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89.教育文化芸術の主人に(1)

古い教育制度を改革、民族言語文字で授業、各地の小中学校雨後の竹の子の如く

“8.15”解放は朝鮮族の前に日帝侵略者に奪われた自分達の言葉と文字で教育を発展させる広範な展望を広げ てくれた。 昔から子の勉強のためには牛を売ってでもまかなうという、我が民族だった。 日帝に文字と言葉を奪わ れ、皇民教育を受けなければならなかった時、民族の知識人たちはどれだけ胸を痛め、痛嘆したことか。 しかしもう 文字と言葉を取り戻したのだ。 民族の知識人達は次々に活動を始めた。 知識人たちの努力と斡旋で、教員を導入 し、校舎を作り、小学校、中学校を建てた。 これらの活動は惰性的で自発的な状態にとどまっていたが、教育を重 視する我が民族の伝統だけはそのまま残っていたのだ。

1946年9月、東北行政委員会では “学校教育を改造して東学運動を展開することに関する指示”で東北解放区の教 育事業の総合的な方針は “日帝支配時期の奴隷教育と蒋介石の封建的、ファッショ的教育の弊害と影響を一掃し、 民族的・民主的・大衆的・科学的な新民主主義教育を確立し、教育にとって新民主主義の政治的闘いのために服務 させなければならず、東北人民の平和民主建設のために服務させなければならない。”と規定することで、東北地区 での我が民族教育事業の方向を明示した。 その後、東北政務委員会では建国前夜に至るまで 4回にわたって東北 解放区教育事業会議を召集し、 “私立学校暫定方法”、”中等教育に対する指示”などの通達を出した。こうして我が 民族の教育事業は、生気を帯び健全な発展をするようになった。

民族言語・文字で授業する制度を確立

1945年 9月、崔文豪、金勲らが主催する “教育同盟”が延吉で結成された。彼らは日帝時期に学校を招き入れ、元々 の教員と知識人たちを招いて延吉市司法学校、延吉中学校、工業学校、クァンソン中学校、高麗女子中学校と小学校 を運営した。

龍井ではチャン・ナムソプ、ジュ・チェワ、リム・リョンホらが主催する “教育同盟”が組職されたが、東興中学校、大成 中学校、永新中学校、恩真中学校、グンファ女子中学校、明信女子中学校など中学校及び小学校を運営した。

図們ではシム・インカプ、カン・サンラクらの知識人たちが主催する “教育調査会”が組職されたが、彼らは満州時代 の学校を引き受けて小中学校を運営した。

朝陽村でも民主大同盟が主催する “教育後援会”が組職されたが、彼らによって小中学校が運営された。

解放戦争時期の解放区教育は、新民主主義教育であり、新民主主義の政治と経済のために服務し、解放戦争と解放 区経済の建設に必要な革命幹部を養成し、人民群衆の階級覚醒と文化水準を向上することを自らの課題とした。 この 課題を実現するために “幹部教育は群衆教育よりさらに重要で、成人教育は児童教育よりさらに重要だ”、”中等教育 の比重は適切に師範教育を第1位とし、職業教育を第2位におき、普通中学校教育をその次におかなければならない” と言う学校運営方針を提起し、多くの類型の幹部学校と短期講習組を数多く運営した。 これは解放戦争、土地改革、 政権の建設に緊急に必要とされる幹部を数多く養成するために実施された政策だった。

解放戦争の時期に物力、人力の制限で、政府では多くの学校を建立・運営することができず、 “人民が動員され、 自力で学校を運営して政府で傍助”する原則を提唱した。 これは学校教育を大きく発展させる正確な施策だった。 そして解放戦争と土地改革の実在的な需要に適応するため、学制、課程及び運営方法でさまざまな形式を取った。

解放の後、朝鮮族は自分の言語・文字を使って発展させる自由と権利を持つようになった。 これによって延辺では 自分の民族の言語・文字で授業をする制度を確立した。 これは民族言語・文字使用での平等を保障する党の政策が 学校教育での具現により朝鮮族の文化教育を急速に発展させることができるように条件を整えてくれた。

1945年 11月 1日、間島臨時政府では日帝支配時期の間島師範学校を引き継いで改造し、延吉師範学校に改めた。 1946年 8月 26日、吉林省政府の決定により、師範学校は吉林省民主学院教育学部となり、 1948年 3月、急速に発展 する学校教育の需要を満たすために延辺高級師範学校となった。 この学校には中学校教員を養成する高級師範クラス が設置されていた。この学校では共和国の創建前まで 1230名(中学校教員 330人余り、小学校教員 900人)に達する 教員を養成し、我が民族教員の陣営を形成した。.

古い教育思想を改造

学校の学生成分も大きな変化が生じ、 80%以上の学生が労動者、農民家庭の出身だったが、師範学校の学生と 農民幹部組の学生は国家の経費で学習するようになった。 かくして貧富の差によって行われた教育不平等の歴史に 終止符を打った。

一方、知識人たちに存在する奴隷思想、封建思想、伝統的観念は新民主主義教育の発展を厳に阻害していた。そこ で党と政府では彼らの古い教育思想を改造し、労農兵と結合し労農兵のために服務するように指導した。 一方、学生 たちにも政治思想教養を積極的に施した。

1946年 7月から 1947年 7月まで、延辺地区では、中学校の指導者と幹部教員講習組を設置し、 ■新民主主義では■、 ■形勢と任務■、■中国近代史■、■中国共産党と中国革命■、■中国共産党の民族政策■、■旧解放区教育■、 ■学校教育を改造して東学運動を展開することに関する東北行政委員会の指示■などの毛沢東の著作と教育文献を 学習しながら、思想改造運動を進めた。今度の運動を通じて教員たちは誤った政治認識を直し、土地改革を擁護し、 労農兵の中に入って行って労農兵のために服務する革命思想と観点を樹立するようになった。

1946年 9月、 小中学校教科書を編集して審査する延辺教育研究会が結成された。10月 13日には延吉市の各文学団体 代表 40人余りが集まって ■延吉ハングル研究会■を創立した。 11月 26日には ■延吉朝鮮文教材編集委員会■が 創立されたが、主任に李ホウォン、副主任に林ミンホが当選した。 1947年 3月、ついに教育出版社が創立され、朝鮮 文教科書を正式に出版することができるようになった。

解放初期に教科書は延辺の各学校で各々編纂していたので、統一されたものがなかった。 そして土地改革と階級闘 争を反映した文を数多く選択した教科書が初めて出版されると、各学校ではそれを統一的な教科書として使い、北朝鮮 の朴サンチュンが書いた初級中学校用 ■朝鮮語文法■を補充教科書とした。

1948年 3月には小学校のハングル、常識、算数、自然などの教科書と中学校のハングル教科書が出版された。 この 年に 50万冊の教科書を出版し、南満州を除いた東北全体の朝鮮族小中学校に供給した。

1948年 6月 12日、 吉林省教育庁では学校教育で文化知識科目を主として教えなければならないという方針を打ち出した。

高級人材養成のために

延辺に公立中学校が 9ヶ所、 民営中学校が 19ヶ所(なかでも中高クラスを設立した学校が 3ヶ所、 中高を増設した学校 が 2ヶ所)があったが、教員は 409人、学生は 1万 813名にもなった。 学生たちの思想意識はめっきり高かったが、文化 知識水準は非常に低かった。 そこで、学生たちに対する政治思想教育を強化しながら文化知識の伝授を主としなければ ならないという新しい課題を提起した。 学校ではこの課題を実現する新しい課程案を作成した。

東北局で配置した一般中学校の各科目の占める比率は、文化知識科目が 90%、政治科目 10%、師範学校は文化知 識科目 70〜75%、政治科目 10%、実務科目 15〜20%だった。 学科目の性格と目的について、初めて統一的な要求を 提起したのであった。

朝鮮族の中学生たちに進学の道を開いてやることが、もう一つの主要な問題として提起された。 1948年 3月の統計に よると、延辺の小学生は合計 18万 7236人、卒業生は 3638人、翌年には卒業生が 5645人と増えるようになる状況だ った。 しかし延辺では中高生を 400名前後の外には募集しなかった。 このような状況で、1950年 3月、龍井に延辺高 級中学校を設立し、各県の中学校の中高クラスを延辺高級中学校に帰属させた。

延辺の 749の農村に 13万 700戸余りの農家があったが、それぞれの村に中学生が平均 15名いた。 これは12戸毎に 1人の中学生がいる計算になる。延辺 80万の人口の中で学生が 1.4%を占めた。 日帝支配の時期に比べれば学校 は 150ヶ所、 クラスは 660、 学生は 1万 500人、 教員と職員は 761人増えた。 中学校は省全体で合計 41ヶ所あった が、延辺に 26ヶ所あった。

解放を迎えた朝鮮族の前には政治、経済、文化、教育など各部門の発展のために必要とされる専門人材、高級人材 を養成しなければならない歴史的課題が出来た。

1945年 9月、龍井に龍井医科大学が設立され、1945年末には吉東軍政大学が創立された。 1946年 9月には延吉に 吉林省立民主学院が設立され、 1948年 4月には延辺政治幹部学校が建立された。 1949年3月 20日、延吉につい に我が国で初の民族大学である延辺大学が設立された。
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