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[教育] 朝鮮革命軍総司令官・梁世奉


▲ 梁世奉の写真

中国遼寧省新賓県の旺清門。 小さな鎮に過ぎないが、一時、ここは ‘韓国独立運動の首都’だった。 1920年代末、満州の独立軍統合政府である ‘国民部’があったし、30年代は朝鮮革命軍の本部があ った所だからだ。 それで当時、朝鮮族は旺清門に行く時は通例 “ソウルへ行く”と言ったという。

先月 30日に訪ねた旺清門は、うらぶれた田舎村に過ぎなかった。朝鮮族村にはところどころ空き家が 目立った。 村の中央に位置する ‘朝鮮族学校’は既に閉校になっていた。

荒れて寂しい校庭の一方に視線を捕らえるものがあった。 独立運動家・梁世奉(1896〜1934)の胸像だ。 大理石を削って作った高さ 5.4mの巨大なものだった。 ‘抗日名将 梁瑞鳳’(‘瑞鳳’は世奉の別名)と書か れた字も鮮かだった。 1995年、旺清門人民政府は梁世奉の抗日闘争を称えるために石像を建立した。 中国で韓国の独立運動家のために巨大な記念物を立てた事は異例だった。 どうして中国は梁世奉を称えるのか。

− 中国でも記念石像を建てる−

梁世奉は平安北道鉄山の出身だ。 小作農の息子に生まれた彼は、日帝の強制占領期間である 1917年、 生計を求めて家族と共に鴨緑江を渡る。 彼の定着した所は中国奉天省興京県。 今の遼寧省新賓県だ。

3・1運動以後、満州一帯は独立運動の前哨基地だった。 多くの愛国志士たちが団体を作って抗日運動を展 開した。 梁世奉も 1920年頃から大韓独立団に加入し、独立運動に身を投げる。

1923年、梁世奉は正義部が組職されると中隊長として活発な国内進攻作戦を展開する。 1929年、新賓で武 装抗日団体である朝鮮革命軍が結成されると、第1中隊長を引き受け、 1931年には朝鮮革命軍総司令官に なって南満州地域の武装闘争を導く。 高句麗研究財団チャン・セユン研究委員は、梁世奉が率いる朝鮮革 命軍が 1929〜1934年の 5年間、日本軍及び満州国軍警とくりひろげた戦闘は 80回余り、狙い撃ちした日 本軍は 1,000人余りにのぼると分析する。

日帝は 1931年 9・18 満州事変以後、満州国を建国し、抗日運動に対する大々的な弾圧を加えた。 このた めに社会主義系列の抗日団体は大部分中国共産党に入って行った。 民族主義系列も上海など中国国内 に渡り、満州独立運動は大きく萎縮した。 こんな中、南満州では朝鮮革命軍だけが唯一、抗日闘争を展開した。

梁世奉が 500人余りに達する朝鮮革命軍を率いて南満州の抗日英雄として浮上するようになったのは、彼 のさっぱりした性分と部下に対する優しい思いやりが重要な作用をした。 梁世奉の旗下で小隊長として戦 った桂キファ(2002年、 82歳で死亡)は手記で、 “いくらひどい事をやらかしても部下の悪口を言う事がなかっ たし、部下にはタバコを買ってやる反面、自分は葉草を懐に入れて置きながら吸った”とし、梁世奉を “軍神”と回顧した。


▲ 中国・新賓県の歴史学者・曹文奇氏(左側)と金スンファ氏が旺清門の梁世奉胸像の前で話を交わしている

− ‘小作農将軍’ 徳将・勇将の名声−

このように梁世奉将軍が朝鮮族と漢族の信望を受けると、日帝は彼を排除する陰謀を企んだ。 1934年旧暦 8月、 日帝は密偵・朴チャンヘを送り込み、 ‘中国の馬賊団が朝鮮革命軍と連合する意思があるから、この問題を論議 しよう’と梁世奉を誘引、新賓県小荒溝で狙撃・殺害した。 彼の年は満 38歳だった。

新賓で会った朝鮮族歴史研究家・金スンファ氏(76)は、 “梁世奉が鉄砲に撃たれた日は、秋夕を四日後に控えて の時で、護衛隊員たちが朝鮮族・金チァンジュンの家に連れて行ったが、傷がひどくて翌日死んだ”と言った。 ‘鴨緑江辺の抗日名将・梁世奉’を出刊した中国人・曹文奇(57、新賓県居住)氏は、 “民間では梁将軍の死を 知って ‘星が落ちた’と哀悼した”と述べた。

1930年代、梁世奉は朝鮮革命軍の駐屯地である新賓をはじめ、 通化・柳河・寛甸・桓仁・撫松・清原・臨江な ど南満州一帯で名声を博した。 ‘軍神’ 梁世奉は、南満州の同胞たちには ‘小作農将軍’と称えられた。曹氏 は “今も新賓地域には梁世奉の抗日闘争を称える民謡が伝わっている”と言った。 金スンファ氏は閉校される 前まででも旺清門の朝鮮族の学生たちは自分が作詞・作曲した ‘梁世奉将軍の歌’を歌ったとしながら直接聞 かせてくれた。

独立運動史で梁世奉のように抗日部隊を組織して一地域に根付き、 10年近く武装闘争をした人物は珍しい。 1962年、梁世奉は建国勲章独立章を受けた。 曹文奇氏は “銃刀を一度も掴んだことのない政治家には一 等功勲(大韓民国章)を与えながら、一生涯銃刀で戦った梁世奉将軍に 3等勲章(独立章)を授与したというの は理解出来ない”と述べた。   

(京郷新聞  チョウ・ウンチャン記者 2005年6月20日)
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