渤海の歴史と遺跡
   
    渤海の建国過程 (3)
 

宝蔵王が戻り、再び統治する - 小高句麗

 


677(10)

2月 安東都護府を再び新城(現在、中国遼寧省撫順)に移す。宝蔵王を遼東都督朝鮮王に奉じ、新城に行き、高句麗人を統治するようになる。 この時、唐に捕まった高句麗の農民達も共に戻る。宝蔵王は散らばった農民達を集め、靺鞨等の少数部族を糾合し、唐攻めのために国力を養った。この時期を[小高句麗]と呼ぶ。

 
681(13)

宝蔵王は4年間、高句麗再興のために努力したが、この計画が漏れ、挫折してしまう。再び唐に捕まり、公州に帰郷する。

 
682(14) 宝蔵王逝去
686(18)

唐は宝蔵王の孫・高宝元を朝鮮郡王に奉じ、698年には左応揚衛大将軍とし、 忠誠国王に奉じ、安東都護府の昔の住民達を統治させようとしたが、結局実現しなかった。(旧唐書 高句麗伝)この時、渤海が胎動し始めた。

宝蔵王が帰国して高句麗再建を期した新城

(遼寧省撫順市にある高爾山城)



社団法人 高句麗研究会