新世紀,新しい港とまちづくりを進める会

conceptヘのひとつの提言

司馬遼太郎の「峠」という作品がある。幕末の越後長岡藩家老、河井継之助を描く。
戊辰戦争で最も激烈であった北越戦争のリーダー。思想的には知識偏重の官学「朱子学」
に疑問を感じ、当時異端であった「陽明学」に深く傾倒してゆく。時勢は風雲急、江戸、
横浜、西国に遊学する。作品で、斎藤拙堂を訪ねて津に来遊する情景が詳しく描かれる。
斎藤拙堂は藤堂藩藩校「有造館」の督学(学長)。洋学を重視、開明的で、幕末日本を
代表する三大思想家とうたわれていた。註:@頼山陽(安芸)A吉田松陰(長州)B斎藤拙堂(伊勢)
には拙堂を訪ねて、全国から高名な政治家、学者、志士が来遊している。
特筆に価する来訪者として大塩平八郎、横井小楠、吉田東洋、吉田松陰がいる。いずれも
高い識見と強烈な個性で、日本を維新へと導いたリーダー達だ。ここまで述べれば何処
にでもある単なる郷土自慢だ。そうではない。話を海に転じたい。
海辺に立てぱ、人は海原の向こうの世界に心がゆく。
勇気や雄飛のimageが拡がる。山口の萩。 海辺の寒村といってよい。小さく狭い(6畳程度)
私塾は日本を動かす多くの英傑を輩出した。 夢と希望を語る人(松陰)だけでは説明できない。
風景が必要だと思う。 しばし萩の菊ケ浜の夕景を見てほしい。 次は言わずと知れた桂浜だ。
竜馬が少年時代 倦むことなぐ見ていたという世界地図が残っている。
結論にもってゆきたい。「新・港とまちづくり を進める会」のコンセプトへの提言のつもりである。
海が見える。港がある。世界に飛び立てる空港も 見えるそんな風景が、今目の前につくられようと している。
その風景の中で若い人達に希望を伝える ことのできる空間が創出されることを望みたい。

 

平成13年7月9日