釜山の朝鮮通信使関連史跡

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富山浦(現在の釜山)、塩浦(現在の蔚山)、齋浦(現在の鎮海)と、もともと三つあった倭館は、 室町時代から日朝交易の場として栄えていました。文禄慶長の役で一旦廃止されたものの、1607年にドゥモポ(豆毛浦)倭館 が開設されたことで再開されました。しかしドゥモポは手狭だったため、1678年、チョリャンに大規模な倭館が開設され、一時は600人近い日本人が交易などのために常駐していたといわれます。



約條制札碑。1683年、朝鮮王朝の釜山の出先である 東莱府と対馬藩が締結した、倭館運営における5つの禁止事項に関する取り決めを公知させるために立てたもの。釜山博物館にあります。

右はチョリャン(草梁)倭館の図。

チョリャン倭館の記念碑。

チョリャン倭館は、釜山タワーが立つ龍頭山公園の北辺付近にあり、 雨森芳洲もかつてここに留学、朝鮮語を学んだといいます。

ドゥモポ倭館の記念碑。

ドゥモポ倭館は現在の釜山市東区スジョン洞付近にありました。

「史跡」ではありませんが、龍頭山公園付近に、朝鮮通信使の壁画が描かれています。

ソミョン(西面)という繁華街にもあります。

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唐人さんの家