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2005/03/24
肥前名護屋城 鮮やか屏風絵 群馬の民家で発見 狩野派が描く?

 佐賀県立名護屋城博物館(唐津市)は二十三日、豊臣秀吉の朝鮮出兵(一五九二―九八年)の際に軍事拠点となった「肥前名護屋城」の屏風(びょうぶ)絵が、群馬県の民家で見つかったと発表した。往時の城の外観に加え、徳川家康ら本丸周辺に居を構えた大名の家の所在地などが記されている。写実性に優れた狩野派が描いたものとみられ、資料としての価値が高いという。同博物館は「今後の発掘に役立つ貴重な資料」と話している。

 屏風絵は横三・八メートル、縦一・六八メートルで六つ折り。朝鮮出兵で集まった石田三成や、徳川家康ら大名の陣屋の所在地を吹き出し形式で記している。名護屋城博物館が所蔵する同時代の絵には描かれていないお堀の中島や、小船を並べて板でつないで橋にした「船橋」なども描かれ、往時の名護屋城周辺の様子が分かる。全国から軍事物資を集めたとされる城下町には、京都や博多などの商人の出店が並び、名護屋帯や陶磁器を売る店を紹介、レベルの高い桃山文化の一端がうかがえる。

 画風や色の状況から十八―十九世紀を中心に活躍した御用絵師・狩野派の作品と推定されている。博物館所蔵の絵と外観や全体の構図がそっくりなため、元禄元(一六八八)年に、隠岐の大名だった板倉重常が狩野派の狩野光信に描かせ、徳川綱吉に献上した原作(所在不明)などを模写したものではないかという。

 「肥前名護屋城」は朝鮮出兵直後、人為的に破壊されており、外観が分かる絵で現存するのは、同博物館の所蔵品だけと思われていた。同博物館は二十四日から屏風絵のパネル写真を展示する。

【写真】群馬県の民家が所蔵していた「肥前名護屋城図」。 左手前に「船橋」、中央に「中島」など名護屋城博物館所蔵の絵にはないものが記されている。

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