桑名北高校 「2003年文化祭」−嶺南農楽披露− 文化祭オープニング

 

 

日 字 : 2003年10月1日(水)

 

場 所 : 県立桑名北高等学校 体育館

 

参 加 : ヒューマンライツクラブ 9名

 

遊撃隊のお手伝いは、Kooとまっちゃんでした。

 

 

(写真は、三重テレビの取材を受けるヒューマンライツ部)

 

 本年5月、事務所の電話が鳴った。

「あの・・、桑名北高校で教師をしている種生と申しますが、ハン先生いらっしゃいますか?」

という内容の電話から、彼ら桑名北高校「ヒューマンライツクラブ」との出会いが始まりました。

 

桑名北高校ヒューマンライツ部とは、4年前まだクラブとは認められてなく、そして、活動はサークルの中で、人権に関する話や学校の中の出来事を話しているにすぎない小さなサークルでしたが、さまざまな葛藤を乗り越えて、現在はヒューマンライツアワーズという校内新聞を発行して活動内容を公開したり、夏には地域の盆踊りに出店したり、介護職員対象の講演会をもち、太鼓の演奏と人権について意見発表を行なったり、また、毎年文化祭で地域の食べ物を売ったり、全国高校生集会、全国同和教育研究大会への参加・発表、そして人権集会での意見発表をおこなったりと、現在は立派なクラブになっています。

 

今年は、昨年夏に行われた「全朝協」に参加した生徒に、私(Koo)が農楽を少し教えたのをきっかけに、今年の文化祭オープニングで、是非とも農楽を演奏したいと言うことで7月から遊撃隊の練習に加わり、毎回Kooの罵声を浴び、強化合宿を行いながら頑張り、そして見事にやり遂げました。

 

サムル遊撃隊にとっても彼らヒューマンライツクラブのメンバーは、すでに弟、妹として見ています。

当日の彼らの「晴れ姿」・・・・見てやってください。

 

演奏のスナップこちらから

 

ヒューマンライツクラブについて

 

 4年前ヒューマンライツは、まだクラブとは認められていないサークルでした。そして、活動はサークルの中で、人権に関する話や学校の中の出来事を話していました。しかし、部員の一人Hが、運動部に入っており、ミーティングの中で「先輩って部落?」と聞かれました。彼女は本当のことだったので「うん」と答え周りは「ふーん、そうなんや」という雰囲気で過ぎていってしまいました。

 

その後、また、人権の研修会に参加するとき、運動部の練習試合と重なっており「どちらに参加するか迷っている。」と話すと「おまえらが部落、部落っていうから、差別がなくならんのや」と言われました。そのときは、言い返しましたが、ヒューマンで呼んで話をすることになりました。その前の年に、差別発言を受けた先輩と一緒に話をしましたが、あまり伝わった感じがしませんでした。これ以上説明しても伝わらないと感じ、全国高校生集会(全高)に参加し、話す力をつけてこようということになりました。その年の全高は徳島で行われるのですが、今度は一緒に参加する予定の友達の部員Sがバレー部の試合と重なっていました。

 

「試合に出るために一生懸命練習してきたのに、何故試合を休まなければいけないのか。他のバレー部員は、試合を休む用事というのは葬式ぐらいしか思い当たらない。そんな中でバレー部の子たちに理解してもらうには、自分が部落出身であり、一生考えていかなければいけないことなんだと説明しなければならない。そんなことは自分はできない。」と友達の部員Sは言いました。母親も部落と知られたらいじめられて、学校へいけなくなるかもしれないから、全高へ行くことには反対であると言いました。それでも、Hを見捨てていくのかと私は参加を促しました。彼女はストレスで目に大きなメンボができました。バレーのこと、Hのこと、母親の思い、先生の思いの中で揺れ動いて、彼女は全高へ参加することを選びました。

 

全高の雰囲気は、ものすごい熱気で、参加するだけで力を使い果たしていたSにとって、とても話せる雰囲気ではありませんでした。それでも、Hが差別を受けたこと、今は全高に参加するために応援してくれていることを発表したあと、Sは泣きながら、この場に来るまでにいろんな人の思いの中で揺れて悩んだことを話し、「この場にこれてよかった」と話しました。やる気があれば誰でも全高に参加できると思っていた司会者は泣き出しました。それ以来、彼女たちは自分たちのことを周りに話し始め理解者を増やしていきました。

 

これまで、差別発言が起こっても、サークルの中でしか話しをしなかったのですが、これではいけない。外へ発信していかなければ変わらないと気づき、4年前の部員たちがクラブにして外に向かって自分たちのことを話すようになったのでした。そんなクラブがあるのならば、自分たちも入部したいと、現在の三年生たちが桑名北高校に入学してきました。このような流れの中で、現在のヒューマンライツクラブが活動しています。

 

 活動内容は、今年は体育祭のクラブ対抗リレーに参加し、旗を持って走りました。ヒューマンライツアワーズという校内新聞を発行し活動内容を公開しました。夏には地域の盆踊りに出店したり、介護職員対象の講演会をもち、太鼓の演奏と人権について意見発表を行いました。毎年、文化祭で地域の食べ物を売ったり、全国高校生集会、全国同和教育研究大会への参加・発表、人権集会での意見発表をおこなっています。

 

 今年の文化祭にはチャンゴという韓国の楽器を通して、少しでも韓国朝鮮に目を向けてもらおうとしています。きっかけは、Dがチャンゴの演奏を学校の文化祭でやりたいと言い出したのがきっかけです。Dはそれまでにも朝鮮奨学会で演奏しています。Aは親からチャンゴをかりて、家で練習をしていました。また、文化祭2日目にキムチチゲを販売しますが、Aの母から味付けを教わりました。在日であるけれども、本名を名乗れないでいるDや家と学校で通名と本名を使い分けているAが、周囲の人間から見て、日本人としてではなく在日の立場にたてるように今回の演奏を企画しました。自分がどの立場で生活していくのかを選択することで、少しでも彼らの進路実現に導けたらと考えています。

 

 Yは、これからバンド生活を送っていくためのバリエーションを広げることができたらと考えています。Mは、「Dや後輩たちがやろうとしていることを支えたい」と言っているが、もっとみんなにアピールする力をつけて欲しい。一年生のTとGは、地域の太鼓もまだまだ初心者なので、リズム感をもっと養って、太鼓を地域の後輩につなげていけれるくらいになって欲しい。そして、みんなの前で話す度胸をつけて欲しい。NやKもみんなの前に出ることで勇気や度胸をつけて欲しい。一つの曲をみんなで演奏することで、みんなが心を通わせられるようになってほしいです