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【歴史】中国、高句麗の次は「扶余も中国史」

現在、中国・瀋陽にある遼寧省博物館で「遼河文明展」が開かれている。同展示は東洋史、ひいては世界史を新たに書き換え ようとする企画だ。遼河流域の「遼河文明」が、世界的な文明発祥地であることを世界に伝えようという意図に基づくもので、 これまでの「東北工程」から一歩踏み出し、万里の長城の外にある遼西・遼東を含めた遼河文明全体を中国史に取り込む「遼河文明工程」 に、中国が拍車をかけているということを意味するものだ。

中国は万里の長城を築いた後、早い時期から長城外の無知蒙昧な塞外民族と自民族を差別してきた。それは自ら中国文明の「北方限界線」 を引く象徴性を帯びていた。ところが20世紀に入り、長城外で中国文明より時期的に早いだけでなく、さらに発達した旧石器・新石器文化が次々に確認された。

遼河流域の旧石器時代の遺跡から出土した営口の金牛山人は、北京原人より形質人類学的にさらに発達したものだ。また、同地域の査海で 発掘された新石器文化は紀元前8000年にさかのぼり、新石器末期(紀元前3500〜2500年)には独特な玉器作品で知られる紅山文化を生んだ。 特に、今回の展示で私を喜ばせたのは、新石器時代の櫛目文土器に描かれたカエルの後ろ足をかもうとするヘビの図だ。新羅の土偶に多く 見られる図とまったく同じものではないか。

ところで、展示の中で3番目のテーマ「華夏一統」は、中国(=華夏)が遼河文明を統一したという意味だ。韓民族(朝鮮民族)の源流をなす 扶余(紀元前3世紀〜5世紀)や高句麗はもちろん、三燕(北燕、前燕、南燕)の遺物も同テーマの下に展示されている。

扶余を紹介するコーナーでは、「扶余は中国東北地域で早い時期に建国した少数民族のひとつ」と記述した。これまで中国は、金製耳飾りや 鉄剣などの威信財が出土した遼寧省西豊県西岔溝古墳の遺物を「初期鉄器時代のもの」とだけ紹介してきた。しかし、今回の展示で は「(中国に属した)扶余」の遺物であると初めて明示した。遼河地域で「華夏一統」の歴史は短くとも2500年あまりになることを宣言したわけだ。

内モンゴル・遼河流域の遺跡と同地域一帯の平原を含む広大な地域は、櫛目文土器、支石墓、遼寧式銅剣、多紐細紋鏡、曲玉などを共有するアルタ イ語系の遼河文明圏であった。韓国は遼河文明の固い基盤の上に中国文明を取り入れ、歴史を形成してきた。

同地域では韓民族のみならず、他民族の英雄豪傑たちが数多く登場し、多くの帝国を建ててきたが、結局中国に吸収されてしまった。 しかし高句麗は、一時期は遼河文明の覇者として君臨し、中国と新羅の共同攻撃によって滅亡したとはいえ、その精神と芸術は現在まで命脈を つないでいる。高句麗文化は、韓民族に世界的に独創的な文化を形成するよう活力を提供してくれた遼河文明唯一の文化国家であった。

北扶余、高句麗、南扶余(百済が泗に遷都した際に変更した国号)、統一新羅、高麗、朝鮮、韓国という伝承関係を通じ、韓民族こそが 遼河文明の完成者であるといえる。だからこそ、中国は死活をかけて東北工程に全力を傾けているのではないだろうか。それならば、中国は 高句麗を越え、韓国の未来まで狙っている訳だ。

韓国に帰国し、国立中央博物館で開かれている「北朝鮮文化遺産」特別展を見学に行ったとき、展示場入口で驚きに思わず足が止まった。 平壌で出土した高さ90cmの堂々たる美しい櫛目文土器。遼河文明の櫛目文土器の中で、皇帝のようにりりしい姿だった。これこそが韓国文化の自画像だと思った。

姜友邦(カン・ウバン)梨花女子大教授、一郷韓国美術史研究院代表

(朝鮮日報) - 07月03日18時30分更新



社団法人 高句麗研究会