旅芸人の子は、陽に灼ける黄土の道を歩いたのだろうか。
遠く山の連なりを眺めて一服入れる大人達の傍らに座り、木の葉が光を弾いて煌き揺れるのを見上げただろうか。
村に架かる橋を渡れば、たちまち自分たちの叩き鳴らす音で村中が浮き立ちだすのを知っていただろうか。広場(マダン)の真中に立ち、サンモの先に伸びたチョリで青空に弧を描きながら、目にもとまらぬ速さでクルクルと回ってみせれば、観衆すべてが息を呑んで自分を見守り、やがて割れんばかりに鳴り響く拍手の音を聞いただろうか。収穫を終えた田が閑散と化し、痩せた木の枝が冷たい空を突き上げると、また長い冬がやって来たことを知っていただろうか。道を往く旅芸人の子は、長く尾を曳いてどこまでもついてくる自分の影をみただろうか。
時は移り、やがて旅芸人たちは散り、去り、消えて行った。けれど旅芸人の子は成長し、将来をみつめ、夢を語った。 そして新しいペゴリが生まれた。
サムルノリアン
そこが何処であれ、聴く者がだれであれ、サムルノリアンは打ち舞い、その音のうねりは聴衆を巻き込んで、人々の目と耳を醒ます。その場はいつも広場(マダン)と化す。 サムルノリを打ち鳴らすとき、楽器はそれを操る者と当然のように一体となって生き、地を蹴って舞い踊るとき、それは気の流れに合致する。
息を吸って息を吐く、あたりまえの行為があたりまえに気の流れにのり、あたりまえに自然に楽器を操り、内に充ちたカラックは圧倒的な技巧となって溢れ、豊潤な音の饗宴を編み出して光輝を放つ。そして、その輝きはあたりまえではない。
アイロニックな調和の魅力、とだれかがいった。なるほどサムルノリは、極と極が共存しながらその世界をつくりあげることができる。苛烈と沈静、弛曖と緊張、炸裂と凝集、上昇と下昇、排除と蓄積----。じつに音を操る者もまたしかりで、奔放と繊細、粗暴と温和、何もかも蹴散らすかのような激昂と共にすべてを懐に包み込む寛容をもち、原始を語りながら同時に超未来を語り、退いたとおもっていると何歩も前に進んでいる。現代に無防備でありながら、現代の愚かな瑣事などなんなく飛び越えてみせる。それに加えて、演奏するものの強烈な個性……。
とにかくすべてひっくるめてそれがサムルノリであり、サムルノリはいつでも豊に熱く輝いて、みる者を惹きつけ捉えずにはおかない。
魅力は魔力でもある。
サムルノリアンはやはり遊戯神(トッケビ)としかいいようがないのだろうか。 音の遊戯神(トッケビ)。 ことばを覚えるより先に音を知ってしまった者、子供の遊びに呆ける以前に神命をしってしまった者、地の広さ空の深さをしっている者、自然と共に呼吸し自然を畏怖する者、神を意識する者、自らの肉体に深い音を宿すもの、-- 芸人の子。
そしてサムルノリアンは現代を生き、未来を意志する。 音の遊戯神(トッケビ)たちは、ある日とつぜん人々の前に現れ、夢のような饗宴を繰り拡げ、そして去っていく。サムルノリアンの旅は続く。
長い影を曳いて歩いて行く。

|
ケンガリ −森羅万象を司る雷の音−
|
|
ケンガリはチャンゴと同様、古くから韓国の音楽には欠かせない楽器である。農楽、サムルノリではリーダー的な存在であるが、民謡、舞踊、仮面劇などでは伴奏楽器として他の楽器と一緒に裏方に回る。ケンガリは、しんちゅうを熱しては叩いて伸ばす作業を繰り返して作る打楽器であり、サムルの中では最も単純であるといえる。地方によって呼び方に差異があるものの、農楽やサムルノリのリーダー的存在であることは同じである。単純な楽器であるが故、その奏法は奥が深く、サムルノリの中でも最も難しい楽器であるといえる。ケンガリには紐が付いておりその紐で左の手に固定する。親指が入るほどの紐に親指を入れ、残りの4指でケンガリを支える方法(慶尚道地方では人差し指だけ外に出す)や、5指全てをケンガリの中に入れて支える方法があり、どちらが正しいということはない
ケンガリに要求される音は基本的には全く指を触れない解放された音と、指を触れてミュートする音であり、この2つの音を出すためにケンガリはしっかり支えなければいけない。また、音を連続で叩く場合、前の音を濁らせないために次の音の前にミュートし、まえの音を消さなければならない。すなわち2回ケンガリを叩くときには、2回目を叩くぎりぎりの瞬間にミュートをし、前音を消すと言うことである。あまり早くミュートしてしまうと、全音が早く消されてしまうし、遅くミュートすると2回目に叩いたときと重なってしまう。基本的にはこのミュートが出来ないとケンガリ奏者とは言えない(慶尚道農楽は例外)。ケンガリは右手に竹の根にひらべったい円筒のものをつけたチェを用い演奏する。ケンガリは大変跳ねやすい楽器であることから奏法はその習性をうまく利用して行う。1回の動作で2回叩いたり、上下にスライドさせて音にシャキシャキ感を持たせたり、そのテクニックは枚挙にいとまがない。ケンガリには、ただのしんちゅう、銀を中に混入させたもの、金を中に混入させたものの3種類に大別できる。価格は高い物でも1万円以内で購入でき、価格によって音は比例する。ただし、購入の際には必ず叩いてみて、音の構成を聞き分ける必要がある。また、ケンガリの表面、裏面を細部まで良く見て、薄い部分はないか、亀裂が入りそうな部分がないかも調べる必要がある。手入れも肝心で、自分の出したい音に近づける厚さをヤスリなどで削って作ったり、叩き出したりする作業も重要である。頻繁に練習すると6ヶ月ほどで金属疲労を起こし亀裂が入り、絶対に再生できないのでケンガリ打ちはお金がかかる。
農楽やサムルノリではリーダー的な存在であり、前奏や、リズムの変わりの合図は全てケンガリが行う。ケンガリが速さによって全体の速さも左右される。セ(鉄)ともいい、ケンガリのリーダーをサンセと呼ぶ。
|
|
チャンゴ −少しの漏れも見逃さず隙間を埋める雨の音−
|
チャンゴは韓国に古くから伝わる伝統的な打楽器であり、農楽はもちろんのこと、民謡、パンソリ、舞踊などの伝統芸能をはじめ、宮廷音楽、儀式音楽、仏教音楽、管弦合奏、歌曲にまで幅広く演奏されており、韓国の音楽には欠かすことのできない重要な役割を担う楽器である。チャンゴに関する最も古い文献には文宗30年(1076年)大楽管弦房を定めたとき、チャンゴ業師いたという記録がのっている。しかし、高句麗の古文百話や、統一新羅以降に属する上院寺の銅鍾の下帯に書かれた奏楽図、さらには感恩寺址で出土された青銅製舎利器基檀に刻まれた絵などにチャンゴの姿が現れており、チャンゴの歴史は未だはっきりとは解明できていない。
チャンゴは漢字で杖鼓や長鼓と表すが、どちらが正しいのか分からない。杖で叩く鼓の意味で杖鼓、横に長い鼓の意味で長鼓であろうと思うが、どうも当て字っぽい。また、チャンゴをチャングともいうが、これはソウルとその近辺の方言のようであり、標準語ではチャンゴが正しい。
チャンゴは、桐の木を砂時計の形のようにくり抜き、中を空洞にしたトン(筒)、その両面に貼る動物の皮のピ(皮)、皮を固定するために両面の皮を縛ったチュル(紐)、チュルと皮をつなぐコリ、そしてチュルの間の皮の貼り具合を調整するためのプジョンで大まかには構成されており、大きさや皮の種類、コリの形状などは、その用途によって変わってくる。トンは左側が右側より一回り大きくできており、右より低い音色を出す。チャンゴはこのトンが生命線であり、その善し悪しによって音色が左右されるといっても過言ではない。木のつなぎ目が無いこと、空洞部分にパテ埋めなどを施していないものを選び、必ず1本の木で作ったことを確認し、購入するのがいい。皮は頻繁に練習すると疲労により破けるが、トンは半永久的に使用できるので、購入には慎重さが必要とされる。また両面に1枚ずつ貼られている皮は、羊、馬、犬など幾つかの種類があり、用途によって違うが、農楽やサムルノリで使う皮は、丈夫で低音の響く犬が一般的である。皮の値段は、店によって若干の差異があるようだが、そんなに高いものではなく、羊が一番安く、馬、犬の順に高くなる。皮はマッコルリ(どぶろく)を定期的に塗り、しっとり感を保たせるように手入れするのが肝心である。マッコルリが無ければ、水でも構わないが、要は乾燥させないことが重要である。皮は伸ばせば伸ばすほど、また、叩き込めば叩き込むほど音色は良くなってくる。楽器は使わないとダメになるものである。農楽やサムルノリではチャンゴを演奏するとき、右手にヨルチェという竹の棒を持ち、左手にクングルチェ(クンチェ)という竹の根の先に丸い球形物を付けたものを持つ。その二つのチェ(バチ)を用いて演奏するが、クングルチェは皮の左面のみではなく、右面も叩く。プクにもそういう奏法は若干見られるものの、他の韓国の楽器や世界的な打楽器にはあまり見られない独特な奏法である。最近はサムルノリのリーダーである金徳洙さんや、大学生などによって打法を楽譜化しているが、本来は楽譜など存在しなく、先生の演奏を見て覚えたり、口で教えてもらったりし、聞こえた音をそのまま頭で覚えるため、「グチャグチャグチャチャッチャ」「トウタタタトウタタ」
など、ひとそれぞれの感じたままで覚えたようである。チャンゴはサムルノリを覚えるときに、ま
ず最初にマスターしなければならない楽器である。最終的には4つの楽器全てが出来ないとサムルノリは演奏出来ないが、チャンゴはその中でも一番の基本といえ、チャンゴをマスターすると、他の楽器に容易に応用できる。チャンゴは農楽やサムルノリでは花形といえ、特にチャンゴ奏者のリーダーであるスチャンゴを任されることは名誉なことである。チャンゴ打ちはスチャンゴを目指し、日夜練習に励んでいるのである。
|
|
プク −雨を呼ぶために空を覆い尽くす雲−
|
|
プクは基本的なリズムを叩く楽器であり、写真にあるひもを肩からつるし、腹部付近にプクを固定する。左手で楽器を支え、スリコギに似たバチで右手で叩く。ケンガリやチャンゴは叩き方の変形やアドリブを自由に入れるが、プクは殆ど基本リズムを叩く。そのようなことから、プクにはリズムの正確さが要求され、全体のリズムを把握していることはもちろん、間違いは全体のリズムを狂わせるほど重要な役割を担う。
日本の太鼓と構造はよく似ており、木をくり抜いた胴体と左右の動物の皮をひもで直接固定する。相当な力で叩くので、皮はそれに耐える牛をよく使う。皮も疲労度が高くなるとゆるんでくるので、つないでいるひもを引っ張り再度張り直すのだが、相当量の力が必要で、大仕事である。基本リズムを繰り返し叩くので、奏者は体も一緒に自然と動き、ハイになる楽器である。最近では、プクにもソロの部分を挿入し、遊んでいる演奏も見られる。価格はこれこそピンキリで、安いものは1万円程度から高いものは5万円を越えるものもある。大体作りと大きさによって値段は比例しているが、高価なプクは素晴らしい音がし、一度叩くと安物は叩けない。ちなみに私はあまりプクを叩くことがないので、詳しくは語れないが、その道を専門にしている三重県サムルノリアン曰く、「こんなおもしろいものはない」と言いながら、プクによって鍛えられた太い右腕を見せ、自慢する。
|
|
チン −12の峠を超える風の音−
|
|
チンはケンガリを大きくしたような楽器で、直径4〜50の大きなものである。厚みもあり、叩くとまろやかな音色が出る。地方によっては、ケンガリに似た厚みで、ケンガリを3周りほど大きくしたチンもあるが、一般的には、重く大きなチンを使用する。写真は木で出来たものに吊しているが、これはアンジュンバン(座って演奏するもの)用のもので、農楽の時には、チンの上部のひもを左手で持ち吊す。右手にはスリコギに似た棒の先を布で丸く巻いたバチでチンの中心を直角に叩く。プクの基本リズムよりももっと基本的な部分で叩きリズムの頭、中間などに単発で叩くことが多い。しかし、単に叩けばいいと言うわけではなく、その力加減と、叩く瞬間に手首を返すテクニックは語ることの出来ないほどの熟練した技術が必要となる。強く叩きすぎると音が割れ、弱すぎると聞こえない。叩いた人間でなければ分からない難しさがある。
農楽の中では他の楽器を包み込むような音色となり、チンが無ければ間の抜けた農楽になる。特に叩く回数がそんなに多くないことから、叩かない場面でバチを使って遊んだり、飛んだりしゃがんだり踊りながら演奏する。昔は伝達手段として使われたと言われ、その音色はいくつもの山を越えて聞こえたという。価格はよく分からないが、良いものは3〜4万程度し、手作りのものである。やはり高いものは音が良い。ちなみに私はプク同様あまり叩いたことはないが、今回紹介する4つの楽器中、最も難しい楽器であると感じる。プロの奏者の音を聞くといつ叩いたのか分からないほど音に切れ目が全く感じない。蛇足であるが、チンは気圧が変わると音が変わると言われており、韓国から飛行機で輸送すると音が変わるそうである。
|
民団三重