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朝鮮通信使の扁額発見/山口県上関町 '03/3/12

 約三百年前の江戸時代に山口県上関町に立ち寄った朝鮮通信使が揮毫(きごう)した「巨壑(きょがく)山」の扁額(へんがく)が、同町で見つかった。町内では数少ない通信使の遺物になりそうだ。

 幅四十八センチ、長さ九十七センチのケヤキの横板。「巨壑」は、通信使の案内役だった対馬藩の宿泊所・明関寺の山号で、扁額は山門に掲げてあったとみられる。

 同寺は明治の廃仏毀釈(きしゃく)の中で一八七〇年に解体されたが、額だけは、隣接していた別の寺に保管されていたらしく、この寺の関係者が物置を整理していて見つけた。

 郷土史研究グループが裏に彫られていた文章を解読した結果、一七一一(正徳元)年に第八回目の使節が来た際、明関寺の和尚が岩国藩主に願い出て、写字官の李寿長に筆を執ってもらったことが分かった。

 通信使に詳しい仲尾宏京都造形芸術大教授が他の文献と突き合わせたところ、使節の一行は長雨で四日滞在し時間があったこと、筆は先方が、大すずりは地元が用意したことなども判明した。

 使節の書を基に仕立てた扁額は全国で四十例あるが、経緯が知られているのは、福禅寺(福山市鞆)の「日東第一形勝」などわずか。同教授は「書かれた時の情景まで記録されている点でもこの額は貴重」と話している。

【写真説明】風化しているが字体ははっきり読み取れる扁額



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