犬肉食用反対の非論理性

1.人間の友である犬をなぜ食べるのか?

犬保護論者たちは, 犬は人間の友人であるから、人間と同じように接しなければならないと主張している。 西洋では, 犬が人間の友であるという場合、犬が人間と同じ水準になることを意味するのに対して、 韓国では「犬と友達付き合いをしろ!」というのは、逆に人間に向かって「犬と同じ水準になれ!」という意味だ。 つまり, ここで「犬の友=犬」という等式が成立し、ある人に向かって「犬のような人間」と言えば、 その人を侮辱することになるのである。すなわち、その人に対して「お前のような奴は獣にでもなってしまえ!」 というのと同じことなのだ。 それに、犬と友達になろうが、犬と同じ水準になろうが、 それは個人的な次元の問題ではないか。 すべての問題は、 自分達と違う考えを持った者を一方的に非難し、自分の考えを他人にまで無理強いすることから始まるのである。

例え人間と犬が友達になれると行っても、それは自分が直接飼っている犬に限って言えることであろう。他人の犬と どうやって友達になり、まだ見たこともない、 世界中にいる数億匹もの犬たちとどうやって友達になるというのか。 見知らぬ人が近づいただけで, 襲い掛かる闘犬や, 警察犬, それに猟犬とどうやって友達になるのか. フランスだけ 見ても、犬にかまれて、その飼い主を告訴するケースが年間50万件にも達していると言う。このように、人間に噛み つき、傷つける犬をどうして友と呼ぶことができよう。


▲韓国の動物愛護団体による抗議活動

2. 犬が人の配偶者とは!!

犬肉食用反対論者たちは、人間にも人権というものがあるように、犬にも同様の権利があると主張して、 これを「犬権」と呼んでいる。 しかし、考えても見てほしい.。どうして犬に人間と等しい権利があると言えるのか? どんな辞書にも「犬権」というような言葉は載っていない。

また彼らは、犬が人間の「伴侶動物」だと主張しているが、「伴侶」とはすなわち「配偶者」を意味する言葉である。 一体どうやったら犬が人間の配偶者になれるというのだろうか?目を皿にしていくら探してみても、 「伴侶動物」というおかしな言葉は辞書に出ていない。

また 「食犬の習慣は食人の習慣と同じだから、なくしてしまわなければならない」という主張するものもいる。

犬は人間の友であるから食べてはならないというのだ。

しかし、彼らの主張は、犬を人間として見なして初めて成立する、非常に極端で虚構に充ちた非論理的な主張 であると言わざるを得ない。常識的に考えて、
言語とか思考というものは、 誰もが理解できる普遍性、妥当性を備えていなければならないのに、彼らは本来比較の対象になり得ないものを 無理やり比較し、その土台の上に彼らの理論を展開している。 このような非科学的かつ非論理的な、 いわば理論のごり押しとも言うべき彼らの主張は、社会に受け入れられるはずもないし、 人々の理解を得ることもできない。 彼らが好んで使う、無理やり作り出した新造語が辞書に載っていないのも、 当然と言えば当然のことなのだ。

3. 犬の命だけが尊いのか?!

犬肉の食用に反対する人々は、その理由として先ず「生命の尊重」ということを挙げている。 しかし これも良く考えてみると、納得の行かない部分が多い。「生命が尊い」というなら、犬以外の他の 動植物の生命も犬と同様に尊重されなければならないのではないか。 どうして犬だけに限ってとやかく言うの だろう?生命を持つものは 人の役に立とうが、 立つまいが、人に懐こうが、懐くまいが、全てが等しくそれぞれの 価値を持っているのだ。 百歩譲って、現在ある動物が人に有益でないと言っても、それはまだ人間がその有益性 を見つけ出していないだけかも知れないではないか?

人間をはじめとするあらゆる生命体は、たんぱく質、脂肪質、そして炭水化物から構成されており、等しくDNAと 呼ばれる遺伝子を備えている。 したがって, 「生命の尊重」ということを理由に犬肉の食用反対を唱えるのなら、 犬は勿論のこと、牛、豚、野菜、くだもの、穀物、木の実に至るまで、その食用を禁じなければいけないはずである。 地球上の生命という生命は、皆同じ先祖から別れ出た兄弟姉妹なのだ。 人間の遺伝子と、犬、豚、牛の遺伝子は、 約5%の違いしかない。 だから、 犬を食べてはいけないと言うなら、 同じ血を分けた牛や豚も食べてはいけないはずだ。

菜食主義は 一見無分別な動物保護より次元が高いように見えるが、 これもやはり人間の生命維持のために他の 生命を犠牲にするという点では、 動物保護論者の主張とそれほど大差はない。 植物は、炭素同化作用を通して太陽 エネルギーを澱粉に蓄積する。 人間はこの澱粉を直接植物から摂取するか、あるいは一旦他の動物が摂取したもの を二次的に摂取することによって太陽エネルギーを利用している。 このように、人間は他の動植物から搾取することで 自らの生命を維持する「従属栄養生物」なのである。 このような事実から目をそらしたまま、やれ動物保護だ、やれ菜 食主義だ、犬肉を食べてはならないなどと主張するのは、自然界の食物連鎖を真っ向から否定した、単なる「言葉の お遊び」に過ぎない。

地球上の生物は、その誕生から数十億年という年月を、適者生存、弱肉強食の法則にしたがって生き残り、あるい は淘汰されつつ、現在に至るまで進化を繰り返してきた。このように考えれば、人間が犬を食べるのも弱肉強食の法則 に則ったことであって、なんやかやと難癖をつけられる筋合いのものではない。

他国の食文化にまで干渉する暇があるのなら、先ず世界中で飢え苦しみ、無視され、疎外されながら生きている人々 の人権を尊重し、保護すべきであって、犬の権利を先ず保護しろというのは前後転倒した主張であると言わざるを得ない。

犬が人の言うことを素直にきくから保護しなければならないというのも、 逆に見れば、自分の意見に従わないものは保護しなくて良いという、人間にとって実に利己主義的で、 御都合主義的な発想である。 犬を保護するのなら、他の動植物も保護して初めて公正、平等だと言えよう。

4. 西洋文化優越主義および偏見

西洋人たちは常に動物性食品を食べている。 彼らは,動物を殺すとき、その動物が苦痛を感じれば虐待、 苦痛がなければ虐待ではないと主張している。しかし,これはあくまでも殺す側に都合のよい論理であると しか言いようがない。 動物の血にまみれた自分達の食生活を美化し、 良心の呵責からのがれるために 作り出された詭弁に過ぎないのである。にもかかわらず、彼ら西洋の動物保護論者たちは、ことあるごとにこの種 の論理を持ち出しては、植物性食品が主体のわれわれの食生活をを非難している.

タンパク質食品として西洋にはチーズがあり、東洋には豆腐がある。 チーズは牛乳に含まれるタンパク質を取り出し て発酵させたものであり、豆腐は大豆のタンパク質を抽出したものである。 西洋ではチーズを作るとき、牛乳のタンパク 質を沈殿させるのに子牛の胃にある「レニン(rennin, chymosin)」という酵素を用いるのであるが、この酵素を得るため に年間二千万頭の子牛を屠殺している。 一方、我々は海水から採れるニガリを使って大豆のタンパク質を沈殿させ て豆腐を作っている。 どちらがより人間的だと言えるだろうか?

闘牛を見れば,東洋文化を無視しようとする彼らの態度と,それをささえる優越主義をはっきりと知ることができる。 ご存じのように闘牛は,牛を興奮させて、人を攻撃するように仕向けた後で、剣を突き刺し、ポタポタと血を流して、最後に はまるで針ネズミのようになって苦しみながら死ぬ様子を見て楽しむ競技だ。 彼らはそれを見て喜び、歓声を送り,拍手 を打つ。 彼らの理論に従えば、これほど無慈悲で野蛮な動物虐待はないはずなのであるが、みずから闘牛をやめよう とする気配は一向にない。 西洋人がすることは何でも文化的だという偏見と優越意識がその原因である。もし闘牛が 韓国の伝統行事であったなら、彼らは我々を野蛮人と罵り、韓国商品の不買運動をしたり、ワールドカップをボイコットす るなど、大騒ぎをしていたにちがいない。

自国領であるタヒチの住民が犬を食用にしていることには目をつぶり、他国で犬を食べることには何やかんやと目く じらをたてるフランスの女優ブリジッド・バルドーの独善、傲慢さも鼻持ちならない。

5. ペット愛護は実は動物虐待

生物というものは、適者生存の法則にしたがって強く優秀なものだけが生き残るようになっている。

犬は本来野生の動物であり、その先祖をたどると狼や野犬に行き着く。 しかし、人に飼われるようになって、簡単に餌に ありつくことを覚えた犬は、動物本来の生存に不可欠な独立性の機能が徐々に退化しつつある。 人間が犬をそばに置け ば置くほど、彼らの動物としての能力は劣性化の一途をたどらざるをないのである。

犬を可愛がって、これに餌や寝床を与えてやったり、予防接種してやること、一見犬のことを考えて行っているように見えるこ れら全てのことが、実は犬の劣性化を促進しているのである。何もせず、一方的に与えられる生活に慣れてしまって、運動不 足で体はなまりっぱなし…。 人間の好みに合わせて、見た目に可愛らしいよう小さく交配させられる度に、ペット犬からは生 存に必要な機能が失われて行く。 このように闘争本能を喪失し、一度弱体化してしまった犬は、その分人間に対する依存 度が高まり、結局人間の保護なしでは生き残ることさえ不可能な状態に陥ってしまうのである。 犬の立場から見れば、生物 としての犬を劣性化させるペット犬の飼い主こそ、世の中で最も悪辣な動物虐待者だと言えよう。

犬を人間の都合の良いように飼い慣らし、体毛をカットしたり、アクセサリーをつけたりしてオモチャ扱いするのも虐待行為 ではないだろうか。 まさかこんなことをしてくれと望む犬はあるまいし、犬にとって何のプラスにもならないことも分かりきっ ている。 喜ぶのは人間ばかり、犬にとっては実に傍迷惑な話だ。

よく犬を家の中で飼う人がいるが、これも犬にとってみれば虐待と言えるだろう。もし立場を入れ替えて、犬が人間の主人だ としたら、人間をその家族や所属する社会から無理やり切り放し、犬とだけ暮すようにすることを、果たして人間保護と呼ぶ ことができるであろうか? 人が人とともに生きるように、犬も犬とともに生きなければならないのである。

このようにペットの愛護と言えば聞えが良いが、実際には犬に対する一方的な思い入れ,或いは自己満足であって、愛護 どころか、かえって犬を劣性化させるという逆機能をするだけである。 一方、犬肉を食用とする文化においては、食用に適さ ない小さな犬や弱い犬、すなわち劣性な犬は自然に淘汰され、形質の優れた犬だけが遺伝、保存されるという点で、実に 順機能的だと言えよう。

真の動物保護、理想的な動物保護とは、人間の手の加わらないものでなければならない。 力の無いものは淘汰され、強く て優性な個体だけが生き残る過程を通し、彼らに種族を保護、繁殖する能力を備えさせ、人間の助けを借りなくても自ら生き ていけるようにすることを言うのである。 故に真から犬を愛するなら、人間が飼うのではなく、犬が自ら生きていけるようにし なければならない。

6.文化とは相対的なもの

人類の文化は、 民族、言語、宗教、風習、歴史、地理、気候、国家、社会によって別々に発展するため、 互いに文化が異なると言う理由で 人を批判することはできない。 だが 西欧人たちは、自分達と異なる 飲食文化を忌み嫌い、またそれを非難し、 動物保護関連の団体は、韓国の犬肉食用文化に対して、 野蛮だの、虐待だのとあげつらい、 非難を加えている。 しかし 我々にとって犬は、昔から飼育し、食用としてきた 単なる家畜のひとつに過ぎず、 犬肉食のルーツがどこまで遡れるのかわからないほど長い歴史を持った 固有の飲食文化なのだ。 したがって、人の国の飲食文化について、ああだこうだといちいち干渉するのは おせっかいもいいところと言わざるを得まい。 我々が他国の飲食文化について非難をしないのと同じように、 彼らも我々の固有文化について、彼らの価値基準を持って非難してはならない。

7. 西洋文化の攻撃性

アメリカの文化人類学者マービン・ハリス(M. Harris)はその著書 『食文化の謎』(ソ・ジンヨン訳、ハンギル社、1994) の中で「肉食文化圏においては犬肉を食べず、主に菜食あるいは穀食文化圏において犬肉を食べる。 西洋人は犬を愛するという理由で犬肉を食べないのではなく、犬よりもっと栄養価に富んだ食肉動物がいるから 犬を食べないのだ。・・・人類学者として、私は食物の味に関して文化的相対主義を支持する。 食習慣に対して単に自分の文化と異なるという理由で、これを冒涜したり非難してはならない。」と言っている。 このように「文化は相対的なものであるから、自分の基準で他の国の食文化を攻撃してはいけない。」というのが 鉄則であって、「ローマに行けばローマの法に従う」ように、韓国では韓国の風習に従うのが当然なのである。 しかし西洋人たちはこのような原則を無視し、偏見と非合理性という二重の秤をもって、犬肉食用文化に対して 不当な言いがかりをつけているのだ。 その理由はただ一つ、「どうして人間の友人である犬を捕まえ、 食用にすることができるのか」ということだ。 しかし一方的に犬を人間の友人と決めつける、彼らの理論も 少しおかしくはないだろうか? 一体、彼らは犬に直接聞いてみたとでも言うのだろうか?

我々は農耕定着民族であって、植物性主体の食事をとり、性格が温順である反面、西洋人は狩猟牧畜移動民族で あって、主にその食事は動物性が主体で、その性格も一般に好戦的である。

西洋料理の象徴であるナイフとフォークは、もともとは人や動物を殺す剣と三つ又槍から來たものであって、殺した獲物 を剣で切り、槍で刺して食したことに由来するものである。 このように数えきれないほどの動物を剣や槍を使って屠り、食用 にしてきたくせに、他の国でたまたま犬肉を食べると言ってこれに言いがかりをつけるのは、剣と槍を武器にまつろわぬもの たちを葬ってきた西洋文化が、東洋文化に対して形を変えた攻撃を仕掛けていると受け取られても仕方がない。

西洋人が考え方や、価値観あるいは風俗が自分たちと異なることを理由に、他の文化を攻撃し、自らのやり方に従うよう 強要するのは、全ての文化を彼らの文化に従属、または同化させようとする意図から来ている。 まさに全世界を自分達の 支配下に置こうという侵略的思考そのものである。

8. ペット犬と食用犬

韓国では、自分が飼っている犬を殺して食べる人はほとんどいない。 一般に食用として出回っている犬は「畜犬」で、 その大部分は食用専門に飼育されたものだ。 アンケート調査の結果、自分が飼っていた犬を殺して食べると 答えた人は16パーセントにすぎない。(本来は自分が育てた犬を食べるのが本来の伝統なのだが、一歩譲って….)

マービン・ハリスは『食文化の謎(1994)』の中で、「ペットも食用にすることができる」と言っている。 すなわち、ペットだからと言って食べてはいけないということではないのだ。 要するに、最初から食用犬と して育てた犬を殺して食べようが、ペットとして育ててから食べようが、他人がどうこう口を出す問題ではないということだ。 逆に言えば、他人にどうこう言われたからと言ってペコペコする必要もないのだ。 犬保護論者たちが犬を買っ てくれたのでも、餌代を出してくれたのでもないのだから、彼らに干渉されるいわれはない。

9. 犬を食べるからと言って、犬が絶滅するのか?

人間は食物連鎖の中で最上位に位置しており,ありとあらゆるものを食用にしている。 肉食が主体の西洋人がいくら肉をたくさん食べるからと言って、牛や豚が絶滅することはない。 常に適切な数を繁殖させ、育てているからだ。 同じように韓国で犬を食べるからと言って、韓国の犬が絶滅する ことはあり得ない。 多くの犬が食用犬として飼育されており、食用にされた分、また繁殖させるからだ。

生態学的に見れば、犬を育てることはすなわち犬を繁殖させて、犬という種族を絶滅しないように保護しているとも 言える。 食用犬として育てて食べようが、ペット犬として育てて飼料にしようが、はたまた安楽死させようが、 結局は同じことなのだ。 だから犬の生存と繁殖に対する貢献度を一切無視したまま、屠殺という面だけを 問題視するような動物保護はインチキなのだ。

10. 犬肉の食用を禁止することは犬を滅種に至らしめること

現在,韓国にはペットとして飼われている犬が100万匹、食用目的のために飼われている犬がこれも100万匹、合わせて 200万匹の犬が飼育されているが、もし犬肉の食用を禁止することになれば、何の役にも立たない食用犬を飼うものが 誰もいなくなるのは火を見るより明らかだ。つまり韓国での犬肉の食用に反対を唱え、これを禁止するのは、 100万匹の犬を死に至らしめる行為に他ならない。これは動物保護の立場から見ても、 その趣旨に真っ向から対立すると言わざるを得ないのである。

11. 犬を捨てる野蛮人が犬肉食用文化を非難できるのか?

一年間にパリで捨てられる犬の数は10万匹くらいだという。 アメリカでも20年前まで1,800万匹の犬が捨てられ、 彼らに住処を与えるため、毎年1億2,000万ドルが消費されていた。 現在では年間300万匹から7,500万匹が安楽 死させられ、埋められたり、動物の飼料の原料にされ、 犬の飼料にもつかう。 狂牛病騒動のそもそもの原因は、 犬などの動物を殺して作った飼料を牛に食べさせたことにある。 日本では一年に発生する野良犬の数が26万匹 程度だと言われるが、その大部分は保護された後、飼い主が現れなければ焼却されて殺される。 台湾の野良犬は年間200万匹、ルーマニアも同じく200万匹、イタリアは80万匹に達するという。 欧米の他の国々でもその事情は似たり寄ったりと思われる。 このような野良犬の素姓をたどれば、 飼い主に嫌われて捨てられたものが大部分で、ゴミをあさったり、糞尿にまみれて暮らすなど、 非衛生的で劣悪な生活環境のため、伝染病の原因と看做されて撲滅の対象にされているのが実態だ。

自分が飼っている犬を捨て,飢え死にさせることほど、犬に多くの苦痛を与え、 野蛮で非人間的なものはないのではない。 そのくせ人の国の犬肉食用文化をやり玉にあげるとは、 実に傲慢極まり無いと言わざるを得ない。 犬を捨てるより、迅速に屠殺して、その分犬の苦痛を軽くし、 その肉を食べるほうがずっと環境に優しく、食糧確保の面でも合理的、かつ人間的だと言えよう。

12. 虐殺と安楽死

西洋の動物保護論者たちは、韓国で犬を食用にするのは虐殺で、自分達の国で犬を安楽死させるのは 犬たちに永遠の平安をもたらす人道的な方法だと主張している。 だがアメリカで年間数千万匹の犬を捕獲し ては、それを原料にペット犬猫や家畜用の飼料を作っていることに対しては口をつぐんでいる。 逆に安楽死は 当然という態度だ。 しかし殺し方によって片方は虐殺であり、もう片方は人道的な方法だというのは実に笑わ せる話ではないか? 自ら進んで死を願う犬がどこにあろうか? 人を強制的に殺しておいて、安楽死させたのだ から殺人ではないと言うのと変わりがないではないか?自分達の都合のいいように、虐殺と安楽死を線引きし、 安楽死はいくら行っても何ら問題のない正当、かつ人道的な方法だと言い張るとは…。 自分を動物の生死を自 由に左右できる神だとでも思っているのだろうか? ここでも西洋人の優越主義と独善を垣間見ることができる。 これは飼料会社が飼料原料(犬)をタダで貰うためつくった詭弁にすぎない。

13. 犬肉食用反対の理論には根拠がない

犬肉食用に対する反対論者たちは、 韓国における犬肉の食用が伝統的なものではないと主張している。 しかし、 彼らの主張を裏付ける論文や書物はひとつも存在しないのが実情だ。 加えて、 彼らは韓国で犬を殴り殺して屠殺し ているという主張しているが、 それを証明する文献はひとつもない。 逆に 韓国の犬肉食用は伝統的な民族固有の伝 統に基づいていることを裏付ける根拠は無数に存在している。

論文とは、 数多くの証拠や事実に基づいて、 自分が証明しようとする理論や主張を客観的に展開するものであって、 客観性に欠けたり、水準が低すぎたり、 虚偽があったりすれば、 審査の過程でその意味や価値を失ってしまう。 犬肉食用 に反対する学術論文がひとつもないということは、 すなわち彼らの主張が論文として認められるほどの価値や根拠を 備えていないということではないか。 正しいことであるなら、 敢えて騒ぎ立てたりしなくても、 だれもが理解してくれるはず である。 犬肉の食用に関して、 それに反対する自らの立場を論証するだけの論理性に欠ているからこそ、 表には現れず に、 インターネットという隠れ蓑をまとって、 裏でこそこそ人の悪口を言っていると取られても彼らには弁明の余地がない。

動物保護論者たちの中には、 韓国では犬を紐のようなもので吊り下げておいて、 わざわざ苦痛を与えながら殴り殺し ていると主張する者もある。 しかし、 彼らは年間韓国で屠殺される犬の何割が電気屠殺で、 何割が打殺であるのか、 果 たして何割が彼らの言うように少しずつ苦痛を与えられながら棒で殴り殺されているのか、 と言ったことに関して、 数値 や屠殺の現場、 統計処理の方法等、 何ら具体的な証拠を提示できずにいる。 にもかかわらず屠殺場面を撮影した(と言う) 出処のはっきりしない写真を何枚か見せて、 韓国は犬たちに苦痛を与えながら殴り殺す野蛮国家であると、 全世界に 宣伝しているのである。 だが常識的に考えて、 犬に苦痛を与えながら殴り殺すには、 檻の中から一匹一匹捕まえ出す のに一苦労、 それを紐で縛り上げるのにもう一苦労、 おまけに噛まれる危険性がある上に、食用犬は図体が大きいため、 それを縛り上げるのは並たいていのことではない。 時間的にも これらの作業をすべて行うには、 一匹当たり少なくとも 1時間は見積もらなくてはならない。 それに、 そのためにかかる人件費を考えれば、 いちいち犬を殴り殺していては とうてい採算が取れない。 そこで、 現在韓国では大部分電気屠殺の方法を採用している。 電気屠殺を行えば、 檻の中に いる犬を3、 4匹づつまとめて1、2分という極めて短い時間内に屠殺することが可能であるからだ。 このように、 犬肉の食用 に反対する人たちの主張は大部分虚偽であるから、 きちんとした学術論文が書けるはずがないのである。

複数の統計資料によれば、 犬肉食用に関して賛成する韓国人は全体の約80%ほどである。 にもかかわらず、 犬肉 食用反対論者たちは、 信ずるに足る統計資料を提示できないまま、「国民の大多数が犬肉の食用に対して反対している」と 嘘の主張を繰り返している。

14. 宗教的レベルの「お犬様」崇拝

以上繰り返し述べてきたように、犬肉の食用に対する反対論は、 その名分と論理性に欠けている。 にもかかわらず、反対論者たちは自分達の主張が正しいということに絶対的な 信念を持って、 これを受け入れることを周囲に強要し、 彼らの主張に同調しない人々に対しては、 これを罵り、 容赦のない攻撃を加える。 ここまで来ると、言葉は悪いが とても正気の沙汰とは思えない。 犬をまるで信仰の対象、 ある種の神のように崇め奉り、 まるで主人に仕える奴隷のように「お犬様」に侍っているのである。 その実体を次のようにまとめてみた。

1) 無条件に神聖視

人間社会では、何にもまして人と人の関係を最優先する。 しかし、犬肉の食用に反対する人たちは、 親兄弟や先祖 よりも犬をより大切にし、 犬と一緒に暮しながら、 人間よりも犬をもっと優先して、 豪華な餌を与え、化粧を施し、 死ね ば死んだで派手な葬式を執り行った上で、 石碑つきの立派な墓に埋葬する。 彼らは、 自分達の考え方や行動様式を 非難する人々や犬肉を食べる人々を一方的に、 野蛮人、 異教徒、 挙げ句の果てには悪魔扱いし、 執拗に攻撃を加 える。 それもこれも全ては彼らが犬を神と同様に崇めることに起因しているのである。 犬肉食用に対する彼らの主張 をよく見ると、 宗教用語的な冒涜と呪詛の言葉に充ちていることに気づく。 宗教は論理を必要としない。 彼らは、 自ら の信じる神と自分にとって、 果たして相手が味方なのか 敵(異教徒)なのかという尺度で全てのことを判断する。 そし て、 神が末期癌を治し、 いざりを立たせたと言い触らしては人を集める似非宗教のように、 韓国で犬を殴り殺している と虚偽の情報を流し、 「哀れな犬たちを救いださなくてはならない」と人々を洗脳、扇動しては、 犬を神として崇拝する 「犬教徒」たちを集めているのである。 宗教の基本は信じることである。 何度も繰り返して洗脳を受ければ、 嘘もいつし か本当になり、 狂信的な行動も神聖なものに見えてくるものだ。 一体彼らは犬を神として崇め、 犬の天国を作ろうとでも 言うのだろうか?

2) 異教徒に対して排他的

宗教の持つもう一つの特徴としてその排他性を挙げることができる。 厳密な意味で儒教は宗教ではないが、 韓国では いまだに儒教(中でも性理学)が韓国人の精神的アイデンティティーの中核をなしており、 外国の宗教が韓国に入る過程 で一つの精神的な防波堤のような役割を担っている。 このように儒教のせいで、 韓国への進出が思いのままにならない 外来宗教側では、 まるで儒教が宗教であるかのように吹聴し、 なんやかんやと難癖をつけては攻撃を加えている。 犬肉の 問題についてもそうだ。 犬肉を食べない人=聖人(文明人)、食べる人=異教徒(悪魔)、野蛮人という方程式を一方的に 造りあげ、 犬肉を食べる人々を打倒の対象にしているのだ。

3) 唯我独善

動物保護をするには、 殺生を固く禁じている仏教以上効果的なものはない。 命あるものは、 たとえあり一匹で あろうとも殺してはならないという仏陀の教えに従い、 生き物の生命を大切に考え、 数千年にわたって動物を保護し てきた。 こうした彼らの苦労は非常に意味のあるものであるが、 一方で仏教は動物保護をしない人々に対して、 非難 もしなければ自慢もしない。 黙々と自分の信ずるところにしたがって独り仏教の教えを実践するのみである。 このよう な仏教の功労に比べたら、 昨今の犬肉食用反対論者たちの業績は実に微々たるものに過ぎないと言わざるを得ない。 にもかかわらず、 彼らは西洋人の威光を笠に着て、 自分達だけが動物保護を行う資格があり、 しかも数ある動物の中で も犬だけが保護を受ける資格があって、 飢えて死んでいく人よりも犬の保護を優先しなければならないかのように主張し、 行動しているのだ。 犬の権利は保護し、 人間の権利は無視してもいいというのか?! 自分達は何を言っても、ど んなことをし ても正しく、自分達にだけ審判者としての資格があるといい気になっているのでないか。 一体彼らが犬の保護のために 何をしてきたというのか。 他人の犬に餌を買ってやったというのだろうか、 それとも直接面倒を見てやったとでも言うの だろうか。 彼らには動物保護を口にする資格はない。

4) 伝統文化と歴史を否定

一つの国を侵略するには四つの段階があるという。 先ず 第一段階は、 宗教を先頭に立てて、 その国の土俗信仰や、 文化、 伝統的な価値観を抹殺し、 第二段階は、 商人たちをけしかけて経済的な搾取を行わせ、 第三段階としては、 軍隊を 送り込んで軍事力をもって反対勢力を押さえ込み、 最後に、 政治家が行って植民地統治を行うというものだ。

効率的に他国を侵略するには、 宗教的に、 その国の土俗信仰や、 固有文化、 そして伝統的な価値観を破壊し、 その 抵抗力を奪ってしまうのが一番簡単な方法である。 今まで我が国を侵略した外国の例を歴史的に見ると、 民衆の抵抗 を押さえ込むために、 彼らが自分自身を卑下するように教育してきたことが分かる。 こうして我が国には、 自らの文化や 歴史が日本や西欧列強のものに比べて劣っており、 彼ら先進国のものが常に正しく、 優れているといった事大主義が 蔓延するようになった。 第二次世界大戦の結果、 植民者としての日本は韓国を去ったが、 それは単にアメリカという新しい 事大主義の対象へと「バス」を乗り換えたに過ぎなかった。 その結果、 舶来の宗教は無条件で有りがたく、 彼らが崇める 神はこの上なく神聖である反面、 土俗宗教は皆迷信で、 その神もまるで化け物や亡霊ようなみすぼらしい存在に転落し てしまった。 先祖を祀る伝統的な「チェサ(祭事)」も、 偶像崇拝であると言って禁止し、 韓国の建国神である「檀君」に関し ても一方的に偶像であると決めつけ、 学校の校庭などにある銅像の首を切り落とすといった暴挙を繰り返している。 同様に犬肉を食べる韓国人は野蛮人(悪魔、 異教徒)、 食べない人は文明人と勝手に決めつけ、 我が国の固有文化 を一方的に否定し、これを卑下するよう仕向けているのである。

彼ら西洋人たちは、自分達の宗教を韓国に伝える過程で命を落した者を殉教者と呼んでいるが、 当時朝鮮王朝の 為政者の立場から見れば、 彼らが民衆に王以外の別の存在(神)を敬い、 これを崇めることによって王権を否定するよ うに仕向けたが故にこれを弾圧する以外に手だてがなかった、 とも言える。 神が王よりも尊く、 王も神の前ではただの 僕に過ぎないと主張して、 民衆が王に従わないようにし、 国を滅ぼすような行動を取ったことが弾圧の原因となったの だ。 日本にも早くからキリスト教が伝えられたが、 キリスト教徒が当時の国家体制や伝統的な価値観を否定し、 これを 破壊しようと反乱を起こし鎮圧された例がある。

15. 正しい動物保護運動

世界には飢え死にする人々、戦争で死ぬ人々、虐待される人々、その他様々な理由で苦痛を受ける人々が 無数にいる。 1998年には世界中で8億の人口が栄養失調に苦しみ、1,800万人が餓死したという。 アメリカだけ見ても9人に1人の割合で三度の食事にも事欠く状態。 北朝鮮にも飢死する人がたくさんおり、 また我が韓国にも飢えに苦しんでいる人が一人二人ではない。 まずこのような人たちから救済するのが 人としての道理ではないのか? 犬の心配をしている時ではないのだ。

西洋で捨てられる犬は、韓国で食用にされる犬よりも多い。 それもペットとして自分が育てていた犬を捨てるのだ。 飢えて死んでいく人たちに知らん顔をし、ペットは自分達の気のむくままに捨てるくせに、 他の国の犬肉料理にケチをつけるような動物保護など、非人道的なまやかしの動物保護だと言わざるを得ない。 これこそ韓国のことわざ「糞のついた犬が糠のついた犬を叱る(「目糞、鼻糞を笑う」の類い)」そのものではないか?!

海外の動物保護団体が犬肉食用を非難する最も大きな理由として、 韓国人が犬を屠殺する際に殴り殺すからだと主張しているが、これは真っ赤な嘘だ。

1983年10月、欧州共同体(EEC)は、ヨーロッパへのアザラシの輸入を禁止した。 この一件で、1964年から20年以上にわたってアザラシの保護のため闘ってきた「国際動物福祉基金(IFAW: International Fund for Animal Welfare)」の名が一挙に上がった。 西洋人の目から見れば、これは彼らの言う「文明」の勝利であったのだろうが、その一方でアザラシの肉を主食とし、 その毛皮を売って生計を立てていたカナダの「イヌイット(エスキモー)」のような「野蛮人」たちの食文化が破壊され、 その生活手段が奪われたことに関心を向ける者はほとんどいない。 西欧の「文明人」たちは、 アザラシの子を保護しようとデモを行ったが、実際イヌイットはアザラシの子を捕獲しない。 イヌイットたちの行う狩猟、 並びにその食文化は、まさに自然界の摂理に適った、北極圏の食物連鎖の一部であった。 イヌイットが集団狩猟を通して培ってきた社会的な結束力や伝統、獲物の分配過程を通じて維持されてきた団結力は、 アザラシの禁猟を契機に崩壊しはじめ、急速な食物の変化は各種の疾病の間接的原因となって彼らの健康を脅かす ようになった。 加えて青少年の自殺や麻薬中毒、アルコール中毒が急増し、彼らの伝統文化は破壊された結果、 細々と年金に頼って生活を維持する、「文明化」とは程遠い、みすぼらしい種族に転落してしまった。 その一方で、 当時のIFWAのブライアンデービス(Brian Davis)会長はこの一件で大いに名を挙げ、数十万ドルの月給をもらう名士となり、 グリーン ピースのパトリック ムーア(Patrick Moore)会長は鮭の養殖業が大当たりして、悠々自適の生活を営んでいる とのことだ。(「やい、ブリジッドバルドー!!人のことが言えるのか?」より (http:www//.ddanzi.com/ ddanziilbo/22/22-s8.htm)

韓国の犬肉食用に反対する人たちは、犬を残酷に殴り殺すことが問題だと言うが、 筆者が行った調査によれば、食用犬は大部分電気で瞬間的に屠殺され、苦痛を感じることはほとんどないということだ。 ここでも彼らの主張は、イヌイットたちが捕獲してもいないアザラシの子を捕獲していると難癖をつけるのと 同じく、全くの嘘だということが分かる。 韓国で犬が絶滅しかけているわけでもなく、ヨーロッパ人のようにむやみに 飼い犬を捨てるようなこともないのに、人間より犬を大事にしようと言い掛りをつけ、韓国人の犬肉食用を非難するのは、 韓国に対する白人たちの嫌悪感を増幅させ、マスコミの注目を集めようという狙いからなのである。 中国や北朝鮮でも日常的に犬肉を食用にしているが、彼らが攻撃のターゲットを主に韓国に集中させている理由は、 特に韓国の政治家たちに「大きなものには巻かれろ」と言った事大主義の傾向が強く、 そのお陰で宣伝の効果がずば抜けて大きいからである。

また、韓国の食用犬市場は年間2〜3億ドルにのぼり、犬肉の食用を禁止したらそれほど牛肉を輸入すること になるから西欧牛肉輸出国は韓国の犬肉食用たけを攻撃する。 その証拠としては国家が犬肉を奨励し、韓国より10倍の犬肉を消費している中国や北朝鮮に対してはあまり 非難していないということだ。 はじめから牛肉輸入可能性がないためである。

(「韓国人と狗肉」より)



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