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[参考]パネルディスカッション - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:05 No: 11
.........◆ 分科会A<あなたの地域でイベントを創出してみませんか?> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:08 No: 12
..................◆ 分科会B<「黒壁」は三重県でも成功するのか?> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:10 No: 13
...........................◆ 分科会C<三重県の集客カは強いのか弱いのか?> - 【風来坊】 2003年2月12日(水)00:14 No: 14
....................................◆ Re: [参考]パネルディスカッション - 【勝】 2005年12月9日(金)11:57 No: 32



[参考]パネルディスカッション
記事No/ 11 (親記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:05
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
平成10年度 国際観光交流促進ワークショップ報告書から

パネルディスカッション

コーディネーターパネリスト

目崎茂和(三重大学人文学部 教授)

広野敏生(まちづくりプロデュサー・株式会社創造工房ダ・ビンチ代表取締役)

清水義康(社団法人長浜親光協会統括マネージャー)

高崎邦子(JTB日本交通公社関西営業本部広報課長)

 

○目崎

今日は、三重県に如何にして外国からのお客様に来ていただけるような観光地にするのか、また、単に観光だけではなく、三重県が今進めている新しいビジターズ・インダストリーをどう創造するかということを考えていきたいと思います。

日本政府には、もっともっと海外に日本を売り込む努力をしていただきたい、という気持ちがあります。基調報告を聞いていますと、特に江戸時代から伝統のある伊勢志摩は、スペインと大変共通した部分がたくさんあると思いました。この10年、リゾート法を提案する時にはスペインと同じようなこと、つまり日本も滞在型の観光地を目指したのですが、残念ながら今のところ、日本では滞在型の観光といったものはまだ根づくまでには至っていません。

また、観光、あるいはビジターズ・インダストリーにしても、これほど大勢の日本人が外国に行く一方で、外国からのお客様は少ない。この問題は大きなテーマではあるが、それ以上に、今の経済状態の中で、単にグローバルスタンダードというだけではなくて、日本人そのものの生活あるいは社会も少子化・高齢化と変化しています。すべてが大きな意味で変化しているのです。旅行の形態にしても激変が目の前で起きつつあるということは、もうすでに皆さん自身もお気付きでしょう。

その意味では、新しい日本人の時間割というか、イベントというか、そういうものを、季節性も含めてどういう具合に創造していけばいいだろうか、ということを考える必要があります。

どういう形で観光あるいはビジターズ・インダストリーとして新しい戦略をつくっていったらいいかを21世紀に向けて伊勢志摩を核として考えていきたいと思います。

○広野

国際的に世界からお客様を呼んでくるためには、観光という商売のことだけではなくて、いろいろな切り口で、過去と未来を行き来しながら考えなければならないと思います。あるいは世界を駆けめぐるいろいろな異なる切り口の流れの中で、観光というものをクロスオーバーに考えていく時代が来たのではないでしょうか。

そこで我々は何を考えなければならないかというと、まず元気を出すこと。それにはそれぞれが自分の町の再発見、再認識をすることから始めなければなりません。自分の町、ふるさとを愛していない人が「お出でください」と言っても誰が行くでしょうか。だからまずその町の人が自らの町に誇りを持って、「さあ、お出でください」と言えるような環境をつくらないと何も始まりません。

また、官・民・学、すべてがいろいろな形で関わって、寄り合っていかなければ、魅力に富んだ元気な観光地は望めません。1つの町だけ、1つの企業だけという考え方ではなくて、1つのことをみんなで関わりながらやっていくべきだと思います。

○清水

今日は、長浜市の「黒壁」が三重でも成功するかという課題をいただいていますが、私はあえて三重県では「黒壁」は成功しないと申し上げたい。長浜は人を呼び寄せることを目的とはしていないからです。自分たちは、住みよい地域をつくるための手段、手法として、人を呼び寄せることもあるということが基本だと考えている。それはそこに住む人の考え方であったり、人のネットワークであったりするのです。そういうことはまだ三重県にはないのではないか。ちょっと辛口の言い方ですが、そう思っているからです。

先ほどの広野さんの意見に私も同感で、その地域に住んでいる人がやはりその地域をよく知って、愛着を持つこと、誇りに思うことが基本的な事柄だと思います。長浜市において、どんな町にしようかというのを言葉で表すと、「博物館都市構想」になります。町が博物館のように魅力があれば、博物館に学芸員がいるように、そこに住んでいるみんなも町のことをよく知って、来訪客に誇りを持って語れる市民総学芸員になろうと言っています。このことが観光において番大切なことではないかと思うのです。

まちづくりというのはある意味ではコミュニティーディベロップメントだと言われます。その地域に住む人が夢を語り合えるようなネットワークをつくることが大事なような気がします。そういうことについては、我々の町は官民の隔ては全くありません。

○高崎

今日のサブタイトルは「外国のお客様は来られていますか?」ということですが、「外国のお客様」という言い方をしても、例えば観光を目的の方だけではなく、当然ビジネスが目的の方もいらっしゃる。昨年日本にお越しになった訪日外国人の方は420万人ぐらいですが、4割以上の171万人が観光以外の目的でした。食事もされるし、泊まられるので、観光客と同じように見ていく必要性があるでしょう。だからビジターズ・インダストリーという言い方をしているのだと認識しています。

それからもう一点、ターゲットの問題です。以前の国内旅行は男性が中心でした。しかしここ10年間ぐらいで旅行の決定権を持つのは女性が多くなってきました。今は一人十色と言われるように、多様なニーズが存在します。本当にお客様の立場に立った時に、それぞれ性別も違えば年齢層も違うし、持っている時間の使い方も違う。それぐらい細分化された時代になっているのです。現在はその流れの途中であるわけです。しかしとりあえず現在は、女性の意見は重視しなくてはいけないというのは私どもの業界でも言えることです。


分科会A<あなたの地域でイベントを創出してみませんか?>
記事No/ 12 (記事No: 11への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:08
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URL/ 未記入
分科会A<あなたの地域でイベントを創出してみませんか?>

担当パネリスト 広野敏生 

○広野

地域の人たちが集まって、いろりを囲む。その中からいいアイデアが生まれてくるものです。今、皆さんでいろり風に机を並べ替える作業をしていただいたことが、私はまちづくりの基本だと思います。皆さんに作業していただいた即席いろり端で、まちおこし、村おこしをするためには何をしていったらいいのか、一緒になって語り合いたいと思います。

私はいろいろなまちおこし、村おこしに参画してきましたが、そのほぼ8割方は失敗しています。成功した事例は数えるばかりです。それぐらいまちおこしを一つの形にしていくことは難しいことなのです。ただ、一つでも成功をすると、何が失敗したのかがはっきりと見えてきます。これは理屈ではなく体で感じることなのです。

まず、イベントを遂行するために皆さんが大変一生懸命なことは、よくわかります。しかし、まちおこしイベントは単にイベントをすることだけが目的ではなく、そのイベントをやりながら最終目標にどう近づけていくか、その制作過程こそが真骨頂なのです。

何の問題もなくスムーズにスピーディに遂行できたイベントの先には、まちおこしも、その先にある観光促進も見えてきません。まちおこし、観光促進を目指すイベントである以上、その過程で様々な問題が発生し、いろんな人たちとの折衝が始まります。その中で双方が自らの足元を見直すことから、地域の再発見・再認識が始まるのです。つまり、イベントというのは、当日のイベントだけが目的ではなく、それを通し、賛否両論を調整する中から1つのざわめきをつくり上げていくことなのです。このざわめきが大きいほど、成功イベントであり、町の活性化につながるのです。まちおこしには、すぐに効果が出るような特効薬は絶対にないのです。

我々は反対の少ない最大公約数のものづくりをしていくことが何よりも大切だと誤解していますが、町を活性化させていくためには賛否両論をつくり闘わせなければ、ざわめきは起こりません。ただし、行政は一方に偏る訳にはいきませんから、いろいろな賛否の軸をたくさんつくることで、町全体としては、それを平均化させることも大切です。

さて、一つご紹介したい事例は、フランスのロアール川沿いにある、ルピデゥフという過疎化の進んだ4.000人の村の話です。村の人たちは若者に帰ってきてほしいと思っていました。しかし村には若者に魅力的な産業もなく、村の人たちはある種のあきらめムードの中にいましたが、こうなったら残された年寄りだけでとことん面白いことをしよう、そして子供たちに村のよさを知ってもらいたいと、住民総出の「野外音楽劇」を始めました。今から35年前のことです。

この野外音楽劇というのは、ルピデゥフ村の人口4.000人のうち1.500人が出演して、その村の古代から現代までの歴史を村人たちだけで演じる歴史スペクタクルです。まさに村の一大文化祭として、村のあらゆる文化団体の力を借りて自らの住む地域文化の集大成としました。1.500人の出演者がその時代時代の衣装をつけ、ストーリーに沿って演じる中に、バレエや、馬が走り回る戦場の場面などを組みこんでいます。

35年目を迎えた今日、村の人口は当時のままの4.000人ですが、今では6〜8月の、夏休みの間の土曜・日曜には必ず上演され、ひと夏にヨーロッパ各地から数十万人もの人がこの野外音楽劇を見にルピデゥフにやって来ます。

このようにイベントというのはお客さんを集めようと思ってつくれるものではありません。とにかく自分たちが楽しむのだと、居直って始め、その結果として、あの村では何かおもしろいことをやっているよ、と周辺の人たちが囁き合い、行って見ると結構面白いじゃないかと次々に伝わり、ヨーロッパ全体から観光客を集めるまでに至ったのです。ただ、それにはいくつかの仕掛けがあります。その一つは、演技をするのは全くの素人ですが、脚本や構成をする人、照明、音響などのテクニカルなスタッフ、全体を指揮する監督もフランスの超一流にお願いをしています。というわけで、一般の観光客がそれを見ても退屈することはありません。

この野外音楽劇は、ルピデゥフ村の1年間の予算を上回る興業収入を得ています。今ではその収入で財団を設立し、練習場やスタジオ、FM放送局、ホテルもつくりました。まさに行政顔負けの自治です。村民の95%がこの野外音楽劇に関わっています。参加者は自分たちの村の歴史と対話しながら、自分たちの持っている長所を存分に発揮して、この劇を1年かけて練習し完成させるのです。何回も反芻する。そこにお年寄から子供まで、いろいろなコミュニケーションが生まれます。そこに見えてくるものは、1年間かけて4.000人弱の人たちが一つの目標に向かって悩み、苦しみ、みんなで力を合わせてクリアした成果の賜物にほかありません。

今から10年前富山県高岡市が市制100周年を迎えました。当時町が大変衰退していっており、何とか元気になりたいという依頼で、3年間かけて町の人たちと討議しました。そのころルピデゥフの野外劇のことを知り、これだと思い、フランスに飛んで行ったのが始まりです。野外劇に触れ、ルピデゥフの人たちと話をした結果、高岡でも野外音楽劇をやることになりました。まちの歴史的な景観であるお城の本丸広場を舞台に、高岡市のあらゆる文化団体が結集して、市民1.000人あまりで野外音楽劇「越中万葉夢幻譚」を上演してから、今年で10年続いています。

高岡市の人口は17万人。出演者は例年約1.500人で、次の年は楽屋の世話にまわります。それを繰り返すことで、毎年3.000人、10年で3万人近い人が関わったことになります。観客は地元の人が中心ですが、外からも大勢やってくるようになりました。土日の2回公演で、7.000人入るので、10年間で17万人の町の半分以上の人が何らかの形でこの野外音楽劇に関わったことになります。衣装なども今は市内にある洋裁学校の若い人たちが協力して縫いあげてくれ、現在ではほぼ9割方、自前の衣装でやれるようになりました。また、高岡市にはお能の家元もおられ、最初は出ることを拒んでおられましたが、今はすすんで協力いただいています。野外音楽劇以外でも、お能の公演には、野外音楽劇仲間の若い子がつめかけ、若い子のロック公演に家元や民謡のお母さんたちが黄色い声援をおくったりと、コミュニケーションも大変うまくいっています。

つまり、文化はそれぐらい人を結びつける力があり、そして元気を出させる力があるということです。文化でできた組織というのは、自然に人間関係ができるので、障害があってもそれを乗り越えていくだけのパワーがあるのです。ですから、町を元気にするためにみんなで楽しもう、勉強しよう、自分たちの町のことをもっと知ろう、そしてそれなりにいい町ではないかと認識しよう、と始めたことが、町のパワーにつながっていくのではないかと思います。

観光を考える時、たくさんの人にお出でいただくためには、ホスピタリティーを発揮しなければなりません。そのためにはやはりまちが元気でなければいけないというのが原則だと思います。人間関係の大きなパワーを保持する仕掛け、仕組みがあれば、世の中のどんな変化に引きずられることなく、いつも人を呼ぶだけの魅力があるはずです。

地域の活性化がなければ観光の促進はできません。地域活性化というのは、繰り返すように、自らの地域の再発見・再認識をすることから始まります。それには、1]アイデンティティの確立、2]ネットワークの確立、3]メッセージの確立、この3つの要素が重要となります。1]アイデンティティの確立とは、そこの土地らしさをどう出していくかということ。土地らしさを出すことによって愛着も生まれるし、誇りにもなっていくわけです。2]ネットワークの確立は、その町の中のネットワークはいうまでもありませんが、イベントを進める中で、今までになかった町の外の人たちと一緒になって事に当たることで、ネットワークを連ねられます。3]メッセージの確立というのは、常に何かをその町から発信し続けていこうということ。受信するだけではなく、自らも外に発信するものを常に持つことで、メッセージが投げかけられます。これらの三つのことをやっていけば、そこに参加した人たち、それに関わった人たちの自らの地域の再発見・再認識につながっていくでしょう。それが地域の活性化、観光促進につながるのです。

では、そういうことを目ざしてイベントを創っていく上で、その素材となるものは何だということになります。その土地独特の資質の中で最もふさわしいものを取り上げてテーマとします。そのテーマをいろんな切り口で分析していくと、今まで見えなかったものが見えてくるのです。

このことは、まさに私が高岡市でやったことです。地域資質からいくと、高岡は仏像などの鋳物の産地です。それを近代産業にしていく中で出てきたのがアルミの鋳物でした。あとは万葉集をつくった大伴家持が高岡に5年間赴任しており、家持が詠んだ歌のうちの6、7割が高岡で詠まれているということです。あるいは藤子不ニ雄という漫画家がここの出身であるということ。資質としてはその三つしかありませんでした。

その中で賛否両論が一番大きかったのは、万葉という切り口でした。なぜそんな古いものをという反対と、あんなすばらしいものを埋もれさせてなるものかという強い賛成がありました。市民の人たちとこの問題をとことん練り、最終的にテーマとして、賛否両論の際立った万葉を取り上げたのです。

まず歴史的、あるいは文学的価値の切り口で万葉集を切ってみると、古代から現代へと続く「共生」という永遠性がこの時代にもっとも大切なのではないかということが見えてきました。さらに、わがまちを再発見・再認識させるキーワードであるアイデンティティの視点、ネットワークの視点、メッセージの視点で万葉をながめたとき、ルピデウフという村で行われている野外劇という手法にいきついたのです。イベントというのはそういうふうに一つ一つ段階を踏んで考えていかないと、思いつきやおもしろさだけではなかなか生まれません。

○参加者(西条・志摩郡阿児町 志摩マリンランド)

私の住んでいる志摩半島は、観光を生業としている町です。そうすると、高岡のように観光地でないところの手法と、また観光がより生活に密着している志摩半島とでは異なると思いますが、その辺はどう考えたらいいでしょうか。

○広野

ルピデゥフという村はひと夏にヨーロッパ各地から数十万人を呼ぶだけの力を持っています。高岡は活性化のために野外劇を取り入れましたが、観光を目標にはしていませんでしたので、ルピデゥフとは違う展開をしました。ただ、まちが元気になるためにみんなで歴史と遊ぼうとした思いは、その底に息づいています。

観光をやるためには、まず地元の結束、元気がなければいけない。やる方法論、そしてそれをいろいろ手直ししていくことによって大きな観光の目玉にもしていけるというのがこの野外劇の持つ大きな魅力です。だからそれは方向次第だと思います。

○参加者(高田・トラベルジャーナル専門学校)

高岡の例で、基本的にこのイベントは観光促進が最終目標ではないということでした。ただし結果的に観光客が来てくれればそれにこしたことはないと。10年やってこられて県外のお客さんはどのくらいいるのですか。

○広野

観客の3割が県外からのお客様です。

○参加者(続)

企画もすばらしくて、パンフレット類にお金をものすごくかけていても、どうやって流通させるかが問題だと思います。メッセージを確立して発信し続けるという方法もありますが、その流通の仕方でベストというものはなかなかないと思います。旅行会社に販売を委託するとか、ポスターを貼るとか、新聞広告を出すとか、いずれにしてもコストが高いものになってしまうのです。メッセージの発信は合理的な施策を取られたのですか。

○広野

そういう宣伝はほぼやっていません。ロコミです。なぜかというと、「何かあの町はおもしろいことをやっているらしい」というふうに、ある種のベールに包むことが集客にとって大変大切だからです。チケットはほぼ2日間で売り切れてしまいます。出演者の家族だけで3.000枚は売れる。そういう形で逆に外に宣伝しないことでその価値を高めていくことになっています。

○参加者(続)

これは市民も巻き込んだイベントとしては日本でも最高のものだと思います。市民を大量に巻き込んで、賛否両論でその中から構築していくと言われましたが、各自治体の方々の懸念点として、いかに地元の方々の意見を吸い上げるか、この高岡に関してはどうやって住民を選別して、どういうふうに教育をしてつくりあげていったか、その過程をお聞かせください。

○広野

劇の内容は、万葉集の大伴家持が古代から中世、近代、そして現代という時代の間をタイムスリップしていく話です。その中で家持がいろいろな経験をします。中身は万葉集にこだわっていると言いながら、難しいことは1つも出てきません。万人が見ていて面白い、普段みることのできない体験が味わえるという、ある種の未体験空間を創出するわけです。

万葉集はあくまでも口実で、そこに参加した市民たちが、とにかく楽しめればいいのです。その結果、楽しみ遊ぶうちに、いつの間にか自らの地域の再発見・再認識をすれば、思うツボです。

私は現在はまったく野外劇に関わっていません。私はまちおこしとしてのプロデューサーで、演劇をつくる監督ではありません。ですから町を元気にさせるための方法論を住民と一緒に考えてきました。今、町の人に「あの野外劇は誰がつくったのか」と聞くと、「市民がつくった」とおっしゃいます。このことはものすごく正しいし、うれしいことです。今はプロデュースした私の姿は一切ありません。そういうことが大切だと思います。

○参加者(中西・おかげ横丁)

私どもの施設は平成5年7月に開業しました。私企業で、招き猫の祭をしたり、夏の祭をしたり、太鼓芸能祭を開催しています。イベントを起こし、賛否両論を取りまとめる、もしくはあえて反対論を引き出してきて、それをいい方向にもっていくことのできる人材が必要だと思います。

○広野

野外音楽劇を完成させるにあたって、3年間に市民の代表10数名と、市の人1人、そして私で、ワーク会議を月に2回ずつ行いました。役所の人はほとんど発言をせず、すべて市民の代表の人々が発言しました。私も前半半分は役所の人と同じように聞き役に徹しました。最初は不満と夢のようなプランばかりが続出し、現実的な話にはなりませんでしたが、会を重ねるごとに、誰がやるのでもなく自分がやらなければ何もはじまらないことを皆が自覚していきました。役割と責任を明確に持ったミニ市長がたくさん誕生したわけです。

その3年間の会議は、無駄なようでものすごく大切でした。何をやろうかということだけで、3年間盛り上がりました。みんなが元気になるための仕掛けを起こすためには、その土壌をつくるためには、これくらいの期間がかかるということです。

反対に私から質問したい。おかげ横丁の人たちが一生懸命力をかけていらっしゃるが、伊勢市以外の市民たちとの関わりはどうなっていますか。市民たちからすると、そこだけ遊離されたゾーンとして存在していて、関わりのない中で、ある種の冷やかさというものが出ていないでしょうか。逆にそれを核に伊勢市民との関わりが何かできないでしょうか。

○参加者(続)

おかげ横丁は6年目に入り、再スタートの年だと思っています。立ち上げるまで数え切れないほどの会議をやりました。昭和48年のご遷宮が終わった段階から企画を立ち上げたものです。基本的な考えは、「建物と商品と人の3本柱でお客様に感動を持ち帰っていただく」ということです。これは県外から来られた方に対しての考え方が中心になっています。ただ現状は地元の方々が多い。それはそこに行けば地元の人が観光客の気分になれるということで、非日常的な感じを持てるからだと思います。しかしまだ市民の皆さんにステージとして使っていただくというところまでは至っていません。

○参加者(佐藤・滋賀県長浜市)

私は大分県の湯布院から出向しています。一般的に新たにイベントを立てるとなると、ロコミ広報では多大なる時間を費やしてしまいます。では、どんな形でポスターやパンフレットを配るかというと、それには3つのやり方があります。1つは何千万規模というお金をかけて広告代理店に頼むというやり方、これはイベントではなくショーとしてのまちおこしになります。2番目は、自分たちでPRをすること。しかし、何万部のポスター類が全国に回るということは難しい。3番目は、ロコミが難しければメディアに頼むことになりますが、メディアになると非常に偏った情報が流れる可能性がある。またコストが高くつきますが、その点、どうお考えでしょうか。

○広野

過去、広告代理店と一緒にやったケースも多々あります。まちおこしがもちろん主目的ですが、その成果をどこで見るかです。集客を目的にやった場合は、必ず大量のPRを時間軸の中で早急にやらなければならないという問題があります。ところがむらおこし、まちおこしの中で物事を考えていった時に、まちが元気になる時間などは、計れるはずがありません。

熟成を待たなければならないからです。元気になるというのはその地域の人たちの心の問題だから、それをやるためには時間をかけざるを得ません。みんなが元気にならなければ観光促進もできないということで、町を起こしていく基盤となる人をどう養成していくかが大切です。

○参加者

三重県の外郭団体、第3セクターで運営しているパール・レストハウスから来ました。

私どものところは半官半民で、観光客相手に仕事をしています。以前は収益はとんとんでいいということでやっていましたが、これからは収益を目的にしないと観光事業はやっていけないということで、私も企画、イベントを考えよと、上司から言われています。

公共施設は地域に密着した形でやっていかないと成功しないということでしたが、それがだんだん変わってきつつあると思っています。まちおこしがイベントにつながるかどうかということをお聞きしたいのです。

○広野

ふるさと創生の時、1億円を使って成功したものと成功しなかったものがありますが、その違いは、やはり町の人々の意識でした。再発見・再認識をさせるような仕掛けがイベントの中にあったかどうか。単に見せ物として行われたものは、今は全部跡形なく消えてしまっています。

今度、三重県が「ビジターズ・インダストリー」という形でやっているのは大変おもしろいと思います。この中にベーシックな部分、町にどうやって元気を取り戻せるかという仕掛けをまずつくらなければ何もはじまりません。

今、第3セクターがうまくいかないと言われていますが、その理由は責任転嫁があるからではないでしょうか。1つのイベントをやる時、それに関わるものみんなが同じレベルに立って、互いの長所を発揮させる環境をつくってやるべきだと思います。

中・長期的に町が元気になるような仕掛けをどうつくるか、そして早く結果を出すことや早く収益をあげることをいかに我慢するかなのです。

○参加者(西条)

今、我慢ということを言われましたが、民間企業のサイドにおいて、我慢ということになると、結局会社がつぶれるということにつながります。そこまでいかない間に、最良のイベントをやる1つのつなぎというのは可能でしょうか。

○広野

つなぎというのは、私はイメージとしてはありません。ただ、つぶすということではなくて、企業のあり様を根本的に変えなければならない時代がきたのではないでしょうか。自らの足りないところは素直に他の力を借りるという姿勢が、企業を救うのではないかと思っています。互いの弱いところを補いながら互いのメリットにもなる協力体制は、必ず存在します。まずメンツを捨てることです。

産・官・学・民、この4者が互いの活性化のために集まって、何か小さなことができれば、次にもう少しレベルを上げてみる。それでまたうまくいけば…というように、小さなことから盛り上げていけばいいと思います。


分科会B<「黒壁」は三重県でも成功するのか?>
記事No/ 13 (記事No: 11への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:10
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
分科会B<「黒壁」は三重県でも成功するのか?> 

担当パネリスト 清水義康 

○清水

「黒壁」は、今は株式会社「黒壁」といって、第3セクター組織で運営しています。資本金4億4.000万円、そのうち長浜市が1億4.000万円、残りの3億円を民間で出資しています。

長浜市は江戸時代から経済圏、文化圏として成立していました。長浜自体は小さな町ですが、その周辺の町から買物に来るという、特に商業機能の中心地でした。

昭和50年代から60年代の初めに、壁の外側が黒かったことから通称「黒壁銀行」として親しまれていたカトリック教会が郊外に移転することになりました。そこでその名物建築でを何とか保存できないかという話になったのです。そして民間からの出資で昭和63年4月に正式に会社として発足しました。

何をやるかという事業展開については、全く考えがありませんでした。地場産業をキーワードにしてみんなで検討しましたが、結局何も決まらなくて何カ月かが過ぎていきました。

そんな時に社長が「ガラスはどうか」と提案したのです。しかし、実際に長浜とガラスは縁もゆかりもありません。ただ、以前から我々の基本的なコンセプトとして、1]既存の業種とバッティングすることによって地場の店や産業がダウンしてしまう業種は避ける、2]外からお客様を呼び寄せられるものにする、3]大都市と大企業にはできないこと、の3つの視点を考えていました。さらにまた歴史性、文化・芸術性、国際性ということをテーマに掲げて事業を考えてもいました。だから、ガラスを取り上げた点では、長浜でなくても、全国どこででもできた事業だと思います。当然三重県でも成り立ったわけです。

現在、ガラスをキーワードに26店舗まで展開し、平成9年度ベースで157万8.000人の来訪者があり、経常利益4.800万円でした。

次に、今後の目標として第3セクターとしては異例のことですが、来年の秋に株式の店頭公開を行います。また、今年の4月に岩手県の江刺市に「黒壁」の店舗をオープンし、その一角にガラスを扱う店をすでにオープンしています。こういった形で、長浜で培ったまちづくりのノウハウを今後全国展開で広げていこうと考えています。

長浜の「黒壁」の経営の基本的な考え方としては、長浜だけがいいという状態は、あり得ないだろうから、日本全国全体を底上げして、その中でさらに長浜が段レベルアップするということを基本にやっています。

さらに、ガラスをキーワードに大学のガラス学科の誘致を進めています。また「黒壁」のある通りは北国街道という昔ながらの街道筋ですが、北国街道とオーストリアのラッテンベルグという町にある街道とガラス姉妹街道という形で提携しています。あるいは、ガラスの関係でベネチアなどにもいろいろな形で折衝を行っています。そういうことから世界戦略を図ろうと考えているのです。

「黒壁」のガラスももちろんですが、日本のガラスは、ヨーロッパとでは幼稚園と大学生ぐらいの開きがあります。今、とりあえずガラス文化をとことん追求していこうという姿勢で長浜のガラスはやっています。そういった中で、世界でガラスと言えばベネチアだ、チェコだ、長浜だと言われることを目標にしているのです。

次に、経営者についてですが、当初オープンした時は専務は自営業を経営していましが、会社の経営はすべて弟さんに委ねて、この「黒壁」に無報酬で常勤で勤めています。ただ、株式を店頭公開しなければならないということで、去年から役員報酬を払っている。このように当時、無報酬で携わる人間がいたということが「黒壁」の大きな成功の1つの要因です。

さらにまた株式会社「黒壁」は現在約100名の従業員を抱えていますが、男性は5人ほど、あとはすべて女性です。部長、課長はすべて女性なのです。

考えてみれば、ガラスを突き詰めていく中で、長浜の町の活性化を図ろうというまちづくりディベロッパー的な会社が「黒壁」です。

今日はこの「黒壁」の手法が三重県でできるかどうかというお話ですが、前置きはこのくらいにして、皆さんの忌憚のないご意見をお伺いしたいと思います。

○参加者

三重県では「黒壁」は成功しないと、結論を先に言われましたが、その理由はどこにあるのですか。

○清水

決して成功しないわけではありません。もちろん三重県でも伊勢市でも、地域のことに一生懸命携わっておられる方はたくさんいらっしゃると思います。ですが、「私の町が一番ではないか」という、我々の町にはそういった自負があります。今、イベント関係で寄付金を1億円集めています。これだけのお金が皆さんの地域で集まるかどうか。

そういった寄付金活動の多さを考えてみてください。私どものほうは事務局としてやっているだけですが、そういった寄付金を集めるだけの役員が一生懸命頑張っている。そこまでのことが皆さんの町で実際にできるかどうか。できるとおっしゃるのであれば、成功する要素はあると思います。

○参加者

今言われた寄付金のことですが、旧来からこういうスタイルで集めておられるのですか。また、すんなりとこれだけの金額が集まるものでしょうか。それとも「黒壁」が立ち上がってからそういう状況が生まれてきたのでしょうか。今までの経過をお聞かせください。

○清水

決して「黒壁」が成功したから寄付金集めもうまくいったというわけではありません。我々の町は全部で約1万7.000世帯ありますが、すべてのところに封筒を配っています。その中に寄付金を入れて出していただきたいと、そういったやり方をしているのです。つまり市民みんながお金を出すのだということです。これはずっと前からやっていることです。

これは、1つには、お金を出すことによって傍観者にさせないこと、イベントにしてもみんなができるだけ参画をしょうという意味を持ったやり方なのです。

「黒壁」が中心に展開しているということを、1つご紹介させていただきましょう。

昨年の秋からプラチナプラザというものを立ち上げました。これは一昨年、NHKの大河ドラマの「秀吉」に合わせて「秀吉博覧会」というイベントをやったことに起因します。その時にイベントのスタッフを集めるのに、若い女性が揃いの制服を着て、というのがよくあるパターンなのですが、我々の町では集めるのが難しかったので、スタッフ募集の合言葉を「青年男女を求む、ただし55歳以上」として、シルバースタッフを取り入れたのです。歴史的なイベントであること、そしてホスピタリティーを大切にしなければならないこと、外客を受け入れるということなので、歴史に造詣が深く、物腰が柔らかいご年配の方をぜひとも参画してもらおう、そういった先輩の知恵と一緒にやっていこうということが基本になりました。

このイベントは8ヵ月のロングランイベントでした。一生懸命やっていただく間に、町のことに関わる喜びと誇りと自信みたいなものがシルバーの方々に沸き上がってきました。

○参加者

私は今まで「黒壁」に3回行ったことがあります。最初に行ったのが3年ほど前で、3回目はつい最近です。

それで、この前行った時に気づいたのは、「黒壁」の中に骨董品屋さんがあったこと。最初に行った頃はどこの町にでもある骨董品屋さんだったのですが、つい先頃は古い風情がなくなって、完全に観光客向けの商品を置いていました。最初に行った時、そういうふうに昔ながらのものを売っている店と、新しいガラスを売っている店、そのミスマッチがおもしろくて、非常に新鮮なイメージを受けたのですが、骨董品屋さんが観光客向けの品揃えをしたことで、普通の観光地になってしまったという気がして、ちょっと残念な気がしました。

○清水

長浜は今、すばらしい、すばらしいばかりではありません。本当に私たちはたくさんの悩みを抱えています。確かにたくさんの人に来ていただくことにはなりましたが、長浜の「黒壁」周辺、市街地周辺は観光客目当てで最高の商売の場だという意識がかなり高まってきているのです。

極端なことを言えば、儲かるからお店を出そうとか、これを置いたら儲かるとか、そういう視点が先行しているきらいがあるのです。本来は長浜のよさというのは、生活文化の中に新しい血を入れて、いわゆる古いものと新しいもののミスマッチがよかったと思います。今は市民の生活感がどんどん消え去っているのは事実だと思う。それは我々が一番危倶している点です。

例えば三重県で言えばあるいは、「おかげ横丁」だったら、まだまだ人の生活感があって、地域に実際に根付いていますね。観光客だけではなくて、地元の人もポッと行って全然違和感のない世界。三重県のそういった姿については逆にお尋ねしたいと思います。

○参加者

「おかげ横丁」はもともとであったのが、テーマパーク化してしまった部分があります。その大きな要素として、やはり時間帯の問題があると思います。伊勢の「おはらい町」の場合は大体3時ぐらいまでで、その後、志摩の方にお客さんが流れます。ずっとそこに滞在できるような感じの町ではありません。住民の皆さんがそこにいて過ごせるような空間とか仕掛けが必要だと思うのです。

これからの課題は、そこへどうやって、もう少し長い時間、人がいられるような町にしていくかです。今は生活感が非常に薄れた町になってしまったというのが、「おはらい町」の実態です。

○参加者

私の町の川崎町は、「おはらい町」よりも「黒壁」みたいになる可能性がもしかするとあるかなと思っています。昔の問屋街で、水運で栄えた町です。今でも立派な蔵がたくさん残っていますが、活気は全くと言っていいほどない。

今、川崎の町の人々で、ここを何とかしょうじゃないかという機運が少し起きてきています。

例えば「おはらい町」の今の建物はやはり整備されてからできあがった、新しいものが多いですね。川崎の蔵は100年、200年の歴史を持っており、非常に立派な重厚な蔵がたくさん並んでいます。そういった状況はもしかすると「黒壁」が成功する以前の状況に近いものかもしれません。

○参加者

川崎は、蔵バンクを設立しました。90棟ほど残っている蔵や町家を何とか今の時代の中に生かしていきたい、生かす方法を何か提案しようじやないかということで設立されたものです。

ただ、地域の人の盛り上がりが今一つというところがあり、それが大きな課題です。そういうことに気がついて走っているグループはいいけれど、なかなか今、広がりは出てきていないのです。人の気持ちを起こすようなことで、何かヒントがあればお教えください。

もう一つは、中心商店街の疲弊ということです。伊勢にはいろいろな商店街がありますが、10年前の長浜市と同じような、人がいない町がどんどん出てきています。そこを何とか生かせる方法はないのでしょうか。商店街の違う生かし方があれば、またそれも教えていただきたいと思っています。

○清水

長浜で「黒壁」が成功した1つの視点としては、雰囲気は目一杯長浜らしさを活用しながら、ガラスというキーワードになるものについては全く歴史性とか地域性はなかったことです。それもこれからの皆さんの地域で開発をされる時の一番重要な要素ではないかと思います。

例えば今、川崎という蔵がたくさんある町のことが出ましたが、そこで何をするのかというのも大切な議論ではないでしょうか。

○参加者「黒壁」さんが10年間成功した背景には、対外的なPRをしたということもあると思います。その点、どんな宣伝をしてここまでこられましたか。

○清水

まず1点目に株式会社「黒壁」としてのPRはほとんどしませんでした。ポスターは小さいものはつくりましたが、基本的なものはっくっていません。観光協会なり、行政そのもので町をPRするポスターの題材として第3セクターである「黒壁」を取り上げた。そういった、これが長浜の町の新しい魅力なんだというふうなPRをどんどんさせていただきました。

PRは私が担当していましたが、旅行会社へのPRは基本的にしませんでした。マスコミヘのアプローチは多彩な関係でやっています。例えば全国の雑誌、新聞へは情報を出しています。さらにまたロコミでPRをしてもらってもいます。宣伝については基本的にはパブリシティーです。また、JR西日本が一生懸命PRしてくれたということがあげられます。JRといろいろなタイアップをして宣伝をしたことが大きかったと思います。だから我々の地域から見ると、伊勢志摩あたりだとJRの色は全く見えてきません。近鉄が強烈な印象です。三重県のPRは行政というよりも近鉄がやっているイメージが強いですね。

○参加者

最初スタートする時に、社長にはあえて、行政の推した人をはねのけたというのは成功の1つの要因だったと思いますが、その後、こんなことをせよ、あんなことをせよと、行政から制限は加えられなかったのですか。

○清水

資本金比率で、当初民間が9.000万円で行政が4.000万円でした。増資してからも4億4.000万円の中で、市が1億4.000万円で、3分の1に満たない額です。極端なことを言えば、市の思いどおりに全くならないという会社です。

しかし、当初、「黒壁」を設立して何年かまでは、ある程度、行政がリーダーシップを取っていました。その後、だんだんと民間が力をつけていって今のような民間主導型になったのです。逆に行政がインフラ整備などで、後ろから追いかけているという状況になってきたということが今の長浜の状況です。

○参加者

ガラスの何が「黒壁」に合ったのか。やはり女性に受けることとか、値段が安いものから高いものまで設定できるとか、いろいろあると思うのですが、ガラスで成功した一番の要因は何でしょうか。

もう一点は、ここまできた以上、ガラス以外にさらにもう一つ、キーワードというか、核になるものを「黒壁」に付加しようという考え方があるのかどうか、お伺いしたいと思います。

○清水

なぜガラスがよかったか。時代的によかったということは確かにあると思います。まず、日本の中に既存ではあまりなかったものであるということ。例えば陶器、磁器の関係であれば、先発組がたくさんあります。そういった面ではガラスは非常によかった。また、ちょうどその頃から日本の国内全体的に、ガラスそのものが生活の中に根づいてきたという時代でもありました。そのことは非常に運がよかったと思います。

ただ、とにかくガラスの質を高めていこうということを一生懸命言っています。だからガラスのおみやげ屋ではなくて、ガラスを文化としてどこまで追求していくか、高めていくかというふうな視点が経営の中にありました。そのあたりもガラスが受け入れられた理由の1つではないかという気がします。

ただ単に物を売るのではなくて、ガラスを地域として全体的に展開していく。例えば今、カルチャースクールのようなもので、「ガラス大学」という名称でガラス講座をやっています。この卒業生が500人います。そうすると、人口5万人の中でガラス大学を卒業した人が500人。市民の100人に1人がガラスについて知っていることになります。これだけガラスについて知っている密度の高い町は、長浜が日本で絶対に一番だろう。さらに長浜市内の6つの小学校の5年生は、全員が「黒壁」で授業の一環としてガラス細工を楽しむということもやっています。

そのようにいろいろな形で、徐々に、外向きばかりではなくて、地域に住む人たちもガラスに対しての思いをどんどん高めていく工夫をしています。

また、今後についてですが、現段階ではあくまでもガラスにこだわろうという形にしています。一般客向きではありませんが、世界で数名しかいないガラス鑑定士という資格を持った方のお店を1店つくっています。

つまり世界でも超権威のある人が来て、その人のお墨付きのガラスが長浜にあるということです。これは日本全国どこにもありません。これは極論すれば、これからはガラスは日本では長浜が一番だということになるだろう、ということです。世界中を見ても、その人の作品は特定の場所にしかないということになってくれば、当然長浜のガラスのステータスはだんだん高まってきます。

○参加者

江刺市に出られたということですが、そのほかに全国展開をされる話はありますか。地方都市に「黒壁」として出る計画はあるのでしょうか。

○清水

可能性はないことはない。逆説的な言い方ですが、江刺に出たのは、江刺は条件が悪かったからです。東北の田舎で人口がどんどん減っている地域。今、我々の町は視察の団体がたくさん来ていますが、それらの中でも条件としてはあまりよくありませんでした。しかし逆に江刺で成功すれば、日本全国どこでも成功するのではないかという自信を持っために思い切って江刺に出たという経緯があります。オープンしてからまだ2ヵ月余り。今のところはそこそこ順調にいっていますが、今後どうなるかはわかりません。

長浜も今はいろいろな悩みを持っています。商業主義的な発展に偏重しすぎているきらいがあるのです。「黒壁」近辺にはそういった「黒壁」的な環境向けの施設もあれば、昔からそこに住んでいらっしゃる方もいる。

商店街としても、今は全く観光客向けの商店街になりつつあります。地元向けのロードサイドショップ、観光客向けの中心商店街という形で、全くの分化が進んでいます。そういったことが本当にいいのか、長浜の場合は確かにたくさんの人にどんどんお越しいただいて、産業としては成り立っているけれども、人がだんだん住めなくなっている。そういった大きな課題も長浜にはあるということを、逆に皆さんにご承知おきいただきたいと思います。長浜市にお越しいただき、新しい目でまたご示唆をいただければありがたいなという気がしています。

長浜の「黒壁」は成功したけれども、これが三重で成功するのかどうかは大変難しい話です。最初に「成功しない」と言いましたが、皆さんのやる気があれば成功する。長浜が今、抱えている問題も含めて解決するような開発がなされれば、先ほどおっしゃられた川崎でもできるのではないかと思います。ただ1つ言えることは、いろいろな形で核になる人が、その展開には必要であるということです。

我々の地域で誇れることは、官と民の境がなく、みんながいい意味でのパートナーシップの関係が保たれている町であるということ。これがあったから「黒壁」が成功したと思っています。




分科会C<三重県の集客カは強いのか弱いのか?>
記事No/ 14 (記事No: 11への返信記事)
投稿者/ 風来坊
投稿日/ 2003年2月12日(水)00:14
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分科会C<三重県の集客カは強いのか弱いのか?>

担当パネリスト 高崎邦子 

○高崎

「三重県の集客力は強いのか弱いのか?」というテーマは非常に難しい問題です。だからここで無理に結論を出すことはせず、私の報告が皆様方の議論のきっかけになればと思っています。

まず最初に、集客力を考える時、どういうお客様に来てもらいたいか、もしくは逆にどういったお客様には来てもらえないか、つまりターゲットの問題を考えることが重要です。

三重県ではどんな人がターゲットとして考えられるかというと、一つには中高年の人たちが挙げられます。熟年層は今後10年間に大きく拡大するマーケットです。三重県は、お伊勢さんということですでになじみがあるので、観光地のイメージの構築が非常にしゃすいメリットがあります。しかし逆に旅行がこれだけ日常的に行われるようになった今日、世界の一流観光地に負けないようなホスピタリティーが求められています。海外にはない、国内ならではの魅力ということももちろん重要になってきます。

海外からの誘客という点では、中国を中心とするアジア諸国が一つの狙いであり、もう一つは、女性を狙っていく必要があります。私は、三重県には非常に女性的なイメージがあると思うのです。海があって、山があって、非常に光が多くて、赤福の甘さも相まって非常に女性的なイメージ、そのあたりをPRしていくことも1つの手法です。

三重県の集客の現状は、平成8年の入り込み総数が4.669万人、平成7年の4.555万人に比べると約2.4%増加をしています。

非常に卑近な例で恐縮ですが、日本交通公社で扱った宿泊者数を観光地別に集計しているものがあります。年間で大体3.000億円ぐらいの取り扱い、人数で言うと2.300万人ぐらいのデータなので、全部ということではありませんが。1年間の三重県の集客数は58万1.673人。全国で三重の占めている割合というのは2.5%です。

三重県内を観光地別に見た時に、非常に突出しているのは伊勢志摩で、8割を占め、2番目が長島温泉で5万人です。伊勢志摩地域の47万527人という数値は、ビジネス需要は非常にあるけれども観光に行く人はあまりいないという大阪の39万に比べてもそんなに多くありません。

長島温泉の5万人というのは、同様にビジネス需要が多いだろうと思われる12万の名古屋と比べてもそんなに特化した数字だとは思えません。宿泊者数の数字で見ると、三重県の集客というのはほとんど伊勢志摩地域だけに頼っています。その伊勢志摩地域といえども例えばほかのところと比べてみて、そんなに特化した数字ではないということがわかります。集客力というのはお客様を集める力、観光地については当然観光客を集める地域力です。観光地の場合は、もちろんのことですが、観光資源、つまり何を見に行くかということになります。それを第1番目に考えた時に、観光資源がなかったらつくろうという発想が起こります。さらにどんなにすぐれた自然景観でも、そこに行くための交通路とか、交通手段というものがきっちりと整備されていなかったら、資源価値はそれで十分だとは言えません。マーケティングがあって初めて、観光資源が潜在的に持つ集客力というのが発揮されるのです。

日本交通公社では日本全国の約9.000件の観光資源について評価をしています。特A、A、B、C、Dの5段階になっています。特A級は我が国を代表する資源で、かつ世界にも発信できるもの、A級は全国的な集客力を持つ資源、B級が地方スケールの集客力を持つ資源C級が県民及び周辺地域の住民の観光利用に供するものというふうになっています。

特A級の資源をここに挙げてみると、三重県には2つあります。伊勢の内宮と遷宮です。特A級は全国に35個で26の都道府県に分散しているので、残る21都道府県には特A級はない。2つ以上存在しているのは北海道、青森、栃木、富山、三重、京都、奈良、広島の8都道府県だけです。

三重県のA級からC級までの資源数は、A級資源が8つ、これが全国の2.0%に当たります。同じくB級35で、1.7%、C級190の3.1%、合計235で2.7%、面積は1.5%なので、この中にこれだけのものがあるということは十分な観光資源に恵まれていると言えます。しかしこれは昔風の「見る」という観光に基づいた資源の評価であり、多様な観光客に対する平均的な評価なので、今の新しい動きに対応しているかどうかというと、必ずしもそうとは言えない。

集客力について、資源とターゲットのマッチング、ニーズとのマッチングは、お客様の属性、性質、旅行のニーズとの関係でいろいろ考えるべきですが、これは観光資源にも当てはまることで、テーマパークを好む人もいれば、伝統的な日本文化や伝統芸能に魅力を感じる人もいるわけです。三重県の観光資源で言えば、特A級の資源がいずれも伊勢神宮に関するものなので、どうしてもアジア各国の観光客にとっては今一つということがあるでしょう。そういう意味ではスペイン村ができたことは、対アジア戦略上では非常に意義深いことだと思います。

資源とニーズとマッチングについて、「見る観光からする観光へ」いわゆる物見遊山型の旅行から、どこかの観光地へ行って何か体験学習をする、そういうものに旅行者のニーズが移ってきています。それから温泉は根強い人気があります。1993年の資料ですが、環境庁が全国の温泉について集計した資料があります。三重県内は温泉地の数が31、これは全国の1.3%です。宿泊施設数は101で、これは0.7%、利用人員は154万8.000人で1.1%にしか満たない。温泉は掘削技術が進んでいるので、ほとんどの地域で新たにつくることが可能になっているとききます。温泉というのは日本人客誘致の大変有効な手段だと思います。

それから、観光資源で大事なものに郷土料理がありますが、三重県の郷土料理と言われて、私は思いつくものがありません。松坂肉とか、伊賀肉は肉の品質はもちろん素晴らしいでしょうが、郷土料理というイメージはありません。

次に、観光資源の利用技術、観光ルート設定についてですが、観光資源はたくさんあっても、利用する技術がすぐれていなければ単なる宝の持ち腐れになります。観光ルートを設定する意義は、周遊型旅行をさせるための受皿の整備等いろいろなことがあると思います。また観光ルート全体としてアピールすることは、一つ一つの観光資源をアピールするよりも有効です。

観光資源の話をいろいろしてきましたが、ではそれをどうやって集客力に結びつけるのかというところで、ホスピタリティーの問題が出てきます。集客力の高い地域というのは、ホスピタリィーが差別化の要因として非常に重要視されています。

それから、観光地のマーケティングあるいはプロモーションの段階では、旅行会社をうまく利用していただきたい。旅行会社ではイベント企画とか出版事業等、こういうものもやっているのですが、いわゆるお客様に一番近いところ、そういう方々にリーチできる情報発信機能として使っていただくことができます。

それから、集客力は観光地に本来備わっているものでは決してありません。もちろんもともとある観光資源に影響される部分もある程度はありますが、やはり、住んでいる人がそこを自慢に思わないところに行ってもおもしろくないのと同じように、集客力というものは築いていくことができます。強いとか弱いということにこだわらずに、弱ければ強くすればいいし、強いということで安心してはいけないのです。

三重県に絞っていろいろ考えた中で言わせて頂ければ、観光資源に比較的恵まれている割には集客力を高める取り組みはまだまだ不足をしているのではないかと思います。今はホスピタリティーや旅行会社との連携は限られた範囲でしかお話できませんでしたが、そういうふうな印象を受けました。

今までの話の中で、「観光」という言葉と「旅行」という言葉の使い分けを意識して聞いていただいた方がいらっしゃれば非常にすばらしいと思うのですが、日本では観光と旅行の使い分けは非常に不明瞭です。観光というのは旅行に含まれてしまう概念と言われており、運輸省の観光政策審議会が3年前に出した答申では、観光というのは「余暇時間の中で日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、ふれあい、学び、遊ぶということを目的とするもの」と定義をされています。だからこれを見てもビジネス旅行は観光ではないということは明確でしょう。

当然、会議、見本市、コンベンションヘの参加のお客様など「ビジターズインダストリー21構想」の中にも書いてあるとおり、広い視野から見ていく必要性があります。この構想について一つ不満を言わせていただくと、バリアフリーについての言及が不充分だということです。ある旅行会社が昨年推計した結果によると、日本の障害者旅行の潜在マーケットは4.500億円と言われています。しかし、実際に顕在化しているのは約20%で、80%は行かれていない。その最大の理由が、やはり観光地、宿泊施設での受け入れ体制が不十分だということです。バリアフリーは、障害者や高齢者だけではなくて、子供、日本語に不案内な外国人、この人たちを含めて考えなければなりません。旅行者にとってのバリアは数多く存在しているので、あらゆるバリアを取り除く努力をしていかなければならないと思います。

それから、外国人観光客の人気コースもどんどん変化すると予想しています。最近目立っているのはテーマパークと温泉の組み合わせです。

アジアを1つにくくってはいけないと先ほど言いましたが、今、アジアから来る観光客の1位は台湾の方です。台湾の総人口は約2.000万人、中国で海外旅行ができる経済力を身につけた人はすでに5.000万人に達していると言われています。中国の総人口は10億人を超えるので、一番のターゲットということです。九州のテーマパーク、ディズニーランド、京都、奈良が定番ですが、当然三重県を取り巻く地域でもいろいろな計画が立てられています。中部国際空港しかり、リニア中央新幹線しかり、そして大阪ではUSJがいよいよ3年後の開業を目指しています。今まで関西に何が足りなかったかというと、世界的に通用するテーマパークです。これができれば関西空港に入ってそういうものを見て帰られるパターンもつくれるし、神戸のポートアイランドにも国際級のテーマパークを建設する構想があるようです。

このことは、三重県にとっては観光客を奪われてしまうのではないか、逆に今までよりもっと競争が厳しくなるのではないかという心配も出てきますが、いろいろな連携やルートづくりを行って、そういう中で流れを呼び寄せるということで、市場拡大のチャンスにもなり得ると思っています。

なかなか難しい部分はあると思いますが、まだ3年あるので、獲物を狙うといった心構えで環境の変化を見つめていくということ、そしてお客様の立場に立った集客力ということを考えていくこと、当然それは各個人個人がやっていくのではなくて、行政、産業界、県民、すべての方々が連携していくということが必要です。

○参加者

私は東京の生まれで、あまりわからないのですが、関西から見たら三重はどういう位置づけなのか、忌憚のないご意見をお願いします。

○高崎

まず、兵庫県、大阪府は小学校の修学旅行は伊勢方面が多かったですが、現在は3割程度です。20代以上の人は修学旅行で行ったというイメージがまずあると思います。

それから伊勢神宮はいろいろマスコミにも登場するので、そういう意味では知名度は高いでしょう。ただ、イメージと実際の経験値みたいなものが則しているかというと、決してそうではないと思います。

例えば東京で伊勢志摩をどういうふうに宣伝しているかというと、パンフレットでは「伊勢志摩、南紀、倉敷、岡山、広島、萩、津和野、山陰、天の橋立、四国」と、これがひとくくりです。つまり伊勢だけではなかなか来てもらえない。伊勢志摩のことをよく知らない首都圏は、逆に考えれば、最大のターゲットとして残っていると言えると思います。

○参加者

三重の情報は名古屋へはたくさん行くが、関西のほうへは来ない。関西で三重の情報がどうやって入ってくるかというと、旅行商品をつくられている部分のほとんどが伊勢志摩地区なので、ほとんど伊勢志摩の情報しか入ってこないのです。

三重の紹介をしたいということで、三重県の大阪事務所に行って、伊勢志摩以外でいいところはないかということで推薦していただいたのが、宮川村です。村の取り組みもすごくいいので、三重県の紹介をするのであれば、宮川村を取り入れてほしい。ただ、旅行会社の商品で取り入れてもらうのが番いいのですが、旅行商品になるほどの規模ではありません。

だからある意味でターゲットということであれば、伊勢志摩地区以外ももっと関西に情報を発信してほしいという気がします。

そのほかにもいいところはたくさんあるのですが、残念なことに宿泊施設がありません。こういうところは旅行会社が大々的に取り組んだら、いくらでも人に来てもらえるのにと思うのです。

○高崎

いろいろなところを紹介する手法として、旅行会社を使って、商品化をして、大々的に売り出すのが本当にいいのかという議論は絶対にしておかなくてはいけません。旅行会社がやると、どうしても採算ベースに乗せなくてはなりませんから、何人送らなければならないということになるからです。このことと観光資源をどう持続させていくのかということのギャップに苦しむ。

例えば一つの方法として、制限付きの観光があると思います。例えば年間に30人しか見られないとか、何人しか泊まれないとか、逆にそういうことによってそこのよさを生かしながら、いろいろな人に紹介していくということがあります。

観光地が生き残っていくために最も大切なのは、如何にお客様をリピーターに出来るのかということです。私が危倶していることの一つに明石海峡大橋があります。今はすごい人気ですね。四国の商品だけで対前年400%です。しかし、橋というのはあくまでもある地域とある地域を結ぶ機能でしかない。橋それ自体が観光資源になるのは1年、もって2年です。その橋の機能を生かして、魅力を開発して、旅行者にもう一度行きたいと思わせられるのか。それは一朝一夕でできることではありません。それは見る場所ではなくて、人々のホスピタリティーであったり、例えばその地域のことを綿々と語れる語り部さんであったり、旅人にあいさつをする中学生だったりする。観光資源と持続性の部分を誤解しているようなところが旅行業者も含めてあるのではないかと思うのです。

○参加者

私の個人的な観光のとらえ方は、やはり「観光と旅行」は、その地域の光るものが観光だと思います。それを旅行会社で商品化する中で、やはり地域としては光るべきものであるから、あまりたくさんの人に見せるのではなくて、持続可能な観光という考え方もあります。一方では人に来てもらいたい、ところが一方ではやはり次の世代へ伝えていくべきではないかと。しかるべきものを大事にするという意味で、私は、旅行会社さんは地域の資源をPRされるだけではなく、やはりきちんとした考え方を持っていただければと思います。

○高崎

大事なのは、「おらが町自慢」というふうに、その地域に住んでいる人がその地域の光を本当に認めて、誇りに思っているかどうかということです。そういうものでなかったら、来訪者は魅力を感じないでしょう。

○参加者

その地域にはいろいろな魅力があるわけで、市民がそのよさをわからなくては、という課題はある。自分の町を愛すること。それが一番の原点であると思います。

○高崎

地域を活性化する時に、とにかく人に来てほしいのだとおっしゃる自治体があります。そういう時は「本当にいいんですね」と念を押させてもらいます。というのは、人が来ると、今まで自分たちが便利だったものが便利でなくなることがあるからです。行政が地域活性化のために人に来てほしいと思っても、住民から不満が出てくるところは絶対成功しないと思います。

私どもが旅行商品をつくる時に、大事にする4つの要素があります。それは、「見る「食べる」「買う」「遊ぶ」です。この4つが全部70点以上ずつぐらいあれば、その観光地は売れると思っています。どこかが100点でどこかが0点よりも、万遍なく充実している方がいい。

○参加者

三重県は女性的だと言われましたが、これから三重県として出てくる色が、ある程度地域でまとまる、施設でまとまるという形で売っていけばいいのか、優先順位について教えてください。

○高崎

優先順位というのはお客様ありきだと思います。1つのテーマを決めるのであれば、そのコンセプトに沿って考えていく必要があります。

もう一つ、テーマでくくることも大事ですが、旅をする人に長く滞在させる工夫を考えることもとても大事です。日本人の国内旅行の平均滞在日数は2日間。ハワイなら6日間とか7日間です。そういう仕組みがつくれていません。

長く滞在させるために事前に整えておかなければならないシステムはたくさんあります。例えば、連泊すれば安くなるというシステム、それからその間の移動の問題も大事です。レンタカーやレンタサイクルを利用することも検討の価値があると思います。

伊勢志摩の集客の仕方と、それ以外の地域の集客の仕方は違うと思います。

私は、伊勢志摩以外の地区のほうが観光資源がまだまだたくさん眠っていると思うのです。例えば1つの村とか町単位で本気で町おこしをやっていけばおこせるところはたくさんあります。逆に伊勢志摩、鳥羽などについては、リピーターをどうやって増やしていくかが課題です。

それから料理も大きな要素です。特色のある郷土料理を開拓してほしい。

それと温泉のイメージがない。奥に行けばあるらしいのですが、あまり知られていません。温泉があるなら、温泉の魅力も打ち出していけばいいと思います。

営業的な観点で言えば、スペイン村にしても、戦国時代村にしても、まだまだ情報発信の仕方やPRの仕方によってはお客様を呼ぶことができると思います。情報発信は非常に難しい。というのもお客様のほうが情報を非常によく知っていらっしゃるし、たとえ情報を旅行会社が持っていてもなかなか整理しきれていないからです。

大規模集客施設については、これからさらにそこをどう磨いていくのかということが今後の課題になると思います。逆に未開発のところについては、旅行会社が宣伝をして売っていくことがその地域にとってよいことなのか。未開発というのは素朴なよさという点で、1つの観光地の魅力であることに間違いありません。それをそのまま生かしながら売っていく能力は旅行会社にはない。だからそこは違う手法でマスコミやインターネット情報、そういうことで発信をしていく方法があると思います。

報告及びまとめ

 

○広野

私の考えるものと、皆さんが企業、第3セクター、行政として考えておられるものの、溝を埋めることはできなかったというのが実感です。皆さん方は、約1年単位での成果、例えばどれだけの人が来たかとか、どれだけの収益が上がったかという、イベントそのものの評価しか考えておられない。私のほうは基本的な部分をしっかり構築しなければならないと考えるのです。だから皆さんの考えておられる部分で、何とか時間を持って取り組んでいただける方向性はないものか。これから皆さんが展開していかれる各論に期待を寄せたいと思いました。

○清水

まず、「黒壁」が成功したと言えるかどうかはわかりませんが、非常に多くの人を集めることはできました。全く長浜に縁もゆかりもなかったガラスを取り入れたこと。地場のものにこだわりすぎなかったところがよかった。また、株式会社「黒壁」という第3セクターは、現在4億4.000万円の出資のうち、行政は1億4.000万円、3分の1にもならない状況で、民間が主導を取っている状況であるということ。そして100人の従業員のうち、95名が女性であるということ。生え抜きの30代の取締役が2名誕生しており、課長、部長はすべて女性です。自分の地域経営という視点の中で会社を見られるかどうかというところも非常に大きいと思います。

さらにそれを支えるだけの地域の中での人のネットワークがあるかどうか。皆さんのやる気がどれだけ充満するか、はっきり言って、それが、新しい展開が成功する一番のキーワードになるのではないだろうか、そんな気がしました。

○高崎

三重というのは何でもあるということ。これがメリットであり、悩みであるということでした。新しいものもあれば、当然古い観光資源もある。だからいろいろな人に対していろいろなものが提供できるにもかかわらず、逆にそれだけあるからターゲットが絞れていないのです。三重県で言えば、やはり、観光地という部分ではあくまでも地域地域の独自性を生かしてローカリーに、しかし旅行のスタイルに関しては限りなくグローバルに、世界共通のスタンダードに近い形でやっていくことが今後必要ではないかということを、私自身として実感しました。

○目崎

「癒しの土地」というのがあります。ピーリングというか、癒しの世界という視点から見ると、世界の森を持った聖地というのは、森と海と川があり、自然を地球環境問題の時代の中でアピールできる聖地は、私は伊勢神宮をおいてほかにはないと思うのです。

これから日本が変わるのに、伊勢神宮も同時に変わらない限り、日本の精神性が変わらなければ、日本全体は変われる訳はありません。これを機会に大いに議論をしていただきたい。三重の方々は、この地が日本を変える、同時にそれは世界を変える大きなきっかけになる地点であるということを意識して、それぞれの世代で頑張っていただきたい。それぞれの場でまちづくりなり、あるいはイベントなり、さまざまな観光資源の開発をしていただきたいと思うのです。


Re: [参考]パネルディスカッション
記事No/ 32 (記事No: 11への返信記事)
投稿者/
投稿日/ 2005年12月9日(金)11:57
E-Mail/ 未記入
URL/ 未記入
> 平成10年度 国際観光交流促進ワークショップ報告書から
>
> パネルディスカッション
>
> コーディネーターパネリスト
>
> 目崎茂和(三重大学人文学部 教授)
>
> 広野敏生(まちづくりプロデュサー・株式会社創造工房ダ・ビンチ代表取締役)
>
> 清水義康(社団法人長浜親光協会統括マネージャー)
>
> 高崎邦子(JTB日本交通公社関西営業本部広報課長)
>
>  
>
> ○目崎
>
> 今日は、三重県に如何にして外国からのお客様に来ていただけるような観光地にするのか、また、単に観光だけではなく、三重県が今進めている新しいビジターズ・インダストリーをどう創造するかということを考えていきたいと思います。
>
> 日本政府には、もっともっと海外に日本を売り込む努力をしていただきたい、という気持ちがあります。基調報告を聞いていますと、特に江戸時代から伝統のある伊勢志摩は、スペインと大変共通した部分がたくさんあると思いました。この10年、リゾート法を提案する時にはスペインと同じようなこと、つまり日本も滞在型の観光地を目指したのですが、残念ながら今のところ、日本では滞在型の観光といったものはまだ根づくまでには至っていません。
>
> また、観光、あるいはビジターズ・インダストリーにしても、これほど大勢の日本人が外国に行く一方で、外国からのお客様は少ない。この問題は大きなテーマではあるが、それ以上に、今の経済状態の中で、単にグローバルスタンダードというだけではなくて、日本人そのものの生活あるいは社会も少子化・高齢化と変化しています。すべてが大きな意味で変化しているのです。旅行の形態にしても激変が目の前で起きつつあるということは、もうすでに皆さん自身もお気付きでしょう。
>
> その意味では、新しい日本人の時間割というか、イベントというか、そういうものを、季節性も含めてどういう具合に創造していけばいいだろうか、ということを考える必要があります。
>
> どういう形で観光あるいはビジターズ・インダストリーとして新しい戦略をつくっていったらいいかを21世紀に向けて伊勢志摩を核として考えていきたいと思います。
>
> ○広野
>
> 国際的に世界からお客様を呼んでくるためには、観光という商売のことだけではなくて、いろいろな切り口で、過去と未来を行き来しながら考えなければならないと思います。あるいは世界を駆けめぐるいろいろな異なる切り口の流れの中で、観光というものをクロスオーバーに考えていく時代が来たのではないでしょうか。
>
> そこで我々は何を考えなければならないかというと、まず元気を出すこと。それにはそれぞれが自分の町の再発見、再認識をすることから始めなければなりません。自分の町、ふるさとを愛していない人が「お出でください」と言っても誰が行くでしょうか。だからまずその町の人が自らの町に誇りを持って、「さあ、お出でください」と言えるような環境をつくらないと何も始まりません。
>
> また、官・民・学、すべてがいろいろな形で関わって、寄り合っていかなければ、魅力に富んだ元気な観光地は望めません。1つの町だけ、1つの企業だけという考え方ではなくて、1つのことをみんなで関わりながらやっていくべきだと思います。
>
> ○清水
>
> 今日は、長浜市の「黒壁」が三重でも成功するかという課題をいただいていますが、私はあえて三重県では「黒壁」は成功しないと申し上げたい。長浜は人を呼び寄せることを目的とはしていないからです。自分たちは、住みよい地域をつくるための手段、手法として、人を呼び寄せることもあるということが基本だと考えている。それはそこに住む人の考え方であったり、人のネットワークであったりするのです。そういうことはまだ三重県にはないのではないか。ちょっと辛口の言い方ですが、そう思っているからです。
>
> 先ほどの広野さんの意見に私も同感で、その地域に住んでいる人がやはりその地域をよく知って、愛着を持つこと、誇りに思うことが基本的な事柄だと思います。長浜市において、どんな町にしようかというのを言葉で表すと、「博物館都市構想」になります。町が博物館のように魅力があれば、博物館に学芸員がいるように、そこに住んでいるみんなも町のことをよく知って、来訪客に誇りを持って語れる市民総学芸員になろうと言っています。このことが観光において番大切なことではないかと思うのです。
>
> まちづくりというのはある意味ではコミュニティーディベロップメントだと言われます。その地域に住む人が夢を語り合えるようなネットワークをつくることが大事なような気がします。そういうことについては、我々の町は官民の隔ては全くありません。
>
> ○高崎
>
> 今日のサブタイトルは「外国のお客様は来られていますか?」ということですが、「外国のお客様」という言い方をしても、例えば観光を目的の方だけではなく、当然ビジネスが目的の方もいらっしゃる。昨年日本にお越しになった訪日外国人の方は420万人ぐらいですが、4割以上の171万人が観光以外の目的でした。食事もされるし、泊まられるので、観光客と同じように見ていく必要性があるでしょう。だからビジターズ・インダストリーという言い方をしているのだと認識しています。
>
> それからもう一点、ターゲットの問題です。以前の国内旅行は男性が中心でした。しかしここ10年間ぐらいで旅行の決定権を持つのは女性が多くなってきました。今は一人十色と言われるように、多様なニーズが存在します。本当にお客様の立場に立った時に、それぞれ性別も違えば年齢層も違うし、持っている時間の使い方も違う。それぐらい細分化された時代になっているのです。現在はその流れの途中であるわけです。しかしとりあえず現在は、女性の意見は重視しなくてはいけないというのは私どもの業界でも言えることです。
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