唐人踊りの起源について


江戸時代の唐人行列

江戸時代の唐人行列の様子は明暦2年(1656年)に津藩藩士山中兵助為綱が編述した 『勢陽雑記』によると、慶安3年(1650年)ごろの津八幡宮の祭礼では「六番 分部町唐人の真似」とあり、 次のような順番行列が組まれています。

一、警護 二人出立着肩衣袴曳竹杖
一、町印持四人唐人の出立  印は金の熨斗五本 下に吹貫
一、鉄砲持 二人
一、唐人二九人 黒装束黄色めりやす張ぬき笠
一、同三人  沈香焼弓矢を持
一、牀机持三十二人 色々出立
一、深黄の荷者二人 糸あみの袋に入赤縄にてくくり棒に掛る
一、 上官唐人壱人 出立 色は綾羅の錦繍を着す笠萌黄の張紗
一、剱を持一人
一、牀机持一人
一、警護二拾五人 出立色々
一、町の長二人 着肩衣袴 草履取六人
  〆百拾五人

 百人をこえる行列は現在のものをはるかに上回る規模で、 また装束の違いや踊りが入っていないといった点で、今の唐人踊りとのあいだの移り変わりを知ることができます。 これが嘉永3年(1850年)ごろの状況となると、いつから変化したのかは分からないものの、唐人行列の持ち物のなか に旗や幟に楽器が現れて今の姿に近づいていることが知れます。 また、津市の石水美術館所蔵の幕末の絵巻に出てくる唐人行列には、 かごに乗った正使がおり、先頭は清道旗、それから竜を刺繍した大きくて数人で持っている形名旗のあとに行列が続いています。

戦前の面


唐人さんの家