渤海の歴史と遺跡
   
    渤海の建国過程 (2)
 

9年の間、高句麗の抵抗は激しくなり、戦争は継続する

一方、南側では新羅と高句麗・百済の連合軍が抵抗

 

669(2) 2月、宝蔵王の庶子・高安勝が4万戸余り(約2万名)を引き連れて新羅に亡命

670(3) 3月 - 1万名の精兵で構成された高句麗と、 新羅連合軍が鴨緑江を越え、玉谷(もしくは皆敦壤)にて唐軍を撃破

     6月 劍牟岑が高安勝を王に据え、高句麗を再建(唐・高侃の軍と戦い、敗れる)

671(4) 唐の将軍・高侃が安市城を攻撃

672(5) 唐・高侃の軍と高句麗の軍が白氷山で戦闘。この時、新羅が軍を送り、 高句麗を助けるが、失敗。
  673(6) 瓠瀘荷の戦い - 唐の将軍・李謹行と戦う - 失敗した軍、新羅に亡命

676(9) 平壌にある安東都護府を遼東城(現在の中国遼寧省・遼陽)に撤収




社団法人 高句麗研究会