地域
◎朝鮮通信使の記念碑、「旧上関番所」敷地で除幕
 朝鮮通信使上関来航記念碑の除幕式が10日、上関町長島にある山口県指定有形文化財「旧上関番所」の敷地内で行われた。この碑は「上関の歴史をより深く知ってもらおう」と光熊毛郡法人会上関支部(支部長、片山秀行町長)が建立した。
 通信使は江戸時代、同町を11回訪れた。9回目(1719年)の訪問で、著名な文人の申維翰が萩藩明倫館学頭の小倉尚斎に贈った詩文を、記念碑の碑文にした。七言律詩で、「私たちは、詩を通して心を通わすことができる」などとする内容。
 石材は2000年度、通信使が上陸した町内の唐人橋付近から出土した御影石で、横2.1メートル、縦95センチ、幅23センチ。石には加工跡があり、町は「通信使をもてなした茶屋の附属建物の何かに使われていた石と思う。不思議な縁を感じる」と話す。
 式で片山支部長は「日韓は近くて遠い国と言われ、暗い時代もあったが、江戸時代は友好的な交流があったと史実は語る。記念碑建立を起爆剤に、歴史とロマンにはぐくまれた安らぎの町づくりをしたい」とあいさつした。
 来賓の駐広島大韓民国総領事館、金賢中領事は「サッカーのW杯などで韓日の友好が急速に深まっており、この記念碑はとても意義深い」、尚斎の子孫で北九州市在住の小倉澄江さんは「尚斎の話は父から聞いていたが、遠い昔のことと思っていた。感動しています」と語った。

旧上関番所内に建立した朝鮮通信使上関来航記念碑
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