大吹打について


韓国の方から「唐人踊りのみちばやしは、旋律が韓国伝統の大吹打(デチィタ)に似ているのではないか」との御指摘をいただきました。 聞いてみると、ゆっくりしたリズムの中で時々太鼓や鉦が打ち鳴らされるあたり、確かによく似ているような気もします。 韓国に伝わるの国楽の中でも、中国の影響をほとんど受けずに三国時代から国王や通信使の行進などに よく使われた軍楽だそうで、朝鮮通信使を真似た唐人踊りのお囃子が影響を受けた可能性も十分考えられると思います。

大吹打の動画(韓国語)   音声     唐人踊り・みちばやし動画

大吹打(デチィタ)と吹打(チィタ)はよく混用使用されますが、もとは全く違うものです。 行進音楽を大吹打と呼び、弦楽器と共に演奏される楽器、すなわち、室内楽となった大吹打を吹打と呼びました。 吹打とは文字通り、吹いて打つという意味。吹く楽器である吹楽器と、打つ楽器である打楽器の吹奏を合わせた言葉です。

大吹打は王の外出や通信使の行列、軍隊の行進・凱旋などに使用されました。行進用であるため、音楽も軽快で威厳があります。 最近は使用領域が多少狭くなり、行進音楽が大吹打と呼ばれています。

以前は大吹打というと幾つかの曲がありましたが、現在は「武寧之曲」と呼ばれる代表楽曲だけを指すようになっています。 大吹打の特徴は音量が大きいため、雄壮として快活な印象を与えることです。韓国の正楽系列の曲とは違い、2拍子音楽ということも忘れてはならない特徴のひとつです。 このような特徴によって聴き手に勇ましさを感じさせます。

大吹打の吹打隊は太平簫(テピョンソ)、喇叭(ナバル)、ナガクという吹楽器が前列に並び、鉦(ジン)、太鼓、ジャング、バラという打楽器がその後ろに並びます。 やかましく号令をかけるような壮快な音になりますが、この音を宇宙の神秘に例える人もいます。

吹打の歴史は今から千数百年余り昔までさかのぼります。現存している三国時代(B.C57〜A.D676)の古墳の壁画や古文献などからも、その存在を推測することができます。 しかし楽器の編成や用語、音楽の概念などが確立され始めたのは朝鮮時代のことでした。
1900年、洋楽軍隊が設置されてから、吹打の軍楽隊は大幅に縮小されました。国権が失われた1910年には吹打の軍楽隊がほとんど解散された状態になりましたが、 一部の軍楽手が雅楽隊に編入し、解放後、吹打を再生しました。喪失の危機を迎えていた大吹打は、大韓民国政府の樹立後、再生しました。 1961年、国軍の日の記念行事が行われた時、初めて大吹打が再現され、大吹打の歴史が再開されることになり、1971年には重要無形文化財の第46号に指定されました。
ソウルアジア大会(1986)開会式では200名、ソウル五輪(1988)開会式では100名規模の大吹打隊が行進演奏を行いました。 これ以降、ソウルはじめ各地方での国家行事、歴史イベント、スポーツ大会、民族文化祭などにおいて大吹打を演出することが急増し今日に至っています。


唐人さんの家