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中国の古地図から「高句麗、中国とは別国」を立証

中国が高句麗(コグリョ)を自国の歴史に編入する動きを見せるなか、かつての中国自身が高句麗を中国王朝の 一部と見ていないことが明示されている中国の古地図6点が公開された。

延世(ヨンセ)大・東西問題研究所のキム・ウジュン教授は9日、中国の南宋代(1127−1279年)に 作成された「禹貢九州今州図」(1209年)と「古今華夷区域総要図」(1185年)、清代(1616− 1912年)に作成された「東南洋各国沿草図」(1880年)などを公開した。



「禹貢九州今州図」は、戦国時代から元朝(1206−1368年)初期まで中国とその周辺地域の王朝名を記録 したもので、満州と韓半島一帯は「古朝鮮(コチョソン)」「高麗(コリョ)」「東夷」「百済(ぺクジェ)」「新 羅(シルラ)」などと記載されている。 キム教授は「5世紀、高句麗の長寿王代に高句麗の国号が高麗に変わったた め、地図上の『高麗』は高句麗を意味する」とし「歴代の中国の地図の特徴から、中国王朝は中国本土に表記されてき たが、高句麗を意味する『高麗』は鴨緑江(アムノッカン)付近に表記されており、これがとりもなおさず高句麗が中 国史の一部でないことを立証する史料になる」と説明した。

「簡単に書いた地図」という意味の「東南洋各国沿草図」は、地図を作成した清代当時に存在していた国を「白地に 黒」で、存在せぬ過去の国を「黒地に白」で表記している。地図では「朝鮮(チョソン)」は白地に黒、「高麗」「新 羅」「百済」は黒地に白だ。 これはすなわち「高麗(高句麗)」「新羅」「百済」の三国時代を、中国とは別途の歴 史として扱っていることを意味する。 キム教授は「中国は最近、歴史をわい曲する過程で、『高麗の高句麗継承』を 否定したが、地図には高句麗の文字はなく『高麗』のみが表記されている点は、まさしく中国の歴代王朝が『高麗の高 句麗継承』を認めた証拠だ」と話した。

また「古今華夷区域総要図」「地理図」「東震旦地理図」(推定1260−64年作)の3つの地図では、韓半島一 帯の国をそれぞれ「高麗・新羅・百済」「高麗・新羅・女真・勃海」「高麗・百済・新羅・沃沮(オクチョ)」と表記 している。 「古今華夷区域総要図」は、中華でない周辺の「蛮族の国」を含めて書いた地図、という意味だ。

金教授はさらに「『旧唐書』『新唐書』などの中国の文献史料にも、高句麗は『東夷の国』と記述されており、高句 麗はわが国の歴史に含まれてしかるべきだ」とし、中国による高句麗史のわい曲に対する政府の強硬な姿勢を促した。

朴成雨(パク・ソンウ)記者

(中央日報) - 2004年08月09日



社団法人 高句麗研究会