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[参考]伊勢志摩観光における問題 - 【風来坊】 2003年2月11日(火)23:35 No: 9



[参考]伊勢志摩観光における問題
記事No/ 9 (親記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月11日(火)23:35
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
某個人サイトからの全文転載です。
非常に示唆に富んだ内容だと思います。

++++++++++++++++++++++++++

このレポートは、カッチイが、某講座に参加して、伊勢・志摩に研修旅行の課題として、伊勢の賢島を素材として、「伊勢志摩観光における問題」をレポートを書いたものである。自分のHPだから、発表しちゃおう。
まあ、ささやかながら、生意気にも、現在の国内観光業に対する批判(言いたい放題?)を試みたものである。大変長文。読んでくださる方、根気に感謝します。2000年10月作成

レポート 伊勢志摩観光における問題
特に、賢島をケーススタディとして

 はじめに

三重県が、今までに増して、観光振興に力を注いでいることは、観光博に訪れても、他県を圧倒して、広いブースを確保して、宣伝に努めていることで感じていたが、実際、メディアに登場することも多かった。雑誌版のガイドブックも、JTBの「るるぶ」から「伊勢・志摩」、 昭文社の「マップル」から、「伊勢・志摩 パルケエスパーニャ」「三重」、ぴあから、「三重とあそんで」のタイトルで、2000年度版が出版されている。

三重県の豊富な観光地のなかにあって、「伊勢方面」というのは、最も知られた観光地である。今回の研修旅行で、この「伊勢方面」を訪れ、賢島の松井真珠店の松井耀司 氏 にお話を伺い、現在の「平成不況」のあおりで、賢島観光の苦しい現状を知るにおよんで、その分析を試みたいと思うに至った。

1章で、「伊勢・二見エリアの区分と、観光地としての特性」、2章で「鳥羽エリアの区分と観光地としての特性」、3章で「志摩エリアの区分と、賢島観光の推移と現状」、4章で、「賢島以外の志摩エリアの観光」、 5章で、「今後志摩エリアを盛りかえすために」について述べたい。

私は、長年、観光業の周辺での仕事に携わってきたので、その経験を生かした視点で、レポートを書き進めたいと思う。ガイドブックと違い、観光地の特徴を挙げ、批判もし、現在の観光開発のありかたに、思うところを述べたい。

今回は、前述の賢島の松井真珠株式会社 代表取締役 松井耀司 氏
阿児町商工観光課 中村課長
阿児町観光協会 会長 大屋 善臣氏 に取材させていただいた。
心からお礼申しあげたいと思う。

1章 伊勢・二見エリアの区分と、観光地としての特性

(面積、人口のデータは、マップル三重 2000年版 昭文社)

伊勢エリア
伊勢市 面積179.00 Ku 人口102.323

<観光地としての特性>
伊勢エリアの観光の中心は、なんといっても「お伊勢さん」さんの名で知られる「伊勢神宮」である。伊勢神宮は、天照大神を奉る全国10万の神社の本宗であり、2000年余の歴史を誇る最も尊い聖域で、「伊勢」の代名詞である。一生に一度は参拝したい外宮から、内宮へ「祈りの道」といわれるが、うっそうとした杉木立の参道は、簡素で、歴史的重みは、熟年層には、理解されても、若い世代には、どうであろうか?皇室との深いつながりは、思想的な立場から、受容しにくい層もあるだろう。私にとって、「伊勢」と最初の出会いは、多くの関西の中学生と同じように、修学旅行であった。団体で、引率されて、玉砂利の道をぞろぞろ歩いた記憶しかない。伊勢・志摩方面の交通の要となる「近鉄」(近畿日本鉄道)の最近の広告は、伊勢名物「赤福」本店の奥座敷の写真で、見出しは、「もう一度、修学旅行をします。」「イセ旅行」(大文字で)である。「伊勢」は、「イセ」と広告される時代なのである。この現代のニーズにあった観光開発が、なされねばならない。

伊勢詣でのあと、観光客の楽しめる消費スポットの実現は、伊勢観光を訪れる観光客の減少をくいとめるために、大きな課題であった。その要請に応えて6年前にできたのが「おかげ横丁」であるが、これが成功している。「おかげ横丁」は、旧参宮道(現、おはらい町通り)を中心とした、おはらい町の一角にあり、江戸末期から明治初期の風情をテーマに、伊勢路の代表的建築物が、移築、再現されている。「おかげ」のネーミングは、江戸時代、「お伊勢さん」への熱狂的な参宮客を伊勢の人たちは、「おかげの心」で迎えたということに由来している。20棟、31店舗が立ち並び、グルメ、ショッピングといった観光客の欲求が、大いに満たされている。古き良き時代の風情を、観光客は、町並みまるごと体験でき、旅の空間を満喫できるのである。伊勢の地場産業の発展に寄与する、この「おかげ横丁」の成立のリーダーシップをとったのは、300年近い老舗で、超優良企業の「赤福」であるとされる。おかげ横丁では、四季を通じて、さまざまなイベントが開催される。

おかげ横丁で、私が興味をひいたことは、2つある。ひとつは、テーマ館「おかげ座」である。江戸時代の「伊勢へと向かうおかげ参り」の様子をからくり人形が、解説する。さらには、映像プロジェクターを駆使したマルチスクリーン映像で、「おかげ参り」の歴史を、上手く見せているのに感心した。入場者が、「おかげ参り」を擬似体験できる工夫がなされている。

2つめは、美術館・文学館の「徳力富吉郎版画館」と「山口誓子俳句館」の存在である。

徳力富吉郎氏は、伝統に根ざしながら、多色刷りの版画を大成した90余歳の版画家で、展示されている版画は、どれも品があり、美しい。山口誓子氏は、昭和・平成俳壇の頂上に輝く俳人であるが、ウイット富む俳句が、人の心を打つ。この二大家の記念館が、ここ伊勢にあるのは、「赤福」に関係する。「赤福」の包みに入っている「伊勢だより」というしおりに、徳力富吉郎氏が、毎日絵を描き、山口誓子氏の俳句が掲載されているのだ。両氏の業績を「赤福」が、たたえ、お二人の許しを得て、記念館を設立したということである。「赤福」が、おかげ横丁の一角に個人記念館を設立し、文化的観光資源の開拓に努められたということは、有意義なことであると思う。両館に、「赤福」の名は、パンフレットの片隅に出てくるだけなのも、スマートでいいと思った。

あと、勢田川ぞいに約1kmにわたってのびる「河崎」のたたずまいが、散策コースとして有望であると思う。ここは、お伊勢参りが盛んだった江戸時代に「伊勢の台所」といわれたところで、参拝客をもてなすための物品を扱う問屋が軒を連ねて賑わったところである。昔をしのばせる酒問屋や、川べりに並ぶ蔵など、風情のある町並みは、魅力的である。

二見エリア
二見町 面積 11.91Ku 人口 9.142 人

御園町 面積 6.05Ku 人口 8.700 人

小俣町 面積 11.56Ku 人口 18.351 人

玉城町 面積 40.95Ku 人口 14.316 人

度会町 面積 134.97Ku 人口 9.138 人

<観光地としての特性>
伊勢の東の海岸は、「二見ケ浦」と呼ばれ、伊勢神宮の参拝客が、ここで、禊ぎをしたころから、古くから宿泊地として開けたところである。海に浮かぶ大小二つの夫婦岩を御神体とし、「日の出」を逍遥する参拝客でにぎわった。しかし、「日の出」の時間に居合わせることは、一般の観光客には、難しく、志摩半島の観光地が発展するにつれて、二見は、通過型の観光地になっていった。その観光客の流れに、歯止めをかけようと安土・桃山時代のテーマパーク「伊勢戦国時代村」ができたが、車道沿いに、突然けばけばしい、セットの「お城」の登場し、「戦国ワールド」にタイムスリップといわれても、不自然さを感じてしまうのは、私だけだろうか?全部で6つある劇場が、約30分でそれぞれのショーを催しているのが売り物だが、体感型、参加型のショーアップに、受けねらいのあざとさがみてとれはしないか?演出と役者の演技で、引き込んでいけるのが、子どもしかいないのなら、このアミューズメントパークの発展は難しい。

2章 鳥羽エリア区分と観光地としての特性

鳥羽エリア
鳥羽市 面積 107.86 Ku 人口26.053 人

<観光地としての特性>
「伊勢・志摩国立公園」というが、そこに鳥羽は入っていない。一番、観光開発が進んでいる地域なのに、ここに「鳥羽」のジレンマがある。観光資源の豊かさにおいては、「伊勢・志摩」を凌駕している。この鳥羽で、1893年、御木本幸吉が、半円真珠の養殖に成功したが、その地が、「ミキモト真珠島」となっている。女性客なら、目の保養にも足を運びたくなるところだ。マリンスポットとして、鳥羽湾めぐりの途中、イルカ島にも立ち寄る。イルカやアシカのショーを見ることができ、ファミリーには、喜ばれるだろう。文化的観光資源として、800種2万点を飼育する日本最大級の「鳥羽水族館」、海と人との関わりをテーマにした、文化財5万点を展示する「海の博物館」など、多彩なみどころがある。それだけに、一番、観光産業に飲み込まれた「俗化」が進んでいるエリアといえるかもしれない。素朴な旅情を楽しみたかったら、鳥羽湾に浮かぶ、菅島や答志島や神島などの離島へいくとよい。

3章 志摩エリア区分と賢島観光の推移と現状、

志摩エリア
磯辺町 面積 78.19 Ku 人口 9.827 人

浜島町 面積 27.63 Ku 人口 6.397 人

阿児町 面積 43.88 Ku 人口 23.174 人

志摩町 面積 17.01 Ku 人口 15.824 人

大王町 面積 12.90 Ku 人口 9.031 人

南勢町 面積 109.80 Ku 人口 11.078 人

南島町 面積 132.97 Ku 人口 9.010 人

<賢島観光の推移>
志摩半島は、紀伊山地の東端が、沈水した地形で、海岸は出入りの多い典型的なリアス式海岸になっている。前述のごとく、御木本幸吉が鳥羽湾で、真珠の養殖に成功して以来、志摩半島は、「真珠王国」として世界的に注目されるようになり、養殖は、鳥羽湾から、奥志摩の英虞湾、西の五ケ所湾にまで拡大した。

奥志摩は、7つの町からなり、そのなかの阿児町にあるのが、賢島である。私は、9月19日に、賢島を訪れ、この地に創業明治38年という老舗「松井真珠店」の 松井耀司 氏に賢島の観光の問題について、お話を伺う機会を得た。

賢島の観光の落ち込みを論じることは、日本の国内観光の問題を論じることでもあり、賢島は、そのケーススタディであると考える。では、まず賢島観光の推移と現状について、触れたい。

戦前から、真珠が自生し、風光明媚な土地柄として知られた阿児町にある賢島は、英虞湾の要所として、島々との交通網の起点となり、真珠産業が盛んになると、観光開発にも力が注がれた。真珠産業の関係者で、資産家となった人たちは、多くが「文化」に造詣が深く、賢島を「海の軽井沢」にしたいと考えたようだ。大阪、名古屋から、近鉄特急が乗り入れ、戦後まもなく大型リゾートホテル「志摩観光ホテル」が開業した。

賢島の魅力とは何か?改めて考えてみよう。まず、遠くに入り江や岬が見え、近くには、真珠筏の浮かぶ美しい景観、そして、なにより豊穣の海もよってもたらされる海の幸。伊勢えび、冬のかき、夏のあわびを初め、枚挙にいとまがない。志摩観光ホテルの創業者

川口白吉氏は、「海の幸のフランス料理」を開花させる高橋シェフをフランスに留学させるなど、人材の育成にも余念がなかった。「火を通して新鮮、形を変えて自然」をテーマにした極上フレンチは、美食家の間で、全国的に知られるようになった。

リゾートというのは、“見物”目的の「観光地」とは、一線を画して「滞在型」の空間といえるだろうが、最近では、スポーツ・レクリエーション活動、さらには、リラクゼーションの基地としての色彩が強くなっている。賢島にはリゾート施設として、賢島エスパーニャクルーズ、英虞湾めぐり観光船、志摩マリンランド、賢島フィッシングセンター、賢島テニスガーデン、賢島カントリークラブなどが、そろっている。賢島は、「志摩観光ホテル」以外にも、近鉄グループの和風高級リゾートホテルの「賢島宝生苑」など、10ほどの大型ホテルがある。阿児町のなかでは、100軒ほどの民宿もあるのであるが、志摩エリアのなかで、上記、近鉄系列のホテルのイメージからか、賢島は、高級リゾートとしてのイメージが定着するに至っている。

<賢島観光の現状>
阿児町商工観光課によると、阿児町全体(阿児町は、後述の神明を含め。7つの字から成る)では、平成9年度、この地を訪れた観光客数は、1.863.908 人であり、平成10年度は、1.650.228 人である。賢島のある神明では、平成9年度 1.271.266 人であり、平成10年度 1.070.383 人である。つまり、賢島を訪れた観光客が、およそ20万人減少しているということである。

@この理由に何が考えられるであろうか?まず、バブル崩壊後、現在の「平成」の不況が、最も直接的な原因と考えられる。2世紀も終わりを迎え、ヒトの流れ、カネの流れ、モノの流れが、今までとは、違った激しいうねりとなって広がっている。多くの企業が、倒産、再編成を余儀なくされ、日本の行政システムも、大きく揺さぶられている。「リストラ」が進み、「失業」もやむなく続出している企業社会に生きる各個人の消費は、大いに抑えられた。関西の場合、阪神大震災の影響もある。本来、個人生活の余剰の部分で成り立っている「観光業」は、最も早急に、打撃を受けている。「宴会」や「慰安旅行」を含む大人数の利益の見込まれる「企業」がらみの団体旅行の顧客は、大幅に減少した。各地の観光地では、必死の顧客獲得のため、争って、「価格破壊」をおこなっている。従来、消費者が持っていた「価格」の概念は、現在の「価格の実態」とは、ギャップを生んでいる。かつて1泊数万円もした憧れのリゾートホテルに、いくつかの条件つきとはいえ、1泊1万円で泊まることができる。例えば、大阪発の北海道、あるいは、沖縄ツアーなど、ホテル、食事、飛行機代までついて(もちろん条件つきだが)一人2―3万円で行くことができる。このような状況にあって、賢島を訪れていた関西圏の観光客は、今年のトレンドとして、「しまなみ海道」や「瀬戸大橋」など方面に流れたのかもしれない。

A現在の円高の経済状況では、実施時期、渡航先によっては、国内旅行より、廉価で行ける。海外旅行は高く、国内旅行の方が安いという価格の概念は、全く消え去った。5万円の予算があれば、ソウルに飛んで、本場の焼き肉をたらふく食べて、すてきなシティホテルに泊り、韓国エステでリラックスして、各種スポーツに興じて、ブランド品ショッピングを楽しんで帰って来ることができる。高級和風旅館で、ちょっと美味しいものを出してもらえば、1泊最低2万円以上はする。低廉価対策をどう工夫するかは、特に「旅館」では、大きな課題である。従来のシステムのまま、単に売り値を下げるとは、自らの首を絞めることに等しい。「ダンピング」を続けると、当然、財務的に逼 迫し、いろいろなところに無理が生じる。その結果、品質の低下を引き起し、劣化商品を、ただ安く売らざるを得なくなり、ますます悪循環にはまりこんでいく。顧客の満足度を無視した、廉価商品は、生き残れない。低廉価を設定し、維持していくためには、それなりの準備とシステムを駆使しなければならない。それには、綿密な経営戦略が必要である。

B実際のところ、「近鉄」系列のホテルの「志摩観光ホテル」「賢島宝生苑」パルケエスパーニャに隣接する「ホテル志摩スペイン村」南スペインのリゾート風ホテル「プライムリゾート賢島」などは、それぞれコンセプトの違うホテルであるが、いずれも一泊2万円近いの大型ホテルであり、収益は、よくないようだ。 それぞれの社内で、「リストラ」も進んでいるという。「志摩観光ホテル」の規模縮小もささやかれている。しかし、中・小規模の宿泊施設で、独自の工夫で、顧客をつかんでいるところもある。たとえば、今回の研修旅行で泊まった南鳥羽・相差の「潮美館」は、パールロードの開通で、便利になったとはいえ、鳥羽から、車で30分以上かかる立地条件である。客室数25で、4階建てながら、エレベーターがない。旅行会社とのタイアップも少ない。広告をメディアに載せるわけでもない。クレジットカード払いもできない。しかし、元海女のおかみさんと、魚の仲買人である御主人の目利きで、すばらしい海の幸の料理の数々を提供し、1万円からという値段設定である。旅の楽しみは、やはりお湯の楽しみと自覚されているから、大浴場と家族風呂を用意し、大浴場は、岩風呂とひのき風呂がある。各客室は、清潔で、メインテナンスも行き届いている。従業員の応対も、明るく親切である。コストをかけるところの選択に、独自性があるのである。このようなサービスのありかたが、結局は、客の満足につながり、リピーターの確保につながっているのである。大型ホテルは、建物施設等の設備投資が、巨額で、維持費も大きい。施設活用の無駄、倉庫管理、昼間商品の開発による大広間、コンベンションホール、レストラン、ショッピングゾーン、風呂等の効率化、採算化を図らねばならない。いたずらにイベントを連発することが、収益増加になるとは、思えない。

C現在、夕食を宿泊場所でとらない客が増えているという。若者などは、できるだけ安い宿に泊り、食事も、近くの「コンビニ」で、買ってきて済ませることも多いという。安価に楽しめる海水浴などのアウトドアスポーツを楽しんで、現地のおみやげも買わずに帰っていくのだそうだ。私は、個人的に、今後は、イギリスのB&Bのような朝食のみを提供するホテルが、よく利用されるようになるのではないかと思う。1泊2食つきの宿泊は、夕食の押し売りをされているととる考え方もありえる。「旅館」であると、到着すると、「あいさつ」を受け、荷物を持ってもらい、客室に案内される。そして、部屋に入ると、三つ指をついての挨拶を再び受け、お茶をいれてもらって、こと細かく館内の説明を受ける。「自分で、部屋にもいくし、お茶も自分でいれるよ」と考える客もある。また、夜になると勝手に部屋を入ってきて布団をひいていく。朝は、まだ寝ていたいのに、布団をあげるために、たたき起こされる。「お客の頼みもしなサ―ビス」とこれらを、解釈し、B&Bスタイルに切替えれば、人件費を下げ、施設費の削減化が図れる。

Dまた、アウトドア志向のファミリー向けには、キャンプ場のバンガロー施設、オートキャンプ場の利用 の増加は、今後見込めるように思う。個人の都会の住宅も、こぎれいになっているので、古い民宿の畳の 部屋に抵抗感をもつ層もあるだろう。新鮮な魚も伊勢 でなくても、どこでも食せられると考えるかもし れない。しかし、都会では、この伊勢の豊かな自然だけは、味わうことは、できない。家族とともに、語 らいの時間を持ちながら、バーベキューをするのは、よき思い出になるだろう。さらに観光客に対して、 自然と密着した、その地ならではの体験型の過ごし方を、観光地が、インストラクターをおいて、さりげ ない指導、管理をしていくのは、望ましいと思う。

以上の、A―Dのことは、なにも「賢島」にかぎらない国内宿泊施設の現状であり、問題点の指摘である。従来の宿泊施設のままでは、客離れを止められないであろう。

E賢島は、上品なリゾート地として、発展を遂げただけに、「夜」の遊びができるところは、少ない。夜、雨でも降っていれば、静かで活気に乏しい。「安心できる」という一面もあるが、夜も元気に遊びたい層のエネルギーを、上手く取り込んでいく必要がある。風俗が乱れるという方向ではなく、女性客でも、静かにお酒が飲めるバーや、しゃれた音楽の聞ける小さなコンサートがあればいいと思う。今年の夏、小豆島に行ったとき、地元のホテル何件かが、泊り客を集めて、「星を見にいくオプショナルツアー」を催行したのに、参加したが、流れ星を見るというのは、貴重な楽しい経験だった。最近、夜の水族館のバックヤードツアーなども、魚の夜の生態を見るという面白さが、受けているという。真珠の筏が浮かぶ英虞湾の夕日の情景は、賢島の売り物の1つであるが、日が沈んだあとも、開拓の余地のあるであろう。

4章 賢島以外の志摩エリア

志摩エリアのなかで、現在もっとも、大規模な観光資源となっているのは、磯辺町には、鳴り物入りで、5年前に開演したテーマパーク「パルケエスパーニャ」である。テーマパークは、昨今、大流行で、全国いたるところに出来たが、突出して成功しているのは、「東京ディズニーランド」だけだろう。オープンのときには、大キャンペーンを配して、相当数の入場者を呼び込むが、年々減少していくところが多い。「パルケエスパーニャ」も例外でなく、初年度、入場者数450万人であったのが、現在では、年間240―250万人に落ち込んでいるという。伊勢志摩の観光開発にとって、「近鉄」の関わりが、絶大で、「パルケエスパーニャ」も、近鉄のプロデュースによるものであるが、何故、志摩に、スペインの「テーマパーク」なのであろうか?長崎とオランダの「ハウステンボス」のような歴史的関連は、見出せない。私は、テーマパークの子どもだましのちゃちさが、好きではない。「パルケエスパーニャ」は、シウダート(都市)、フィエスタ(祝祭)、テイエラ(大地)、マール(海)という4つのエリアに分けているのであるが、それぞれのエリアに、ショッピングとレストランとアトラクションをてんこ盛りに、盛り込もうとするので、各エリアの特色は、際立たないように思える。主に、「フィエスタ」(祝祭)のエリアで、ジェットコースター「ピレネー」など、スリリングなアトラクションが集中しているのであるが、5周年記念として、「炎と洪水のスペクタルショー」として、新たに「ロストレジェンド」を登場させた。最新技術を駆使した特殊効果と音響で、キャラクター達が、繰り広げるショーに、引き付けられるのは、一部の層だけであろう。大人の鑑賞には、耐えられないと思う。

「パルケエスパーニャ」で、評価できるのは、スペインの味を、豊かな志摩の海の幸を使って、再現している点である。スペイン庶民の憩いのスペース、バル(居酒屋)で出されるタパス(つまみ料理)やパエリヤは、日本人の味覚に合うものであるから、フレンチやイタリアンと違う洋食としても面白く、幅広い層に受け入れられやすいと思う。また、「パルケエスパーニャ」には、サンタクルス通りを中心に、豊富な品ぞろえの多彩な店がそろっている。スペインメイドの雑貨、工芸品は、今までショップゾーンとして大規模に紹介されたことがなかったから、スペイン情緒のあふれるおみやげ選びは、観光客には、楽しいだろう。「パルケエスパーニャ」の名が入っているキャラクターグッズは、ここに来た証拠となるので売れる。志摩の名産の「真珠」に比べて、安価にバラエティに富んだ商品が購入できるので、おみやげの購入は、ここで済ませてしまう観光客が多いと思う。「パルケエスパーニャ」へのアクセスとして、自動車で行く場合、夏場ひどい渋滞になる。それを避けるべく「近鉄特急」を利用する客が増えたかというとそうでもない。実際は、訪問客数そのものが減少した。高級な「ホテル志摩スペイン村」に宿泊せず、「日帰り」する客が増加した。「パルケエスパーニャ」の開園は、志摩の周辺の地域にも、波及効果がもたらされると期待されたが、現実はそれほどでなかった。賢島から、「パルケエスパーニャ」までは、直通バスで15分の近さなのだが、阿児町をはじめ、志摩エリアに宿泊する観光客に、伸びは、あまり見られなかった。(阿児町商工観光課調べ)不況の前なら、伊勢方面の観光ということで2泊くらい予定で来る客も多く、「伊勢神宮」や「パルケエスパーニャ」といった観光資源周辺に、宿泊客が分散していたが、現在は、旅行そのものをとりやめるか、出かけても「日帰り」するのが、観光客の動向なのである。

5章 今後、志摩エリアを盛りかえすために

9月27日京都の近鉄百貨店で開かれた志摩エリアの7町の観光キャンペーンに訪れて、阿児町商工観光課の中村課長に、お会いし、各町の観光パンフレットもいただいて帰ってきた。

T 阿児町には、賢島のある神明以外に、有望な観光地として、 阿児町商工観光課 中村課長阿児町観光協会 会長 大屋 善臣氏の両氏から、名前があがったのが、「安乗(あのり)」である。漁師町でも「安乗」では、これから「フグ」が水揚げされる。伊勢えび以外の海の幸として注目されている。また「安乗埼灯台」から見る太平洋と的矢湾の景観は、印象的で自然観光資源として価値が高い。「安乗」の誇る文化資源として国指定無形民俗文化財の「人形芝居」が挙げられる。不況の影響で、この地も、観光収益は、減じているがバスにのみ頼っている交通の便を整備すれば、将来性のある観光地であると期待されている。

U 志摩エリア、奥志摩7町の各観光パンフレットを見て思うことは、町の魅力を紹介するのに、抽象的であるより、具体的であるほうが、インパクトが強いということだ。若い女性モデルが、温泉に入っているところや、観光資源の前で、笑顔を向けている写真を前面に押し出し、口当たりのよいキャプションや見出しをつけているのでは、伝えようとするイメージがあいまいな印象を受ける。私が、面白いと思ったのは、白亜の灯台、石坂や石畳の多い町並み、登茂山の夕景など、絵になる風景をもつ「大王町」が、まさに、その点をとりあげ、平成8年3月に「絵かきの町」宣言し、そのことを打ち出したパンフレットである。絵画展の「大王大賞」の作品を募集案内、スケッチポイントを案内したガイドマップ、絵描きさん、カメラマンを対象にした平日宿泊プランの案内 などは、要を得て、見たものを引き付ける。

V さて、最後に、今回、賢島を取材して、現在の観光開発のありかたに、私の思うところを述べ、現在の志摩エリアの観光エリアを盛り返す考察をしたい。観光収益の落ち込んでいる現状を、不況の責任だけにするのでなく、自己分析の結果、自己努力が必要であると考えるからである。そうでないと、ますます海外旅行に客足は向き、国内旅行の未来は、暗い。

現在の観光開発の方法としては、官民混合の方式である第三セクター方式が圧倒的であるが、開発の基本構想から、開業にこぎつけるまでは、もちろん果てしもない大事業である。昭和63年に、@国民の余暇増大への対応、A新しい地域振興策の展開、およびB内需指導型経済構造への転換を目的とする、「総合保養地域整備法」(通称「リゾート法」)が制定され、三重県は、、「三重サンベルトゾーン」構想を策定し、重点整備地区として国の承認を受けた。それにより、資金面、税制面などで、優遇措置が取られることになったのだが、全体計画が、上手く機能したのか、知りたいと思う。

私は、ドイツ滞在中、ハイデルベルク観光局の公認ガイド養成講座通い、その際(1991年)観光局から、観光開発の方法について講義を受けたときのことを、思い返して、日本の観光開発のありかたと差異を感じる。トラベルジャーナル紙1999年2月8日号に、観光開発の事例報告としてハイデルベルクのことがが載っているので(98年11月26日 WTO会議から)引用する。ドイツ最古の大学と古城のある古城街道の名所であるハイデルベルクには、現在、年間350万人の観光客が訪れ、(うち80万人は、宿泊客)観光は、ハイデルベルクの雇用の5%を占め、市の総生産の5%を生み出している。「観光開発にとって、最も重要なことは、明確な目標とそれを達成させるための綿密なプランをたてることである」と、欧州旅行委員会常務理事 ウォルター・ロイ氏は、言い切る。「ハイデルベルクの場合、政治、経済、文化、科学の代表者が集まり、観光地としてのメリットとデメリットを整理し、以下の課題について徹底的に議論した。どのような方向に町を発展させたいのか。その目標を達成のために取り込める素材、文化的、知的資源の追求。周辺地域、国との関係。ハイデルベルク独自のセールスポイントと競合相手、等など。」

日本の場合、まず何より行政と民間との話し合いを重ねるという過程の欠如が、私が、実は、今回の阿児町の取材で最も感じたことなのだ。野村総合研究所の試算によれば、西暦2000年に日本のリゾート市場は、12兆円規模に達するとされ、きわめて魅力的市場であり、それだからこそ、各町、各企業、観光開発に向かったのであるが、ここにきて、さまざまな問題を抱えるにいたっている。

第1に、各地域の開発のモデルが、名所スポット、アミューズメント・スポーツ施設、祭り、グルメ、御土産、など類似しており、個性に乏しい。奥志摩7町のパンフレットを見ても、それを感じる。奥志摩という狭い地域における地域間競争の問題の噴出が想像される。

第2に、観光開発に関する各種規制の問題である。たとえば、志摩の場合でも、マリーナ施設の開発するにあたって、漁民との漁民権の問題など、観光に直接、生活圏をもたない人たちと、観光開発について、コンセンサスがとれていないという現実がある。自然に手をいれるにしても建築物を建てるにしても、きびしい条例がある。しかし、私が疑問なのは、規制のあるなかで、統一した景観を、なぜ整備することができないのかということである。例えば、志摩の英虞湾遊覧では、近鉄志摩観光汽船であるからか「賢島エスパーニャクルーズ」と称し、スペインの8―15世紀に活躍した「コグシップ」をモチーフにしたど派手な帆船型遊覧船が、静かな英虞湾をめぐり、降りてきたら、創業明治38年の老舗「松井真珠店」のレトロな風格あるたたずまいが目に入る。南フランスの「プロバンス」が、数年前流行したからといって、まっ黄色の外装のホテルが立っている。このミスマッチには、理解に苦しむのである。

第3に、休暇の問題である。長期休暇制度が定着して、初めてリゾートライフが国民のものになるはずなのに、日本の休暇制度は、他の先進国と比べて、著しく遅れている。日本で、連続した休みというと、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始の「長期の休み」を考える。これは休暇というよりも、職場全体が休みに入る「休日」である。個人で都合のいい日を決めることが出来ず、会社全体が同じ日に一斉に休む。フランスやドイツでは、休暇とは、個人的なもので、働いている人自身が、自分の休む日を、最低5―6週間とるものなのである。

日本の働きざかりの人は、日々の家族の生活を支えるのに、精一杯で、「ゆったりすることが最高の贅沢」といったリゾートライフを楽しむ時間もすべも持たない。最近の傾向として、仕事をリタイアした熟年層が、志摩にも移住してくる傾向が強くなっているという。

1000―2000万円で、都会で望めない広さのマンションを購入して、家庭菜園にいそしむ人たちが、多くなってきているというのだ。熟年層といえども人口が、増加することは、税収の増加が見込め、消費の拡大につながる。ゴミ問題をはじめとした環境問題に留意して、地元民との「共存」があれば、豊かな老後が送れる。定年後の移住という形になって、日本人は初めて、究極の「リゾートライフ」を実践できるのではないかと言われた阿児町商工観光課の中村課長の言葉が、印象的だった。

W 良質の観光開発は、日本にとって、きわめて重要な課題である。そのためには、なにより、行政と民間の政治、経済、文化の代表者が、集まり、継続的な議論をすることが求められる。それぞれの業界において、個々の利益を得るために、他との差別化を、いたずらに図るだけでなく、議論の末、「共同の利益」のため統一的な観光指針を確立すべきである。

すなわち、環境面では、公害が少なく、「地球に優しい」観光形態の構築を目指さねばならない。その目指すべき政策目標に到達するために、必要な条例の制定も急がれる。長期的展望にたち、クオリティの高い、観光形態の維持に、力を注がねばならない。

経済的側面では、年間を通じての安定した観光客の確保、宿泊型観光のための努力が、望まれる。社会、文化面では、エリアの特徴を知り、その良さを守らねばならない。往々にして、その地に暮らしている「地元民」は、その町の良さがあたりまえになっていて気づかない。「日本旅のペンクラブ」のような旅行を仕事にする専門家の意見に、耳を傾けることも、よいヒントを与えられることになろう。

観光客を呼び込むために、女性客、ファミリー、熟年層と、それぞれの観光に望むものを、徹底的にリサーチし、見えてくるものは、価値観の多様化であると思うが、その複雑さにお手上げ状態となるのではなく、どの層にもうける観光施設よりも、大胆ながら、ある層に受け入れられる観光形態を追求していっても、面白いのではないかと、個人的に思っている。その中で、一人旅のしにくいこの国で、肩身の狭い思いをいしていたシングル層(特に女性)と、自由になる時間と、ある程度の経済的余裕がある熟年層に、ターゲットを絞れば、有望ではないかと感じている。

観光をなりわいにするのは、難しい。しかし、「旅」という非日常が、私たちに、小さな元気を与えてくれることは、間違いない。観光開発の困難な状況を乗り越える試みが、21世紀には、実を結ぶことを祈りたい。

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