高麗は渤海史を作らなかった。これにより、高麗が不振だったことが判る。昔、高氏が北方にいて高句麗、扶余氏が南西にいて百済、
金氏が南東にいて新羅をなした。これら三国が三国史を形成するわけだが、高麗がこれを作ったのは正しい。扶余氏が滅び、
高氏が滅びるに至り、金氏がその南側を抑え、大氏がその北側を所有、それが渤海である。
これを南北国というのだが、当然に南北国史がなければならないはずが、高句麗がその編纂をしなかったのは過ちである。
凡そ大氏はどんな人物なのか?それは高句麗人である。彼が所有する土地はどんな土地か?それは高句麗の地である。
それを、東側・西側、そして北側を切り開いて拡げただけである。凡そ金氏が滅び、大氏が滅びるに及び、王氏がこれを
統合し、立てたのが高麗である。その南の金氏の土地は全て所有したが、その北側の大氏の土地は完全には抑えられなかった。
ある部分は女真が獲得し、ある部分は契丹が獲得した。
|