渤海の歴史と遺跡
   
  渤海の建国過程 (4)
  大祚栄が高句麗桂婁にて振を建国

(後に渤海と改称)

 

*振は震とも言う。振は主役に皇帝が東方から出たという震掛に由来する。(稲葉岩吉)

 

696년(28)

契丹族の李盡忠が営州(現在の朝陽)都督を殺害し、唐に反旗を翻す。営州に強制移住させられた 高句麗の大祚栄と、靺鞨出身の乞四比羽も李盡忠を助け、唐と戦い、高句麗の独立を図る。急に突厥が登場し、李盡忠が敗北、乞四比羽も死亡。

 
698년(30)

唐の追撃部隊を撃滅させた大祚栄が高句麗の桂婁において、高句麗人を集め、 振という国を建国する。

 

699년(31)

(唐は) 再度、宝蔵王の子・高徳武を安東都督に据え、本蕃を統率させた。 この時から安東(都護府)にいる高句麗の旧住民が次第に減り、突厥、靺鞨などにに散ると、高氏の支配は途絶えてしまった。(旧唐書 高麗伝) - この時、 靺鞨に行った高句麗人は、そのまま渤海に吸収された。

 
713년 (渤海建国後16年) 国名を[渤海]と改める。

 

 

東牟山:現在吉林省敦化市にある城山子山城



社団法人 高句麗研究会