韓国の仮面の歴史

貝殻面 木質漆面 19世紀末の絵図

釜山市で出土した貝殻面は、紀元前5000年頃、 新石器時代に既に仮面の原型が存在したことを示す重要な資料である。 高句麗の古墳壁画には外国人の面を被って踊っているような姿が描かれている。 最初の仮面の形態をもつものとしては、1949年に慶州で出土した木質漆面を挙げることが出来よう。この面は主に死者の顔を保護するものとして用いられたもので、新羅時代から葬儀に使われていたことが判明している。
新羅のファンチャンという少年が、百済王の面前で剣舞を披露しつつ、百済王を刺し殺した後に殺されるという事件があり、この少年の死を悲しんだ新羅の人々が少年の面を被って剣舞を舞ったという記述が古文書に残っている。三国史記にも、当時行われていた5種類の仮面舞踊について書かれている。
高麗史には、仮面舞踊を踊る人を「廣大」と呼ぶことが記されている。
李朝時代の後期になると、庶民意識の高まりから、心霊的な要素よりも両班社会に対する風刺や批判が強調されるようになり、現在の仮面踊りに至っている。

仮面の材料としては、革や紙、竹(木)、布、獣の毛、金属などがある。たいていのものは表情が固定されているが、顔の一部が動くのもある。その代表的なものが慶尚北道(キョンサンブット)の河回村で行われる仮面劇の河回(ハフェ)のタルで、顔とあごがヒモでつながっていて、顔の表情が素朴ながら変化にも富む。
どんな国の仮面もたいていその民族の特性を現わしているように、韓国の人相仮面(韓国では普通仮面と言えば、人の顔を現わした人相仮面だ)にもそんな特性がよく見られ、仮面の役によって人物の個性も表現されている。特に、河回村の宗教儀式であり仮面劇の「河回別神クッ(ハフェ・ビョルシンクッ)」の士太夫(ソンビ)や両班(ヤンバン:上流階級)、遊女、僧、白丁(ペッチョン:屠殺人)の仮面はとてもリアルで、韓国の木製仮面の中でも異彩を放っている。
また、韓国の仮面はたいてい形がグロテスクであり、色も濃いのが特徴である。その理由は、仮面劇である「タルノリ」は普通夜演じられ、今のように電気の明るい照明があるわけではなく薪の光だけで行うため、表現を強調するという意味で色を濃くしたからである。仮面の色は赤がもっとも多く、濃藍色、金色、銀色も多い。これに対し、夜の公演をしない信仰仮面の「河回仮面」や「江陵仮面」などの色はあまり濃くない。
また、色彩や形以外の特徴として、かぶる時に便利なようにすべての仮面の裏側に布とひもがついている。そのため、仮面劇の演技者は自分の頭の動きの通りに自由に動ける。ほとんどの仮面は人面だが、神の形状を現わしたもの、仮想の動物の仮面などもある。タルノリ、即ち仮面劇の仮面は、喜劇的な要素が加えられた独特なものが多く、 特に両班(ヤンバン)仮面の場合は、朝鮮時代の庶民のうっぷんを体現するかのように、三つ口、歪んだ口、歪んだ鼻などの顔が多いのも特徴である

マルトゥギ、ヨンノ、チィバリなど、姿こそ異なるものの各地の仮面劇に共通する登場人物もある。マルトゥギは、両班の無能・無力を批判する役柄、ヨンノは悪い両班を懲らしめる悪霊、チィバリは間の抜けた独身中年(額から長く垂れ下がった一房の髪が特徴)などと、およその役柄も決まっている。


出典:韓国・河回洞仮面博物館