壬辰倭乱の外交秘史−四溟堂(松雲大師)はなぜ、日本に行ったのか
壬辰倭乱(文禄の役)当時、朝鮮半島を侵略してきた日本の将帥加藤清正を祀っている熊本県の肥後本妙寺で、
同時期朝鮮の僧侶として義兵活動をしていた四溟堂の親筆遺墨が発見された。四溟堂は西山大師(1520-1602、
壬辰倭乱当時僧兵将として活躍)の弟子となり、さまざまな道術と神通力を持って、率いる義兵とともに日本軍を一気に
打ち破ったことが有名である。このような四溟堂は、当時加藤清正とはどういう関係を結び、現在まで彼の遺墨が
本妙寺に大事に保管されているのは何を意味しているのだろうか。
四溟堂の遺跡と伝説 四溟堂は1610年67歳で入寂した。しかし四溟堂の記録と伝説は「壬辰録」などを通じて庶民の好奇心を充足させ、 民衆の英雄として形象化された。 |