−くっちゃんのおすすめ− 『天上の弦』紹介    

 

私は、山本おさむ氏の漫画が好きです。今人気があるワンピースの尾田栄一郎や千と千尋の神隠しの宮崎駿みたいなきれいな絵ではなく、土臭い、どちらかというとあまり上手な絵をかけない漫画家ですが、ビッグコミックス、アクションを中心に活躍している同氏の漫画は以前から注目していました。

重複障害児達と取り巻く人間関係を描ききった『どんぐりの家』、生涯を聾教育に捧げた高橋潔氏の生涯を描いた『わが指のオーケストラ』、天才棋士羽生善治名人が恐れた薄幸の棋士、村山聖の短い生涯を描いた『聖−天才・羽生が恐れた男』など、障害やハンデを負った人間の懸命に生きる姿を感動的に、精力的に創作しています。

そんな同氏が現在ビッグコミックスに連載しているのが、在日韓国人「陳昌鉉(ちんちゃんひょん)」氏の半生を描いた『天上の弦』(原作:海峡を渡るバイオリンです。

みなさんは「無監査マスターメーカー」って知っていますか?

世界に5人しか認められていないバイオリンの製作者なんですが、陳氏はその5人の中で、東洋でただ一人認められた「無監査マスターメーカー」であり、東洋のストラディバリウスと呼ばれています。

14歳で日本に渡ってきて、バイオリン職人の頂点に立つまでの氏の半生は、間違いなく私たち在日韓国人1世の姿であり、ハラボジ、ハルモニの姿であります。コミックは現在まだ第4話を終えたばかりですが、どうかみなさんも是非一度目を通していただけたらなぁ、と感じる作品です。

 

原作「海峡を渡るバイオリン」の紹介を致します。

 


海峡を渡るバイオリン 陳昌鉉=語り、鬼塚忠・岡山徹=聞き書き<河出書房新社・1800円>


◇名器が奏でる亡き母への想い

本の写真

バイオリンの製作は、間違いなく最も高度なモノ作りである。強く弾けば巨大なホールいっぱいに朗々と鳴り響き、最弱音でもホールの最後部まで幽(かそけ)き音をしっかり届ける。その素晴しい音色に加えて、バイオリンは美しくないといけない。麗しいかたちと、深く、温かく、透明感がある色合い。まさしく芸術品であり、魂をこめて作って、名器が生まれる。そのバイオリン製作に、第二次大戦中に日本に来た韓国人が生涯を捧げた。そして、アメリカのバイオリン製作協会から、世界に五人しかいない無監査製作者に認定されるほどの名手になった。

その陳昌鉉(ちんちゃんひょん)さんが、窮乏に喘(あえ)ぎながらバイオリンを作った辛酸を語るのだが、故郷の韓国では慈愛に満ちていた母親が朝鮮戦争の苦難の時期に塗炭の苦しみを受けていて、音信不通の中で母親を想い続けた心情を打ち明ける。その二つの苦しみがないまぜになって、物語が進んでいく。

中学生で日本に渡ってきた陳さんは、空襲の焼死体を片づけ、石炭を運び、土方をやった。輪タクの運転手になって金が稼げるようになり、明治大学で学んだ。

しかし、韓国人にまともな職はない。ある日、大学で糸川英夫教授の講演を聞いて天啓を受けた。自ら製作してバイオリンを研究していたユニークな研究者の糸川は、ストラディバリウスの音の解明は永遠に謎であり、神秘であり、人間の力が及ばないものだと結論づけた。これこそ人生を賭けて取り組む価値があると、陳さんは心を決めた。ところが、韓国人であるが故にバイオリン製作者は弟子に雇ってくれない。各地で弟子入り探しをして徒労に終わり、木曽福島に流れていって、自分で掘立て小屋を建てて、見様見真似でバイオリン作りを始めた。河砂利を取って売り生活費にしたが、幸い木曽福島はバイオリンの材料になる唐檜(とうひ)やカエデの良い木材が安く手に入った。古道具屋の娘と愛し合い結婚して掘立て小屋に住んで、二人で砂利を取った。

バイオリンが売れるようになったのは五年後だ。バイオリン三巨匠の一人篠崎弘嗣に目をかけられて、まずはあまり作り手のいない子供用から作り始めた。やがて評判が高まり、四十五歳になって、「東洋のストラディバリ」と題する記事が書かれるまでになった。

陳さんの名器は、大自然から生まれる。ネパールの山々、バリ島の夕陽、キリマンジャロの朝焼など、感動的な美しさを求めて旅した。また、アマゾン上流のジャングル、メキシコのマヤ遺跡などニスの染料を求めて訪ね回った。旅した国は一一九にもなる。

一九七六年にアメリカでバイオリン・ビオラ・チェロ製作者コンクールが開催され、陳さんはその三挺を出品したが、細工と音響の計六つの賞のうち、金メダルを五個も受賞した。

帰途、韓国に直行して、母の墓前に金メダルを捧げた。その時はバイオリンを持って入国できず、長い年月を経て、墓前で母の好きな曲「鳳仙花(ほうせんか)」を弾いて、互いの苦難で得たバイオリンの天上の響きを母に届けることができた。

本書は聞き書きだが、テープ起こしをした人が途中で号泣したという。母への哀切を語った件(くだり)だろう。全体を通して素晴しい語りであったに違いない。それを聞けないのは口惜しいが、せめて私は、アナログレコードでパティ・キムが歌った「鳳仙花」を聴いて陳さんの心を想った。

(毎日新聞2002年10月27日東京朝刊から)森谷正規・評