談会
「キトラ(古墳)のオリジナル:高句麗の舞踊塚」
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要約紹介
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拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 平素は、当館に格別のお引き立てを賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、第15回歴史座談会のご案内を申し上げます。
5世紀の東アジアには、韓半島と今の満州を中心とする巨大な国家がありました。それは韓(朝鮮)民族が興した高句麗という国でした。 当時中国内陸はいわば南北朝時代で、多くの国が南北に別れ争っていました。高句麗はその混乱に乗じて勢力を伸ばし、強大な 国となり、独創的文化を抱負に持つようになりました。当時広開土大帝の高句麗は、今の満州全体と韓半島の3分の2以上 を占める大帝国でした。その後、南北朝中国を統一した隋の煬帝が、全中国の力を合わせて高句麗を侵攻しますが、 失敗に終わり自分の国までも滅びてしまいました。その後の唐の太宗も高句麗へ侵攻しましたが、やはり失敗に終わりました。
そのような強大な高句麗のちょうど真ん中を流れる江、鴨緑江の北岸に、高句麗の首都(国内城)がありましたが、 その近辺には今も巨大な古墳群が残っています。その多くの古墳の中で、5世紀の高句麗の貴族の生活を良く表わしている 古墳が舞踊塚であります。1930年に発見されたこの古墳は、主人は知られていませんが、その壁画に高句麗人の舞踊図 が描かれていることから、舞踊塚と称されています。 舞踊塚には舞踊図以外にも、狩猟図と接客図も描かれており、さらに天井には四神とともに星宿が描かれている天文図が あります。舞踊塚の天文図は、高句麗の天文図の始まりでありました。
1983年に発見された奈良県明日香村のキトラ古墳から、高句麗の天文図に似たものが発見されました。そして7世紀に 作られたと見られるキトラの天文図の観察位置は北緯39度で、当時の高句麗の首都(平壌)であることが明らかになったのです。 高句麗の天文図が日本で発見されたということは、高句麗の貴族が日本に渡って生活していたことを意味しているのではないでしょうか。
つきましては、第15回歴史座談会は、韓国KBS放送が放映した「舞踊塚:高句麗が生き返る」を 御覧いただきながら、韓日間歴史を振り返ってみる時間を設けたいと思います。 ご多忙な折恐縮ですが、ぜひともご拝観いただきますようご招待申し上げます。 なお、出欠のご予定を別紙様式にて、2月19日(水)までにFAXくだされば幸いです。
敬具
駐名古屋大韓民国総領事 柳洲烈
記
◆とき
2003.2.26(水)17:30-19:30
ビデオ上映 17:45-18:45
◆ところ
駐名古屋大韓民国総領事館 会議室2F
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南1-19-12
◆内容
1) ビデオ「舞踊塚:高句麗が生き返る」
上映(60分)(要約紹介 別添)
2) 討論会(30分〜45分)
※司会進行 当館職員 金河永(キム ハヨン)
以上