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[参考]パネルディスカッション(滋賀) - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:22 No: 16
.........◆ 分科会A <「観光地づくり」とは「まちづり」> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:24 No: 17
..................◆ 分科会B <豊かな資源を守り育てる観光づくり> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:27 No: 18
...........................◆ 分科会C <滋資県の集客力は強いのか弱いのか?> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:29 No: 19



[参考]パネルディスカッション(滋賀)
記事No/ 16 (親記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:22
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
パネルディスカッション

コーディネーター 井戸庄三(滋賀医科大学 教授)

パネリスト 広野敏生(まちづくりプロデュサー・株式会社創造工房ダ・ピンチ代表取締役)

前田弘(阪南大学国際コミュニケーション学部 講師)

高崎邦子(JTB日本交通公社 関西営業本部 広報課長)

 

○井戸

今日は、「湖国の魅力をどうお伝えしていますか?」という、大変アトラクティブなキャッチフレーズをつくっていただき、観光専門の3人の先生方を県外からお迎えしております。湖国滋賀県の魅力を、客観的な視点で捉えていただき、新たな魅力の発見や、アピールの仕方などの勉強をさせていただこうと思っています。

○広野

私は医者として、内分泌内科で、環境によってホルモンがどう変化するかというようなことを研究していたのですが、やればやるほど、人間の体というのは随分周りの環境に影響されるということがわかってきました。

いろんな町に寄せさせていただくたびに、ついつい町の元気度を診察してしまいます。元気のない、さびれている町というのを診ていくと、どんな素晴らしい資産があっても、人は集まってきません。だから、今日私は、どうすれば町が元気になるのかという観点でまちづくりを見直す必要性をご理解いただきたいと思っています。

もう一つは、まちづくりにおける大都市志向あるいは画一化について言及したいと思います。観光の一つのキーワードは「違い」だと言えるでしょう。「違う」ということを明確に見せていくこと、「違い」に自信を持っていくことが観光というものの中で大切なことではないかと考えているのです。

○前田

私が文化人類学者として研究していた伝統社会というのは、もともと観光とは相入れないものです。ところが今、伝統社会というのはまさに観光資源そのものになり得るものでもあります。

私は熊本大学で研究をしていたことがあるのですが、熊本県には94市町村のうち54町村が過疎です。農林水産業が非常に衰退していて、どうやって生き延びるかというのが大きな課題でした。そこでは観光は観光客と観光業だけのものではなく、むしろ観光客を嫌っていた農林水産業の人たちが一緒に加わって、村全体の業として観光をつくっています。そういう意味で、私は、観光でない部分も観光になりつつあるのだという意識を非常に強く受けました。

ところが、ここで滋賀県の観光の様子を見ると、私が熊本で体験したものと全く違った豊かさがあるので、ちょっと驚いています。その驚きも含めて、滋賀県の観光というものを考えていきたいと思います。

○高崎

観光産業というのは、21世紀の基幹産業になると言われていますが、そういう中で観光地間の競争が非常に激しくなってきています。お客様にとっては、非常に旅が身近になりました。そうなると、観光地を見る目というのはどんどん厳しくなってきます。

そういった中でこれからどのように観光地を考えていくのか。これからは、中・長期的なビジョンで1つのものをつくるということが、大事なのではないかと思うのです。その町で本当に暮らしている人、生活の場が1つの観光素材であるという考え方で、腰を据えて長期的な視野で発信して、発展させていかなければ、観光というのは長続きしないのではないかと思うのです。

観光というのは「国の光を見る」と書きますが、もしかすると観光素材というものは、光だけでなくて、生活そのもの、もしくは混沌としたもっと闇の部分みたいなものも含まれるのではないかと思っています。

○井戸

今、観光に関する総論的なものをお話しいただきました。その土地でたくましく生活している人たちの暮らし、生活なども観光にとって大事なことではないかというご指摘だったと思います。

それでは、今度は滋賀という地域と結びつけた上でお話をいただきたいと思います。

○広野

先ほど、中国の楊先生のお話を聞いて、国を挙げての観光政策というのはすごいなと思いました。10年経てば、日本人の中国への観光旅行はますます盛んになるでしょう。では中国の人は滋賀に来てくれるのだろうかということをチラツと考えました。昔、私が中国からのお客様をお迎えした時、界隈性のある大阪の通天閣のあたりに行くと大変喜ばれました。やはり違うもの、自分たちが持ってないものに対する意識をどうつくりあげていくかが、観光のひとつの課題だと思います。

そういう意味で見ると、滋賀県は風光明媚であり、大きな琵琶湖があり、山々もあり、本当にいろいろなものに恵まれています。でもそこに住む人の息づかい、熱意、愛着というものを感じさせなければ、各々の違いが明確になりません。それぞれの町の違いを1つのストーリー化していくことも、これからのまちづくりの中では大切なこととなるでしょう。滋賀県、特に琵琶湖を囲むそれぞれの町の個性の発揮というのが重要だと言えます。

今日、私が分科会でお話をしたいと思っているのは、元気な町をつくるためにはどうしたらいいのかということです。まず、自分たちの町の再発見・再認識させるための人の輪づくりから始めなければなりません。基本的にまちづくりは、そういう人の輪をどうつくるかということではないかと考えています。

○前田

地域資源というものは今、いろいろな角度から見直されています。それは、地域資源というものを単に神社仏閣の建物などの「物」としてよりも、「事」としてとらえていると言えます。歴史的な事実とか、ストーリーが、現代の地域社会にどう結びついているか。そういう、空間だけではなくて、時間軸をも含めた地域資源の見直しが大切だと思います。

お寺がある、レジャー施設がある、でもそれは「物」としての情報だと非常に印象に残りにくい。本当にどんな意味があるのか、大事なものか、おもしろいものか、またどういう歴史があって、どのように「今」にかかわっているのかという「事」、ストーリーがなかなか我々に伝わって来ませんでした。地域の中では「事」の集積、歴史の見直しが盛んに行われており、非常に豊かな資源の発掘がなされているのです。それを外部に出してほしいと思うのです。滋賀の観光資源を見直すというのは、これまで「物」としてだけしか伝わってこなかったものを、「事」としての観光資源として外に出していくことです。

これまでの空間志向から時間志向へ、観光資源のとらえ方が変化しているといえます。言葉を変えれば、生活者の知恵の集積、これが観光資源になるのではないかと思います。

○高崎

日本人の観光というのはまだまだ周遊型が中心です。しかし最近は、リゾートに滞在をする方も増えていて、そういった方は、当然日常とは違う環境を求めています。都会と同じものは求めていないのです。リゾートの魅力はとにかく癖になる何かだと思います。それは静かになれる心とか、落ち着けるとか、何も考えないという「何か」です。これを具体化していくことがリゾートづくりのポイントではないかと思います。滋賀県の持つリゾート性というところにも着目しながら、この後の分科会ではご議論を進めていければなと思っています。

○井戸

いろいろな問題提起をいただきました。歴史文化資源が滋賀にはたくさんあります。国宝、重文の数は全国の6.6%もあり、東京、京都、奈良に次いで第4位です。普通の田舎にすばらしい歴史文化資源がある。これが滋賀の特徴だと、私はいつも言っています。それをどうネットワーク化していくかが大変大事な問題で、ここ三、四年前からそういうネットワーク化が緒につきました。近江歴史回廊構想というのがあります。時代性とテーマ性を考えて、歴史文化資源をうまくつなぎ、10本の探訪ルートを設けました。

観光のキャッチフレーズも「だから滋賀」も結構ですが、私がもう20年ほど前から言っているのは「途中下車してみませんか」です。後の分科会でも、活発な意見の交換がありそうで、楽しみにしています。ありがとうございました。



分科会A <「観光地づくり」とは「まちづり」>
記事No/ 17 (記事No: 16への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:24
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分科会A <「観光地づくり」とは「まちづり」> 

担当パネリスト 広野敏生 

○広野

滋賀県は、琵琶湖という大変素晴らしい資産があります。それだけに、それを支えるに足る力が町にあるかどうかが問題になってきます。町の人同士のつながり、人と人とがしっかりつながっていなければ、どんなに素敵な自然や町並みも、そして立派な施設やイベントも、すべてを支えていく能力はその町にはありません。そうならないためには、どう考えどうしたら良いかというのが今日のこれからのテーマです。

今日は、まず皆さん方からいろいろなお話をお聞きしたいと考えています。それぞれが住んでいらっしゃる町、あるいは所属なさっている組織・企業が、どうやれば元気になれるかということをキーワードに、お悩みを聞かせ願えれば大変ありがたいと思います。

○参加者(北村・近江八幡観光ボランティアガイド協会)

悩みというのは、ボランティアガイドのほとんどが、年配の方や定年退職をされた方であるということです。やはりボランティアなので、時間的、金銭的な面から若い方たちがやってみようという気持ちになれないでいるのが現状です。現在、一線で活動されているのは、60から70代の方なので、その後を継ぐ方たちを育成していくにはどうしたらいいのかと思っています。

○参加者(成田・成田美術館)

私はこの長浜市に今年の5月に小さな私立の美術館をオープンしました。

展示してあるものは、私が40年ほどかけて、好きで収集してきたアール・デコ期のルネ・ラリックという方の作品です。

お見えになる方は、大体、噂を聞いて、来てくださる大都会の方です。リピーターの方も結構お出でくださいますが、市内の方は、あまり見に来てくださいません。私どもは個人の美術館ですから、すべて自分でやっています。市の関係の建物や公立の施設というのは入場料が100円とか200円と安いのですが、私どもにみえた市内の方は、「えっ、お金がいるんですか」とおっしゃる方がものすごく多いのです。もう少したくさんの方に来ていただければいいと思いますが、やはり皆さん黒壁のほうに目がいきます。黒壁を見終わってから来てくださって、非常にこれはいいとおっしゃる方もいらっしゃいます。

ぜひ皆さんにもお出でいただきたいと思います。

○参加者(佐藤・徳島県観光交流課)

私の悩みは、大きく言ってしまうと県全体の悩みになるかもしれません。先ほど滋賀県さんは県の面積のかなりの部分が琵琶湖で占められていて、それはいい面も悪い面もあるというお話がありました。徳島県の場合はほとんどが山間部で、過疎の問題が非常に観光以外の面で危倶されてきています。

私は観光の仕事をしており、主に宣伝、誘致という仕事をやっています。最近、グリーンツーリズムとか、エコツーリズムという言葉をよく聞きます。そういったものを過疎地域の中山間地域とか、山間部の過疎の地域に取り組んでいくことによって、地元の何らかの過疎対策や、地域づくりにもつながっていくのではないでしょうか。

恐らくすぐに結果を求めても無理だと思います。しかし、どういう点に留意して進めていけばいいのか、効果的な宣伝をどういうふうに絡めていけばいいのか、その点についてご教示いただけたらと思っています。

○参加者(篠山・滋賀県商工観光政策課観光企画係)

滋賀県では平成8年に琵琶湖博物館を県立でつくり、今年の9月に琵琶湖ホールが完成し、ハードの大きな整備というのは一段落した状況になっています。

今、財政の状況が非常に厳しい中で、予算を編成するにしてもソフトでアイデアを出せと、非常に厳しく言われている状況です。

徳島県さんからもグリーンツーリズム、エコツーリズムという話がありましたが、滋賀県は「環境こだわり県」ということで売っている面もあります。やはり環境との結びつきというのは、これから非常に大事ではないかと考えられます。

それから、人にやさしい観光地をつくるということで、一般的に障害者対応のバリアフリーということも考えています。これから高齢化社会ということで、お年寄の観光客も非常にたくさん受け入れていくべきだと思われます。そういった方を受け入れる体制を、人を中心につくっていくことが必要であり、ボランティアガイドの方の活動の支援についても力を入れていきたいと思っています。

○広野

まちづくりに有効な1つの方法として、イベントというものがあると思います。今日お話するのは、まちに元気を取り戻すために活用されるイベントです。

皆さんはイベントというと、楽団や歌手を呼んできて、何かショーをやらせるというようなイメージをお持ちになっていると思いますが、今われわれが話そうとしているイベントは、イベントが目的ではないのです。あくまでも手段なのです。つまりイベントをつくりあげる過程そのものを我々はイベントと呼んでいるのです。イベントそのものは表の顔です。しかしこれをつくりあげるにあたって、いろいろな町の人たちと関わりを持たなければなりません。賛否両論が起こります。いろいろなトラブルが起こるのです。それを解決しなければなりません。そこに大きなざわめきや揺れが起こります。そういうざわめきや揺れもひっくるめて、我々はイベントと呼んでいるのです。これがまちおこし、まちづくりという中でのイベントの考え方です。この多難な過程こそがイベントの一番大切なところです。ざわめきや揺れが大きければ大きいほど、イベントの効果は絶大です。町の人たち、行政自らが横ぐしに調整し合いながら1つのものをつくりあげていく必要があるのです。それをやらないと最終的にまちおこしとか、活性化だとかは起こってこないのです。そしてこれが起こらないと、町に元気が取り戻せない、魅力ある町にはならない、観光促進にはつながらない、ということなのです。

私は日本の行政の中で仕事をたくさんしてきましたが、住民の最大公約数の意見を大事にしてきたために、今、日本中の町では沈滞、不活性化が起こっています。やはり行政の主になる人が、町の中に賛否両論を起こし、ざわめきを起こすことが町の活性化につながるのだと信じてやっているかどうかがキーポイントになります。

イベントは、こういう市民を巻き込んでいく1つの仕掛け、仕組みなんだということをぜひ認識していただきたいと思います。

では、自らの町の再発見・再認識をさせるためにはどうしていったらいいのでしょうか。私はこれが観光促進の一番基本的なベースになるものだと思っています。ところが、地域への無関心、コミュニティーの喪失という現状があります。いわゆる対話がないのです。人間と人間との関係が途切れているのです。そういう状態が今、全国のいろいろな町で起こっています。そうしたコミュニティーの喪失、地域への無関心という動脈硬化をどう治療していくかが問題です。

自らの町の再発見・再認識をうながす活性化装置を仕掛けるにあたっての、市民サイドからの視点でみると、まず、成果が見て取れる、市民1人1人が自分の目で確かめられるような目標設定をしなければなりません。

次に、各種各層の住民の取り込みです。各種各層の人々を、反対する人も含めて1つの仕掛けの中に取り込んでいくことを考えなければなりません。あらゆる人たちにアタックしていかなければなりません。

もう1つは、地域の歴史とか文化を勉強するのではなく、これと遊ぼうという考え方を持っていただきたいと思います。自分の土地とは何だろう、自分が住んでいるところの歴史とは何だろうかということを知ってもらい、それと遊ぶことが重要な要素となります。

一方、地域への愛着とか、新コミュニティーの創造、元気の回復を目的とするイベントサイドからの視点でみると、町からのメッセージを発信させる発信媒体の確保と、タテ・ヨコの市民組織を確立させるネットワークづくり。もう1つは町のアイデンティティ、「らしさ」の醸成が大切な要素になります。

さらにもう一つ、活性化装置を創り上げるうえで重要なのは、その装置を支える組織です。例えば日本の町には祭というものが必ずありました。そして、その祭を支え運営していく市民組織「講」というものもありましたが、誰もが参加できる形にしなければ地域は盛り上がりません。そこで新しい祭、新しい講という組織をつくりあげていかなければなりません。

今日お話しするのは、フランスにあるルピデゥフという小さな村のことです。ロワール川沿いにある4.000人の村で、古ぼけた城とぶどう畑以外、ほかには何もありません。若い人たちはみんなパリに出ていき、35年前に過疎化の波にさらされました。どんどん人が減っていくのです。そして農業からも人が離れていき、村にはお年寄だけが残ってしまいました。

村に残されたお年寄りたちは、そんな村を何とか魅力的にしたい、せめて、夏になれば外に出ていった子どもたちが、みんな帰ってきてくれるような町にしたいと思いました。本当に単純な思いから始めたことが、35年後の現在、夏の3ヵ月の土日に開催されるそのイベントに、ヨーロッパ各地から数十万人の人がつめかける大観光イベントに成長しました。

そのイベントとは、「野外音楽劇」です。自分たちの村で起こったさまざまな出来事を、古代、中世、近世、そして現代という4ブロックに分けて、すべて村人だけで野外音楽劇をつくったのです。

村の文化団体の活用を考え、歴史劇の中に、配役・裏方も含めて4.000人の役割をつくりました。村のほとんど全員が何らかの形で関わっていく形になりました。夏に開催するので、帰省する子どもたちも親と一緒に出演します。その劇に携わることによって、いつの間にか自分の村の歴史を学んでしまうのです。そしてその村にとって一番大切な歴史的景観である古城を中心とする池のほとりで演技をするのです。今では1回の公演で1万2.000人が入る観客席が簡易的につくられています。まさに、地域の歴史や文化と遊ぼうというものです。

ただし、これはおもしろくないと成立しません。素人芝居ですから、面白くないとすぐに飽きられてしまいます。そこで彼らが考えたのは、パリで一番有名な監督に演出を依頼し、照明、音響、特殊効果、花火なども、今、フランスの最前線にいる人たちにお願いすることです。出演者は村人たちですが、セリフはすべて有名な俳優の声を吹きこんでおき、出演者がそれに合わせて口をパクパクさせるようにしました。そういう野外音楽劇をルピデゥフでは35年間続けてきました。

今では、ひと夏の公演で、村の1年間の予算を超えるだけの収入があり、10年前に財団法人を設立しました。毎年、次の年の公演の準備のために1年間費やされ、そしてそこで得た収益は、その野外劇に使われる費用も含め、自分たちの村をどうするかということや、宣伝費などに使われます。お客さんが来ても泊まるところがないからホテルをつくろうとか、何台ものバスが通るための道をアスファルト整備し、駐車場もつくりました。あるいは宣伝広報のためのFM放送局までつくってしまいました。さらに、その村の歴史を物語る博物館までできたと聞いています。4.000人の村がそこまでやってしまうのです。都会へ出た若い人たちも夏になれば帰ってきて、それに参加する。そんな大きな意味を持った野外音楽劇がそこに完成してしまったわけです。

私は、そのプロセスが大変おもしろいと実感しました。ちょうどその時、私は、富山県・の高岡市というところから、市制100周年を迎えるにあたって、何か町が元気になるようなことをやりたいということで相談を受けていました。本番3年前から高岡の役所の人が集めてくれたオピニオンリーダー30人と、何をやろうか、どんな活性化装置をつくろうかと話し合いました。何度も激論をたたかわせ、先ほど申し上げた賛否両論が起こりました。テーマを何にしようかということもありました。何かわからないけれども、発信性のあるイベントをしよう、各種各層の住民を取り込もう、地域の文化や歴史と遊ぼう、この3つを満足するようなイベントはないだろうかとみんなで考え続けていきました。

ちょうどその時、友人がフランスにこんなおもしろいものがあったといって一冊のパンフレットをくれました。それがルピデゥフの野外劇だったのです。もう即座に飛んでいきました。そしてそのルピデゥフでいろいろ仕掛け・仕組みを教えていただきました。それをそっくりそのまま富山県高岡市というところの市制100周年に当てはめたのです。以来高岡市は10年間、延々とその野外劇を続けています。

内容も、ルピデゥフと同じ「町の歴史」。大伴家持がいた頃から現代まで、その町の歴史を町の人たち1.500人が演じます。野外劇は夏の2日間開催するのですが、衣装を縫ったり、いろいろな装置や小道具をつくったり、何らかの形で野外劇に関わった人たちすべてを含めると、1回当たりで3.000人から4.000人の市民が参加した計算になります。

基本的に、劇の出演者は翌年は裏方にまわるという仕組みです。そして観客が1回当たり4.000人、2日間で8.000人入ります。つまり、キャスト、スタッフ、観客含めて、1万二、三千人が、1回の野外劇を囲んで集まる人の輪をつくります。高岡市の人口は17万人、その野外劇はもう10年続いていますから、ほぼ人口に近い数の人たちが野外劇に関わったことになります。

そうすることで、ここに文化のネットワークができたのです。出演する人たちはいろいろな文化団体に入っています。学校や団体、企業が行政とすべての横ぐしで関わっていくことになります。野外劇を続けることで、素晴らしい文化のネットワークができあがってしまったのです。これはお年寄から子どもたちまでを網羅するものです。しかも、1年間かけて準備し、つくりあげていくそのネットワークは、かなり堅固なものです。

高岡の例で言うと、完全に1つのそういう形態はできあがっています。10年目の今年、私は久し振りに行ってみたのですが、成功している中にも「違うな」と思うことがいくつか出てきました。成功したからそれを延々と続ければいいという問題ではないということなのです。常にパイプのメンテナンスを繰り返さなければならないのです。まちづくりが、「単なるイベント」になってしまってはダメなのです。町をつくりあげていくための手段ではなく、目的になってしまってはダメなのです。ではどうメンテナンスしていくかということを、今現在、私は提案し、企画書として作成しています。

それが先ほど皆様方の質問の答えになるかもしれません。つまり、町全体にまた違う角度でその野外劇ネットワークを広げていくプロセスが必要になってきているのです。例えば野外劇を上演している現場、町のお城跡を使っているのですが、野外劇の当日はそのお城の周辺は大変賑わっています。ところが駅におりて、その会場まで行く間というのは何もない空間なのです。だから、そこの道程にある商店街が野外劇を口実に何かお客さんを迎える装置をつくれないものか、また、高岡らしさを出すために、それぞれの家が、玄関を、花なり、いろいろな焼き物なりで、自分の家らしく飾ったらどうかなどと考えています。1つの町、それぞれの家がパフォーマンスして、お客さんが通る道を楽しいものにしていこうというものです。

先ほどのいろいろなお悩みをお聞きした中に、ボランティアの育成ということが挙げられていましたが、高岡の場合を取り上げると、以前から既存のボランティア組織がありましたが、野外劇をやることによって、それに出演した人たちはみんな、自分たちの町に対する誇りと愛着を持って、外部の人に町の歴史を聞かれても答えることができるようになりました。市民全員がボランティアガイドになる日も、そう遠くないのではないかと思います。

それから、エコツーリズムという話もありましたが、これは、自然そのものを対象に考えるだけでは、アピールカに限界があります。例えば、万葉集は自然を大変讃歌しています。そしてまた人間讃歌でもあります。その万葉集の中で、大伴家持は高岡でたくさんの歌をつくりました。素晴らしい自然と人間の共生が詠まれているのです。そんな万葉集をモチーフとした野外劇では、ここ数年、地球の環境の問題を大きくアピールしているのです。文学や芝居の世界からも地球環境へのメッセージを発信できるのです。

先ほど成田美術館の話もありましたが、黒壁に人が集まるから、また黒壁とはひと味ちがったものを見ていただこうとつくられたのが、成田美術館ではないかと思います。だから黒壁を推進していらっしゃる方も、本当に成田美術館さんを仲間と思いながら、自分たちがつくった地図の中にそれを書き込み、そして一緒になって、こっちを訪れた方があっちにもおいでになるような仕掛けの輪を広げていくという、そういうことが輪をまた大きくしていきます。ぜひそれは気長に輪をまた広げていっていただければと思います。

先ほどのパネルディスカッションの時に話しましたように、一番簡単な例を言いますと、要するにその装置というのは「焚き火」です。焚き火は温かい。だからそのまわりに人が集まり輪をつくる。そういうことをイベント化することによって、だんだんとまちづくりに広がっていくのだろうという気がします。

今日、お聞きした中で番心に残ったのは、皆さんの中で大きな迷いとなっているというか、心配事としてあるのは、リピーターの問題も含めて、どう人と人とがつながっていくのかということだと思います。それをつなぐためのプロセスは、今、申し上げたとおりです。リピーターを求めるためにどんな広告宣伝をしたらいいかという話がよく出てきますが、広告ということの一番の基本はロコミです。自分の信頼する人が「あそこは行ってよかったよ」「おいしかったよ」と言うと、それはもうどんな宣伝文句で宣伝するよりも確実なのです。広告の基本というのは、そのロコミをどう補助するかだと思います。だからそのロコミをどう起こさせるか、そしてそのロコミをどう広く伝えるかということが広告宣伝する人たちの業務であって、そういうふうに考えることがリピーターを呼ぶ1つの方法ではないかと考えています。

何も結論めいたことはないのですが、私が取り組んだ野外劇、それは全くフランスのルピデゥフで起こったことを借用しただけなのですが、そういうようなことを自分たちの会社、行政、企業などの中で当てはめてお考えいただければ大変幸いだと思います。

それでは大変長い間、どうもありがとうございました。


分科会B <豊かな資源を守り育てる観光づくり>
記事No/ 18 (記事No: 16への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:27
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URL/ 未記入
分科会B <豊かな資源を守り育てる観光づくり>

担当パネリスト 前田 弘 

○前田

私の所属する国際観光学科は去年できたばかりの関西で初の観光に関する学科であり、様々な観光関連学問を推進していますが、その開設の目的の一つに「地域の人たちと一緒に観光を考えていく」ことを掲げています。今から分科会でお話しするような内容は、到底今日中に解決するわけではないので、今後何かお役に立てることがあれば当大学には実践経験もあるスタッフが多数いるので、お気軽にご相談いただけたら我々のできる範囲でお答えしたい。それが国際観光学科の機能の一つ、使命の一つと考えております。

資源を守り育てるという視点からみれば観光は番の敵ではないか、という見方もあります。だからこそ、これからの観光とはその地域の資源を守っていける観光、育てていける観光、そういうものを考えることが前提になると思います。

「自然と共生する県づくり」と観光がどうクロスするかということですが、地域資源、観光資源の豊かさや大切さを知り理解するという新しい形の観光のあり方と結びつくのではないか、と思います。新しい観光という視点のもとで、地域資源の新たな使い方ができるというところに来ているわけです。

それでは、地域づくりの視点から見た地域資源、観光資源の保存と活用のあり方について考えてみましょう。たとえば長浜市の黒壁スクエアは、単に観光振興のみを志向したものではなく、自分の地域を見直して地域のよさを再認識していく住民活動が行われている例と言えます。地域の豊かさ、大切さを知る動きを観光の現場に引き上げていくこと、それが「豊かな資源を守り育てる観光づくり」になるだろうと考えています。

ここで、私の調査した熊本県の地域づくりの事例と比較しながら、滋賀県の観光づくりを見直してみましょう。滋賀県は琵琶湖という近畿1.400万人の人たちの水がめを持ち、熊本県は阿蘇周辺1.200平方キロメートルの草原に降った雨を伏流水として熊本市民の上水道機能を有している。

平成8年の熊本県全体の観光客数は4.200万人、これが何と平成9年の滋賀県の観光客総数も約4.200万人という偶然の一致ですね。水というものを介して滋賀県と熊本県の状況は似ていると思ったわけです。

ただし、生活は全然違います。滋賀県では過疎地が今のところ余呉町と朽木村の2町村であるのに比べ、熊本県は全市町村の57%、54市町村が過疎となっています。

熊本県はそういった危機的な状況にあります。そういうところで地域づくりをどうやっていくかと考え、農林畜産業が様々な産業構造の変化や、高齢化や少子化の影響を受けて衰退していったという事情があり、それを何とか活性化していくために、阿蘇の草原を観光資源とし、地域を活性化させるしか手がないのではないかということになったわけです。

そこでできたのが、「阿蘇グリーンストック運動」です。「グリーンストック」は日本語では「緑の資産」と言います。「資源」ではなく「資産」です。「資産」とはお金をもたらしてくれたり、豊かさ、感動をもたらしてくれる「財産」に近いものです。

そういう意味を込めてグリーンストック運動が90年代に入って本格化し、この2、3年前に県の認可を受けて財団法人の組織ができ上がったのです。この財団法人は阿蘇の12市町村をはじめ熊本市、熊本県、県内の各自治体、主要な地元の銀行等が出資し、これをセンターにして地域づくりをやろうと計画したものです。つまり地域環境を維持し、あるいは活性化していくためには一つの市町村では手に負えないわけです。阿蘇の恵みを受けている人々、企業、行政の連携によって農山村の活性化を図るために、この「阿蘇グリーンストック運動」が始まったわけです。

資料に「阿蘇ニューファームヴィレッジ計画」と書いてあります。これは観光そのものではなく、観光でよさを知った人に住んでもらうという、非常に広がりのある地域活性化活動です。

このグリーンストックの地域活性化活動は、単に物見遊山の観光ではなく、定住やIターン、Uターンを含めた広範囲の、観光でないものも観光の1つの流れに入れてしまうという大きな運動になっています。その原動力とは「自分たちがもう住めなくなってしまう」という危機感なのです。

資料2枚目に移ります。「由布院・親類クラブ」とあります。「由布院・親類クラブ」とは、一言で言えば農村と都市を結ぶネットワークをつくろうとする活動です。今まで由布院に来てもらったお客さんと太いパイプを結んで足しげく通ってもらう、要するにお客さんを確保する戦略ですが、「ムラ業としての観光業」の実践でもあります。

由布院の場合、観光地として有名になるにつれ、二十数年間も農畜産業者と観光業者は対立し、観光によって富んだ部分と農畜産業が廃れた部分とが非常にアンバランスになっていました。しかし、それでは町というものを維持できない、ということに気付いたわけです。そこで、町の住民全員で観光に参加してもらえる仕組みを模索しはじめたわけです。例えば農畜産業の産物を宿で使うシステムを作ったりして、地元の人たちが全員参加できる地域づくりを考えようとしているのです。

これは非常に特殊な事例かもしれませんが、「観光」を観光業と観光客だけに限らない広がりを持った「新しい観光」づくりと考える際には重要な事例です。

これらの事例を見ていくと「観光資源というのは何か」をもう一度見直した場合、それがどういう事情でできたかとか、どういう意味を持っているかということをきちんと説明する。歴史や時間の積み重なりということにもなると思いますが、そういう観光資源こそが人を引きつけるのではないか。つまり、「モノ(物)からコト(事)へ」「空間志向から時間志向へ」あるいは「生活者としての知識が集積したものが観光資源になる」という言葉で表現できます。つまり、生活者がよいと思うものが魅力ある観光資源を生み出すのではないか、と考えているわけです。

一方、観光客のほうも以前の「奇抜さやおどかしの観光」から「やすらぎやなつかしさの観光」を求めている人が着実にいて、徐々にではありますが増えています。空間から時間志向への移行…この場合、時間は見えないものですから、やはり体験しないとわからない。そこで体験型の観光というものが必要になってきます。つまり言いかえれば「時間の消費から体験へ」という観光を考えたらどうだろう、ということです。

このような、観光資源の新しい見方の上に立った観光とは、「連携型の観光」になっていくだろうと思います。それは例えば、農畜産業と観光業、あるいは製造業と観光業といった、今まで相入れなかった人たちが連携して知恵を出す。あるいは、独立した町や村の中で観光を考えるのではなく、隣接地や遠隔地同士が情報を共有しながら、観光地同士の連携の中で観光地の魅力を維持していく。観光地づくりのノウハウ情報もどんどん連携していくということです。

さて、私からの質問として「観光」とは皆さんの心の中でどれほどの位置を占めているのか、お話いただけたら、と思います。

○参加者(近江八幡観光ボランティアガイド協会)

近江八幡観光ボランティアガイド協会は、平成4年度から始まりましたが、一番大切なことは自分の住んでいる町を好きであること、そして自信を持って観光客の方、また地元の方に喜んでいただけるような町づくりを考えなければならない事だと思います。その視点でスタートし、今年で7年目を迎えることになりました。

ボランティアガイドが発足してから、町が美しくなったことも自慢の一つと言えるでしょう。1軒が美しくするから隣が美しくする。隣が美しくなれば、自分のところの汚さが恥ずかしくなるから、また美しくする、といういい意味での連鎖反応があったのです。またこの頃はお年寄りがぶらぶら散歩しながら缶拾いやごみ拾いをするといった点でも、大きく町が変わってきたと言えます。それも私の町の自慢です。

観光とはみんなが築くまちづくりである、と考えています。住んでよかった町、住みたくなる町。ガイドをする人だけが歴史を勉強するのではなく、町に暮らす皆さんに呼びかけた運動へと発展させていこうと考えています。

○前田

「皆でつくるまちづくり」という考えはわかりますが、そこに「観光」という要素は必要でしょうか。例えば、観光がなくても自分たちの町をよい町にすればよいではないかという言い方はもできるのではないでしょうか。

○参加者(続)

例えば家庭でも、お客さんが来るから水をまき、掃除をし、服装をきちんとし、心を新たにして迎えます。それと町の発展も同じだと思います。近江八幡の町の中もきれいにしてお客さんを迎えたい。.その気持ちから産業が発達しすべてが繁栄していく、と考えます。

○前田

なるほど。そういう意味では観光は町づくりの一つのキッカケとなるわけですね。ありがとうございました。

○参加者(山本・旅館経営)

黒壁スクエアができて新快速が長浜市まで入るようになり、一時は非常にお客さんが増えました。しかし、黒壁自体に店舗が増えてきて、黒壁だけで遊べるようになってきたために、周辺地域へのお客さんが減るという現象も起きています。長浜だけが1人走ってしまっている感じで、どうも周辺地域が置いてきぼりにされているという懸念がものすごくあります。長浜には人が来ている、ただその波及効果が周りに全然伝わってこないという感じを特に最近は持っています。

○前田

観光がその地にもたらす恩恵の強さが、周囲にとってゆがみをもたらす面がある、ということですね。周りに波及させるための何らかの方策は考えておられますか。

○参加者(続)

やはり長浜が頼りになってしまうのです。例えば行政でも、長浜市には商工観光課、地域振興課、産業課といったものがありますが、私たちの町にはそういう機関がありません。国の機関もそうです。例えば今日、中国が「わが国に来て下さい」という宣伝をしていますが、日本は諸外国にそういうアピールをする機関がないわけです。観光庁がなく、運輸省が担当しています。さらに、私たちの旅館になると管轄が厚生省になります。

世界の観光客の入り組みを見ていても、日本は世界でも40番目ぐらいです。出ていく人は多くても日本へ来る人は少ない。ウエルカムプラン21というものがありますが、あれも運輸省の一人相撲という感じがしないでもありません。

○前田

旅の情報が氾濫し、メディアで得た観光の情報をもとに自分でプランニングすることが当たり前になって、「観光資源を前に地元の人の話を聞く」という観光のあり方はほとんどありません。つまりここにガイドさんがいるから話を聞いてくださいというシステムは実践されていないと思います。ですから、そういう仕組みの観光がありますというPRが必要ですね。

私は、なぜこれだけ資源があるのに、観光のやり方は一通りなのだろうなと思っていたのですが、やはりそういう構造的な問題、仕組みの問題があるのかもしれません。

○参加者

私は今日はこの琵琶湖を元気に育てたい方のシンポジウムということで参加させていただいたのですが。

○前田

私は守り育てることと観光というものを1つにしたいと思います。これまでは守り育てるためには観光は要らないという印象が強かったと思います。けれど、観光とは単に「物」だけではなくて、米田さんがおっしゃるような「語り」の要素が必要です。

観光とは、一つの時間と場所を共有する中で、それを守り育てる気持ちの中で生まれてくると思います。実際には環境保全に関する技術的な問題はあり、それは専門的にやらないといけない部分ですけれども、私は観光を通じて守り育てることができると思います。そういう場所として観光資源を位置付けることが大切です。そこに人が来て、その人を迎える人がいて、一緒にこれを見てくれとか、すばらしいだろうという語らいの中に守り育てる気持ちができてくると思うのです。

○参加者

現在は黒壁周辺を中心に観光客が増加していますが、それを将来的にも持続させていくにはどういうような形で展開させていくべきか、それはこれから研究していかなければと思います。黒壁周辺に様々な店のパターンが出来たことによって、そこで過ごす時間を大きくとってしまうわけです。ですから、黒壁の繁栄を維持しつつ、少しでも広域的に広げるためには日帰りではなくて滞在型のほうに引っ張っていかなければと考えています。

○前田

それは本当に県全体で考えていかないといけない問題です。県の方にも一言ご意見をお聞かせいただきたいのですが。

○参加者(滋賀県)

今日は特にボランティアガイドの方がたくさんおみえになっており、県でも昨年、ボランティアガイドさんを支援させていただき、県全体の連絡組織というものが発足しました。

滋賀県の場合、やはり通過県であり、統計を見ていても京阪神の方が車で日帰りで来られるのが圧倒的に多いということがあげられます。今までは県が音頭を取っていましたが、やはり県が中心になるとどうしても県全体のレベルアップを考えねばならず、なかなか地域の特色をうまく活用できないという欠点があります。まずやはり地域の方がその地域に愛着を持つことによって、観光客にとっての魅力をつくっていく。そこを原点に新たに何かを展開していかないといけないのではないかというふうに思った次第です。

○前田

その上で、やはり1つの町や市や村ではどうも解決できないような広域的な広がりもありますから、その点では県のお仕事としていろいろなかかわり合いを持っていただけたらと思います。

それに滋賀県にとどまらないとなると、近畿運輸局の出番になってくるのではないでしょうか。

○参加者(近畿運輸局)

先ほどの山本さんの「運輸省、国が観光に力を入れるべきだ」というご意見はもっともなことだと思いました。確かに海外ではシンガポールなどから運輸大臣が来て、先日も関西の旅行代理店に「感謝の集い」であるとか、国を挙げての観光誘致を行っていました。

日本の観光状況は、海外からの来日が400万人で、海外へ出ていくのが1.600万人と数字が歴然としていますが、なかなか国の予算もつかないのです。

皆さんご存じだと思いますが、2001年には運輸省は国土交通省になるので、建設と一緒になった時には予算もつくのかなあと甘い期待を持っているところです。

滋賀県さんもゆくゆくはコンベンション都市になっていく道があると思います。先ほど徳島県の課長さんがおっしゃったように施設も含めて外国人も参加する国際的な大きい会議をどんどん取り込み、国内もさることながら世界に向けてアピールできる都市になってほしいと思っています。

○前田

では最後は国際ということで、アジア太平洋で締めくくっていただけますか。

○主催者(神沢・財団法人アジア太平洋観光交流センター部長)

私どもは今日は、大変皆様方ご熱心に地域の発展のために努力をなさっているということを聞かせていただいて、非常に勉強になりました。今後ともお手伝いをさせていただきたいと思っているのでよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。


分科会C <滋資県の集客力は強いのか弱いのか?>
記事No/ 19 (記事No: 16への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:29
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
分科会C <滋資県の集客力は強いのか弱いのか?>

担当パネリスト 高崎邦子 

○高崎

私どもでは観光地別に宿泊者数を集計をしております。これを見ていただくと、96年の3月からの1年間に滋賀県の宿泊施設に泊まられた方の数は14万1.064人ということがわかります。日本全国で比較をしても47都道府県の中で滋賀県は41番目になっています。

また、先ほどのパネルディスカッションでも「金閣寺、清水寺、大原、延暦寺などは何度も訪れているけれど、滋賀県には一歩も足を踏み入れたことがない」とおっしゃる方がいる、という話が少し話題になりました。延暦寺を京都の一部と思っている方が多いわけです。よく言われる事に滋賀県は通過県である、ということがあります。

では、何故滋賀県は通過県なのか、ということを一旦観光の問題と切り離して考えると、やはり京都に近すぎるということが挙げられます。ですから一つ目のポイントとして、この近接性、これだけ近いということをどう活かしていくのかということを考えてみたいと思います。

私どもの財団法人日本交通公社では日本全国約9.000件の観光素材につきましてその評価づけを行っています。評価は特A、A、B、C、Dの5段階で、特A級とは我が国を代表する資源でかつ世界的にも誇示し得るもの、我が国のイメージ構成の基調となり得るものとなります。滋賀県では延暦寺、京都府では修学院離宮庭園などが特A級にあてはまります。これに次ぐランクをA級としており、その誘致力の強さ、全国的に観光重点地域の原動力として重要な役割を持つものを指します。京都の清水寺、建造物としての桂離宮などがこのA級に相当しています。B級は地方スケールの誘致力を持ち地方のイメージ構成の基調となり得るもののことで、東尋坊、奈良公園の鹿、飛騨高山の朝市あるいは札幌時計台、横浜ベイブリッジなどがこのカテゴリーに分類されています。

では、滋賀県の観光資源について考えてみたいと思います。観光資源の中で人文資源数というものがありますが、特A級の人文資源は全国で20カ所しかなく、その一つが今申し上げた滋賀県の延暦寺です。数値的に言えば滋賀県は資源数1であり、シェアは5%(20カ所のうちの1カ所)になります。

A級人文資源は全国に178カ所あり、滋賀県は彦根城、琵琶湖、園城寺の3件(対全国シェアは1.7%)を有しています。B級人文資源は全国1.092ヵ所のうち、56ヵ所が滋賀県内にあります(対全国シェアは2.1%)。

こうして見ると、滋賀県の人文資源は水準的には上にあると言えます。さらに先ほどのお話にも出ましたが、日本の重要文化財のうちの6.6%が滋賀県にあります。史跡、名勝、天然記念物でも2.4%のシェアをもっています。ですから京都と同じ、もしくはそれ以上の観光資源に恵まれていると言えるわけです。

ただし単純に京都府と滋賀県を比較すると、歴史的建造物や文化財、伝統工芸の密度の面ではやはり京都のほうが圧倒的に勝っていると言えるでしょう。宿泊施設や交通の便といったインフラの面、それから知名度でも、なかなか簡単に太刀打ちできるものではないと思います。

京都ですら観光客の減少に悩まれている現在、例えば京都と滋賀の観光資源を組み合わせた「京滋観光圏」といった広域ルートの設定も一つの手法だと思います。けれど、京都と同じような資源を組み合わせて協力するだけでは、京都にとっては観光客を奪われ、結局は京都のホテルに泊まっていただいて、延暦寺を見るついでに効率的に回れる大津周辺だけを日帰りで周遊するといった形にとどまる程度になるでしょう。

京都との関係で滋賀県の集客力のアップを考える時には次の点がポイントになると思います。一つは京都からの日帰りではなくて滋賀県に泊まっていただく、ということ。二つ目は京都に近い大津周辺に集中するのではなく、県下全体に来ていただく、ということ。それから三つ目としては、京都のお客様を奪うのではなく、新たなお客様を呼び込み、そうした方が京都にも訪れるということでお互いにメリットになるという方法。

これらの条件を満たすためには、「京都にはない滋賀県ならではの魅力は何か」ということを考え、そして、それを全面に打ち出しながら文化財などの観光資源とうまく組み合わせていく必要があると思います。

滋賀県ならではの魅力について、私はリゾート性を一番強調したいと思います。「リゾート」という言葉は、繰り返し訪れることが語源だとか、滞在性の高い保養地を指すというような様々な定義がありますが、ここでは快適性という観点からとらえていきたいと思います。

滋賀県でリゾートという時、当然まず第一に考えられるのが琵琶湖だというのは言うまでもないことです。湖というのは当然景観、それから視界、視野も広がっていくし、水が命の源という点からも快適性に貢献する非常に大きなメリットがあります。京都を目的に来られた方であっても滋賀県のゆったりと広がる水辺空間に滞在していただいて、そこを拠点にして、昼間に京都を探訪していただくというのが十分に魅力的な商品になるのではないかなというふうに思います。

京都の場合は首都圏から来られる方が43%、近畿圏内が12%です。逆に滋賀県の場合は首都圏からが21%、近畿圏からが43%ということになっています。京阪神あるいは中京から繰り返し滞在に訪れていただいているということは、まさに先ほど申し上げた「リゾートとしての可能性が十分にある」証拠とも言えます。リピーター客が多いことでパーセンテージが高くなっているという仮説が立てられると思うのです。

近郊リゾートの条件としては、1]アメニティー=快適性、2]ホスピタリティー=もてなしの心、3]アクセシビリテイー=足の問題、どれだけ便利にそこに行けるかということ、そして4]リーズナブル=経済性、の四つがキーワードになると思います。

1]アメニティーについては京阪神あるいは中京との違いをどのように演出するのかを琵琶湖周辺地域全体として十分に検討する必要性があると思います。リゾートという観点からすると、京阪神などとの最大の違いは当然自然環境に見出すべきであり、それが誰にでも体感できる形、わかりやすい形で実現されていくことが必要だと思います。

2]ホスピタリティーについてはもう言い尽くされている気もしますが、ちょっとした心遣いの積み重ねが地域のファンを増やしていくと思います。

3]アクセシビリティーについては比較的よく確保されているとは思います。ただ、リゾートという観点からは湖西方面の国道161号線の渋滞を何とかする必要性があるでしょう。

4]リーズナブル=経済性という面では、これも繰り返し言われていることですがカップルやファミリーが繰り返し利用する本当のリゾートにするためには、日本の宿泊施設は高すぎると言われています。

近郊リゾートとして発展させていこうと思う時、琵琶湖は景観的にも精神的にも、非常に安らぎを与えてくれ、快適性を高めてくれます。でもそれは「リゾートとして、有利な材料が一つある」ということに過ぎないと認識していただきたいと思います。

また、「京阪神・中京からの日帰り行楽地」と書きましたが、先ほどの滋賀県の観光入り込み客の目的別集計によると、一般行楽という内容が番多いと申し上げました。これは簡単に言えばレジャー施設、娯楽施設を目的に来られる方が一番多いということです。いくら「リゾートを目指す」「長期滞在を目指す」といっても、今一番多い日帰りで来られているお客様を無視するわけにはいきません。マスターゲットをねらう場合はイベントなどを含めて、「にぎやかし=ショーアップ」的な要素を求められる場合が多くあります。「長期滞在のお客様に喜んでいただける」ビジョンを持ちながら、今の観光客の大きな傾向である日帰りのお客様でも楽しんでいただけるというシステムを積極的に取り組んでいく必要性があると思います。

ところで「通過県からの脱却が必要なのか。」通過するのではなくて滋賀県を訪れてほしいというのがここまでの基本的なスタンスでしたが、逆に「通過県であってもいいではないか」という逆説的な考え方をしてみてもおもしろいかなと思ったわけです。日本最大の国土軸を貫いている県として、膨大な数の人々が行き交っているわけですから、ちょっとした仕掛けを工夫すれば、観光客を大幅に増やす可能性は十分にあると思います。通過県であることを嘆くばかりではなく、商売のネタが目の前を流れているという考え方をすればよいアイデアが浮かぶのではないかと思います。

では、21世紀に果報をいただくために何をすべきなのか…。一つ重要な視点としてここでご提案したいのは「バリアフリー」という考え方です。旅行者を取り巻く様々な障害=バリアを取り除いていく努力をしなければ「来てください」という言葉が「来ないでください」と同義語になってしまう側面もあると思います。

昨年の推計によると、日本人の障害者旅行の潜在マーケットは年間4.500億円と見積もられています。ところが実際に顕在化しているのはその20%に過ぎないわけです。「観光地、宿泊施設での受け入れ体制が不十分なので」というのが一番大きな理由でしたから、やはりそういった方に安心して来ていただける町づくりをこれから目指していく必要性があると思います。

バリアフリーは、何も障害者の方だけを対象にしている話ではありません。バリアとは多くの旅行者にっきまとっているわけです。例えば子供の視線の高さに合わせた施設づくりや、外国語によるサイン計画など、非常にたくさんの課題が残されていると思います。

最後に日本における観光の今日的課題にはどういうことがあるのかを少しご紹介をしてお話を終わりたいと思います。

「長期滞在型旅行のための工夫を」というのは、先ほどから何回も申し上げてきました。つまりリゾートの考え方にもとても重要なことだと思うわけです。日本人の今の日本国内旅行の平均滞在日数、これは平均1.7日、つまり1泊2日が中心になっているわけです。海外の場合、ハワイで4泊6日、香港でも2泊3日か3泊4日、その他にも1週間滞在はざらでありません。そういう提供がなぜ日本国内ではできないのでしょうか。

お客様に滞在を楽しんでいただける工夫をどうするのか。例えば連泊をするとどうしてもお金がかかるので、2日目は20%ぐらい割引をするといった料金設定も必要だと思います。同時に滞在している間にどういうふうに時間を過ごさせるのかという、観光地全体としてのシステムづくりに発展させていかねばなりません。暇な時にぼうっとしているだけでも心やすらぐとか、あるいはスポーツや釣り、読書ができるとか、博物館や美術館を見て回れるという時間消費ができるハードとソフトが必要です。

滞在中の足の確保をどうするのかということもあります。レンタサイクルやレンタカー、これらを旅館で借りて旅館で返せる仕組み、あるいは共通のシャトルバスを利用して隣の町や隣の市域と連携をしながら一定の合理的なトラフィックシステムを提供していくなど。

2番目に「自然環境文化等の保全に配慮した観光地の整備」、要するに観光地とは美しさと、もてなしの心がなくてはだめだということです。当然といえば当然ですが、「住んでよし、旅人によし」という土地がやはり魅力的な観光地でしょう。

これからはそれほど高度成長する時代ではありませんから、やはり腰を据えて自分の観光地を見直して、美しくしていく必要性があると思います。

課題の最後、「新しい情報システムを活用した観光サービスの高度化」ですが、要するに情報発信がやはり決め手だということです。もちろん今はインターネットを使うのが一番早い方法ですが、インターネットが必ずしも普及しているとはいいがたいのが現状です。

滋賀県の集客の現状から始まって、京都との関係性はどうしても避けて通れないという話、次に京都と切り離して滋賀県のよさをPRしていくためのリゾート性、つまり、通過県と言われていること自体がメリットになるのではないかということ、それから今後の集客力について、最後に今日本全体で起こっている様々な課題を少しかいつまんでお話させていただきました。ここからはぜひ皆様方での議論にしていただきたいと思います。

○参加者(清水・長浜観光協会 統括マネージャー)

(黒壁は)いろいろな形で成功、成功という言われ方をしますが、我々自身としては実際はどうなのかなという気がしています。

観光客の多くは京阪神、また名古屋方面から北陸の温泉なりへ行かれる時の、ちょうどお昼時の立ち寄りという色彩がかなり強いと思っています。そういった面では典型的な通過観光地であり、宿泊に関しては2.000人もキャパがないというのが実情です。

○高崎

県外の人間からすると、地域でまとまっていろいろなことをおやりになっていらっしゃる。例えば地域のボランティア活動などもうまく掌握されたというイメージが非常に強いのですが、そのあたりはいかがですか。

○参加者(続)

確かにそういう面では、長浜は割と強いほうだといえるでしょう。どちらかと言えば民間の皆さんが頑張って旗を振って、行政や観光協会は後からついていっている面が非常に強いですね。

「まちづくり」とは英訳したらコミュニティーディベロップメントであるという言葉のとおり、いろいろな人が一つの夢や理想を共有し合い、それに向かって一生懸命協調して遭進ずることができるかどうかだと思います。

○高崎

では、県外からお越しになっていらっしゃる方に、滋賀県にどんなイメージを抱いているのかお伺いしたいと思います。

○参加者(水島・三重県新産業推進課)

通過県というのはある意味で、高崎さんがおっしゃったとおり、ちょっとした仕掛けをしたらすごく大きな力になり得ると思います。特に先ほどの数値で首都圏からの観光客の占める割合が20%強という話がありましたが、三重県の場合、首都圏からは10%以下です。いかにその「降ろす」のが難しいかということで、そういう意味からすると非常に恵まれているような気もしているところです。

○高崎

通過であってもお客様がとにかく通っているという事実、これをいかにして引き込むかによってチャンスはあると考えられます。これをうまく利用することが重要でしょう。

ここまでのところで、何か皆様方のほうから、ご意見やお話はございませんか。

○参加者(滋賀県観光連盟)

一つ、お聞きしたいことがあります。運輸省の広域観光の取り組みの中でタップという事業がありましたが、その時、滋賀県はあえて京都と組まないで岐阜と組む道を選びました。

例えば滋賀県とJTBさんがどういう開発チームを組んでどういうふうにしていったら、通過県を具体的な旅行商品とでき、かつ宿泊県に転換できるかという点、さらにそれは幾らぐらいのお金があれば可能なのかという点をお聞かせいただければ、と思います。

○高崎

今のお話の中に出ました私どもの地域活性化事業は、財団法人日本交通公社の継続した調査をもとに、地域の活性化をするためにはどういったことが必要かという現状課題を整理をして分析をする事業です。

私がここで一つ申し上げたいのは、本当にマスのお客様に来ていただくことがよいのかどうかをぜひ覚悟していただいた上で相談をしていただきたいということです。

○参加者

結局、分相応というか、地域にあったもの以上を目指すと何か無理がくる気がします。その辺りでまた長浜市の清水さんにお聞きしたいのですが、長浜がメジャーになってきたことによって当初とは違ったとか、こんなところが変わってしまった、ということはありますか。

○参加者(清水・長浜観光協会 統括マネージャー)

いわゆる観光公害的なものは確かに長浜の町にもあります。もともと町に元気さをつけるために、観光客を呼び寄せることによって地域経済を活性化することが目的だったわけですが、黒壁を設立した当初は日曜日の昼からカウンターを持って立っていても人が4人しか通らなかったところが、今は年間200万人近く来るわけです。そうすると逆に地元の人は、そんなにたくさん観光客が来るところでは買い物をしたくないという形になり、現在では完全に観光客用の商業地と地元客用の商業地に二極分化しているエリアもあります。

また、長浜らしさがだんだん低下してくるのではないか、という危倶を私自身は持っています。その辺は今後の大きな課題だと思いますね。

○参加者

滋賀県の集客力は、結論から言うと、十分あると申し上げたい。滋賀県の地理的あるいは歴史遺産からして十分集客力を持っていると思います。

それからアクセシビリティーですが、滋賀県はむしろ日帰り型のお客に適していると思います。もしもそうした静かな、この滋賀に泊まって京都を訪ねるといったスタイルを考えるのであれば、交通網についてもう少し考えられたほうがいいと思います。

滋賀県は大いに胸を張って、むしろ日帰り客にその日に楽しんで帰っていただくほうがいいと思います。

○高崎

今の先生のお話が、ちょうど総括の役割を果たしていただいたような気がします。

今日は、皆様方の中での議論も活発で、私自身も大変勉強させていただきました。ぜひこういった機会を一つのチャンスにしていただいて、また折角こういうお話をする場でご一緒になったのですから、この後に交流会もあるそうですが、まだまだお話の足りない部分はそこで詰めていただければいいなと思います。

ありがとうございました。

報告及びまとめ

 

○井戸

これから各分科会のご報告をいただきたいと思います。私も2つの分科会に顔を出させていただきましたが、大変活発な意見の交換があったように受け止めました。

それでは、先ほどと同じように、分科会A、広野さんからお願いします。

○広野

また、私の経験から申し上げると、まちづくりには特効薬はありません。それぞれの症状に合わせて、町に合わせて、自らが編み出していくしかないのです。ですから、結論としてはそれぞれが自分の住む町に立ち返り、そこに足をしっかりつけて、同じ問題と立ち向かう一人ひとりと手をつなぎ合って、自らの土地の再発見と再認識を何度も何度も繰り返すことが大切です。まちづくりはそこからしかはじまりませんし、そこからスタートして元気になることが、やがてはたくさんの人を呼ぶわけです。「あの町、なんかおもしろそうなことをやっていそうやで」というロコミが人を呼び、そしてそこを訪れ満足した人がまた新たな人を呼んでくる。この繰り返しだと思います。そして、外部の人から「この町はいいね」とほめられることで、町の人たちは自分の町を見直し再発見していく。そういういい循環が起こることが大切なのではないかと考えます。

○前田

地域資源を見直し、それを守り育てる観光地づくりということで話し合いました。

例えば、観光ボランティアガイドの方たちは観光資源について、きちっと地域の歴史性や時間性あるいは文化などを反映したガイドを熱心にされていることがわかりました。中には自分の人生を賭けて、自分たちの地域の観光資源に惚れ込んで、それを皆さんにぜひとも理解していただきたいと、熱心に活動を続けていらっしゃる方もいることを知って感動しています。その情熱を観光客に表現することこそ、観光資源を「物」でなく「事」としても伝えることだと思います。

しかし、今日何度も出てきた話ですが、滋賀県の観光は通過型になってしまっている。つまりそこに滞在型の観光に変換していく仕組み自体を考え直さないと、なかなか観光資源のよさを伝えるという場面が実現しにくいという指摘がありました。ただ、そのための知恵は、時間の限られた分科会では出なかったようですが、観光の形態自体を見直さないといけないことがはっきりしました。それには1市1町だけではなくて、県全体あるいは地域全体でそのノウハウをいろいろ検討していく仕組みづくりが必要だいうことが結論になったと思います。

○高崎

まず、長浜の事例をお話しいただきましたが、その中で出てきたのは、やはり観光を発展させるためには官民挙げての熱意が大変重要である、ということでした。それは人と人の、もしくは行政と民間のコミュニケーションであり、本当に意見を闘わせていくということ、それがいい町、いい観光地をつくっていく、ということだと思います。

また、滋賀県は「通過県」であるけれども、人が通ること自体がうらやましいというご意見もあり、つまり通過県であろうが「人」は来ているという事実を再認識させるものでした。要はそこで「降りて」いただく、そのための「もうひとふんばり」によってお客様をもっと増やすことができるのではないか、というご意見も出ていました。

3番目に、観光地としてお客様にたくさん来ていただくことのメリット、デメリットも討論されました。地元住民にとって今まで便利だったものが不便になる可能性。本当に観光地化し集客交流人口を増やすことがいいのか、という意見もございました。

こういったお話を聞きながら、私が思ったのは、「本物とは何なのか」ということです。一時の流行やトレンドに流されることなく地道に、しかも長期的に息長く続いていくことが、地域においては重要なんだろうなと思いました。

○井戸

ありがとうございました。

滋賀県の観光を考える上で一つだけご紹介したいのは、私が今、勤務している滋賀医大の新入生諸君に、秋になると「滋賀の印象」というテーマで授業の30分ほどを割いて書かせている文章があります。80%余りが京阪神の出身で滋賀県出身の学生は大変少ないのですが、代表的なものを二、三、紹介させていただきます。

学生A「滋賀県は京都の陰に隠れていて目立たない平凡な県である。先日の新聞で比叡山、延暦寺が大津市にあることを初めて知った」

学生B「郷里は福井だが、滋賀県は東京へ行く時も、京都、大阪へ行く時もいつも電車でよく通ったが、これまでゆっくり訪ねたことがなかった。滋賀県は通過県である」

学生C「近江商人で知られる滋賀県だが、大津、草津にファッションの店やしゃれたレストラン、大きな書店が少なく、ディスコもない。どう見ても田舎である」

学生D(京都在住の女子学生)「滋賀県は琵琶湖や比良、伊吹の山並みなどすばらしい自然に恵まれている。それに普通の田舎に立派なお寺やローカル色豊かなお祭がある。でもこれまで派手に宣伝されなかった。滋賀県は控えめで清楚な素顔美人である」

なかなか見るところをよく見てくれていると思います。

旅行というのはやはり泊まらないとだめだと思います。学生諸君が歴史地理研究会をつくっており、毎年10人ほど一緒に旅行します。共済関係の安いホテルに泊まる。座棺のような窮屈なお風呂が嫌いで、いつも「おい、みんなで風呂屋へ行こう」と、町の銭湯に早めに行く。地元のおばさん、おじさん方がおられ、地元の言葉が聞ける。「今晩、どこでごはんをたべたらええやろ」とか、いろいろな話が出る。おっちゃん方も自慢話をしてくれる。なにか違う土地へ来たなあという感じがわいてきます。

先ほどから「暮らし」という言葉が出ていますが、やはり地元の皆さんの暮らしにどこかで触れ合えることができる、これが旅の楽しみの一つでもあると思います。本日はありがとうございました。

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